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寿綾乃という女 第4部  作者: トモサン


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86/225

寿綾乃という女 第4部 86

 部屋の中に、入ると、ナオキが、


 「…先にお風呂に入って来る…」


 と、言った…


 「…綾乃さん、すまないが、パジャマを用意して…」


 「…わかったわ…」


 私は、答える…


 そして、答えてから、内心、笑ってしまった…


 なにしろ、こんな私を誰かが、見れば、誰が見ても、ナオキの妻…


 藤原ナオキの奥様に他ならない…


 そんな私が、伸明と、結婚する?


 バカも休み休み言って欲しいと、誰もが、言うだろう…


 すでに、オマエは、結婚しているだろうと、言うだろう…


 また、伸明自身、私のこんな姿を見れば、私との結婚は、諦めるだろう…


 なにしろ、誰が、見ても、私は、100%、ナオキの妻なのだから…


 あるいは、百歩譲って、私は、ナオキの妹と、言い張ることができるだろうか?


 歳の離れた妹が、兄の世話をしていると、言い張ることが、できるだろうか?


 考えてみた…


 いったん、立ち止まって、考えてみた…


 が、


 それは、無理…


 それは、できない…


 なぜなら、夫婦や恋人と、兄妹では、距離感が違う…


 男女の距離の取り方が違う…


 どんなに、親しくとも、兄妹は、兄妹…


 近くで、見ていれば、夫婦でも、恋人でも、ないのが、わかる…


 互いに、相手の名前を呼び合っていても、わかる…


 当たり前のことだ…


 私は、家の中から、ナオキのパジャマを探した…


 ナオキは、帰って来た…


 体調を崩した私のために、このマンションに帰って来た…


 が、


 それは、一時的なことに、過ぎない…


 すでに、ナオキは、以前、いっしょに、住んでいた、このマンションから、離れ、別のマンションに住んでいる…


 が、


 この家にも、ときおり、やって来る…


 それゆえ、この家にも、ナオキの衣服が、置いてある…


 ナオキが、この家に、戻って来たときに、着替えるためだ…


 それゆえ、今、私は、ナオキの着替えを探した…


 ナオキのパジャマを、探した…


 そして、まもなく、見つかった…


 すぐに、見つかった…


 そして、そのパジャマを、お風呂から出てくる、ナオキのために、置いた…


 まさに、奥様


 藤原ナオキの奥様だ…


 ほどなく、お風呂から出て来たナオキは、サッパリとした顔で、私の前に現れた…


 リビングにいる、私の前に現れた…


 さっき、見た真っ青な顔では、なくなった…


 私は、その顔を見て、


 「…ビールにする? それとも、チューハイにする?…」


 と、聞いた…


 すぐに、


 「…ビール…」


 と、ナオキが、答えた…


 「…今日は、苦いビールが、飲みたい…ホントなら、ビールで、9%ぐらいアルコール度数が、高いビールを、飲みたい…その方が、酔えるから…」


 ナオキが、笑って言う…


 私は、それを聞いて、


 「…なにを、バカなことを、言っているの…」


 と、釘を刺した…


 「…そんなに、飲みたいのなら、ウィスキーを飲めば、いいでしょ? 薄めず、ストレートで、飲めば、いいでしょ?…」


 「…いや、やはり、苦いビールがいい…」


 私は、ナオキの要望に応えて、冷蔵庫の中から、缶ビールを取り出して、ナオキの前に置いた…


 「…どうぞ、冷えたビールよ…」


 「…ありがとう…綾乃さん…」


 ナオキは、出された缶ビールを、開けて、すぐに飲み出した…


 ゴクゴクと、飲み出した…


 「…うまい…」


 ビールから、口を離すと、言った…


 その表情からも、実に、うまいと、満足している様子が、わかった…


 私は、


 「…そんなに、ビールを飲みたかったの?…」


 と、聞いた…


 ナオキは、間髪入れずに、


 「…飲みたかった…」


 と、返した…


 「…苦いビールを飲みたかった…ホントは、もっと、苦いビールを、飲みたかった…」


 「…どうして、苦いビールを飲みたかったの?…」


 「…それは…」


 「…それは?…」


 「…やっぱり、諏訪野さんの結婚だよ…」


 「…」


 「…何度も言うように、諏訪野さんは、綾乃さんと、結婚して、もらいたかった…」


 「…どうして、私が、伸明さんと結婚して、もらいたかったの?…」


 「…それは、もちろん、綾乃さんが、幸せになって、もらうためさ…」


 「…どうして、ナオキじゃ、ダメなの?…」


 「…ボクと綾乃さんは、長過ぎた…今さら、結婚もなにも、ないだろ?…」


 「…」


 「…四十を過ぎた男と、三十を過ぎた女…世間から、見れば、若いかも、しれないけれども、すでに、人生の半分近くをいっしょに、過ごした…だから、男女のときめきも、なにもない…そんな男と女が、今さら、結婚をしても、仕方がないだろ?…」


 「…」


 「…そこへ、今、諏訪野さんが、現れた…そして、諏訪野さんは、綾乃さんを気に入っている…綾乃さんは、諏訪野さんと、結婚することで、人生をやり直せる…人生を、リセットできる…」


 「…」


 「…これは、チャンスだと、思う…綾乃さんに、降ってわいたチャンスだと、思う…神様がくれたチャンスだと、思う…」


 ナオキが、熱弁する…


 それから、また一口、ビールを飲んだ…


 ゴクゴクと、飲んだ…


 それから、缶ビールから、口を離して、言った…


 「…正直、綾乃さんにとっては、チャンスだと、思った…最高の相手が、綾乃さんの前に現れたと、思った…綾乃さんは、このチャンスを見過ごすことは、ないと、思った…」


 それから、笑った…


 私を、見て、笑った…


 「…知ってる? 綾乃さん、人生に、そう、何度も、チャンスは、やって来ないってこと?…」


 「…チャンス?…」


 「…例えば、ボクは、成功した…誰が見ても、成功した…それは、ITバブルの波に乗れたから…その時期に、起業したから…もう二度と、あんなチャンスは、ボクの人生に、やって来ない…」


 「…」


 「…それと、同じさ…」


 「…なにが、同じなの?…」


 「…諏訪野さんとの結婚…」


 「…どう、同じなの?…」


 「…綾乃さんに、とって、諏訪野さん以上の相手は、二度と現れない…」


 「…」


 「…そして、綾乃さんは、まだ、若い…まだ、十分、キレイだ…街を歩けば、振り向く男も、大勢いるだろう…これが、十年後だったら、難しい…」


 「…」


 「…だから、チャンス…今が、チャンスなんだ…」


 ナオキが、熱弁する…


 私は、ナオキの言うことは、わかった…


 痛いほど、わかった…


 ナオキが、本気で、私を心配しているのが、わかった…


 ナオキにとって、私は、家族…


 すでに、家族なのだ…


 血は、繋がらずとも、家族…


 同じ家族なのだ…


 だから、家族の幸せを望む…


 そして、今、ナオキの家族である私が、幸せをつかみかけている…


 それを、逃すなと、言いたいのだろう…


 ナオキの気持ちが、わかった…


 痛いほど、わかった…


 でも、無理…


 できない…


 やはり、私にとっては、ナオキ…


 いや、


 それ以上に、今の環境がいい…


 居心地が、いい…


 だから、こうしている…


 ひとりで、マンションに住んでいる…


 そういうことだろう…


 傍から見れば、どう見えるか、わからないが、自分は、今の生活に満足している…


 だから、変わらない…


 だから、変われない…


 そういうことだろう…


 伸明との結婚は、憧れるが、現実的ではない…


 心のどこかで、決断できない…


 だから、モラトリアムというか…


 今のままで、いい…


 今のままで、ずっといたい…


 そういうことだろう…


 そう、思った…


 あらためて、思った…


 そして、こんなことを、言うと、怒られるかも、しれないが、私と同世代の男女が、結婚しない理由も、わかってくる…


 なぜ、結婚しないのか、わかってくる…


 将来が、見えない…


 自分の生活が安定していない…


 等、色々理由があるかも、しれない…


 しかし、結婚しない一番の理由は、今のままがいいから…


 今の自分の生活に、不満が、ないからでは、ないか?


 だから、結婚したくないのでは、ないか?


 そう、思った…


 そう、考えた…


 そして、そう、思っていると、ナオキが、


 「…綾乃さんは、諏訪野さんのことを、どう、思っているの?…」


 と、直球で、聞いてきた…


 これには、困った…


 どう、答えていいか、困った…


 それゆえ、


 「…どう、思っていると、言っても…」


 と、はぐらかした…


 うまく、言えないからだ…


 「…諏訪野さんが、嫌い?…」


 「…それは、ないわ…」


 「…だったら、好き?…」


 私は、無言で、首を縦に振って、頷いた…


 「…だったら、結婚すれば?…」


 「…それは、できない…」


 「…どうして、できないの?…」


 「…それは…」


 「…それは…」


 「…ナオキ…子供じゃ、ないんだから、察しなさい…」


 「…なにを、察するの?…」


 「…私のような、どこの馬の骨とも、わからない女と、五井の御曹司が、結婚できるわけ、ないでしょ!…」


 私は、怒鳴った…


 自分でも、信じられないくらい、大声で、怒鳴った…


 ナオキは、私の目の前で、呆気に取られた顔をして、私を見た…


 ある意味、間の抜けた顔で、見た…


 それから、言った…


 ゆっくりと、言った…


 「…綾乃さんの本心は、それ?…」


 と、言った…


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