寿綾乃という女 第4部 78
そして、私が、そんなことを、思っていると、それが、顔に出たのだろう…
「…寿さん、どうしたの? なんだか、楽しそうね…」
と、昭子が、言って来た…
私は、どう言おうか、一瞬、迷ったが、
「…いえ、私は、運が、良かったなと、思って…」
と、正直に言った…
「…運が、良かった? 寿さんが?…」
「…ハイ…」
「…どうして、運が良かったの?…」
「…今、お話を伺って、失礼ながら、私も同じだと、思って…」
「…同じ? なにが、同じなの?…」
「…昭子さんが、義春さんではなく、建造さんと、結婚できたのが、運が、良かったと、おっしゃったように、私も、ナオキと出会えたことが、運が、良かったと、思って…」
「…」
「…ナオキ…いえ、藤原ナオキさんと出会えたことが、私の人生最大の幸運かも、しれないと、思って…」
正直に言ったが、言ってから、これは、まずかったと、気付いた…
なにしろ、相手は、伸明の母…
伸明の産みの親だ…
その伸明の産みの親が、伸明と、私が、結婚してほしいと、言っているのに、私が、ナオキを、褒めるなんて…
これでは、正面切って、ケンカを売っているのと、同じ…
同じだ…
遅まきながら、その事実に気付いた…
気付いたのだ…
だから、昭子の反応を見た…
慌てて、みた…
急いで、見た…
が、
意外や意外…
怒ってなかった…
全然、怒ってなかった…
それどころか、私の話に共感した…
私の意見に共感した…
「…寿さんの言うことは、わかる…」
と、言って、共感した…
「…私も同じ…同じ意見…」
と、言って、共感した…
「…ひとには、運命がある…うまくいくか、どうかは、わからない…努力をしても、うまく、いくか、どうかは、わからない…」
と、言った…
しんみりと、言った…
「…努力は、例えば、勉強…あるいは、スポーツでも、いい…努力をすれば、誰しも、成績が上がるし、スポーツも、うまくなる…でも、だからと言って、それが、人生を良くできるか、どうか、疑問…大きな、疑問…正直、大抵の人間が、それほど、関係ない…」
「…関係ない?…」
「…そう、関係ない…それは、寿さんが、美人であることも、同じ…」
「…どう、同じなんですか?…」
「…この世の中には、美人が、それなりにいるけれども、そのルックスを生かして、お金持ちのひとと、結婚出来たりするひとは、稀…ごく一部に過ぎない…そのルックスを生かしてタレントになれるものも、ごく少数…」
「…」
「…大抵は、誰もが、平凡な人生を送る…また、そのルックスを生かして、玉の輿に乗ったり、有名人になっても、それが、当人が、幸せになれるかとは、別…」
「…別?…」
「…だって、伸明を見れば、わかるでしょ? お金持ちに生まれたからって、決して、幸せな人生を、送っているわけじゃない…まして、伸明と結婚できたとしても、その相手が、幸せになれるか、どうかは、わからない…」
「…わからない?…」
「…そう、わからない…お金のある、なしが、幸せの基準じゃ、ないでしょ?…」
「…それは…」
「…もちろん、お金がなければ、困る…生活ができない…でも、幸せとは、違う…」
「…違う?…」
「…幸せは、心のありよう…」
「…心のありよう?…」
「…要するに、本人が、幸せと思うか、どうか?…」
「…」
「…衣食住満ち足りていれば、十分、満足というひともいれば、とにかく、上昇志向が、強いひとも、いる…ちょっとや、そっとの地位じゃ、満足できないひともいる…」
「…」
「…だから、幸せの基準は、ひとそれぞれ…傍から見て、すごく恵まれた生活をしていても、その本人が、上昇志向が、強くて、満足できなければ、ダメでしょ?…」
「…それは…」
「…寿さんが、好きなのは、その上昇志向がないこと…」
「…えっ?…」
「…そのルックスを生かして、上に行こうという気持ちがない…」
「…」
「…たぶん、和子が、寿さんを、買っている理由が、それ…そして、おそらく、伸明も、いっしょ…」
「…」
「…当人が、どう、思っているかは、どうかはわからないけれども、上昇志向が、強い人間は、傍から、見れば、すぐにわかるものよ…」
「…」
「…そして、そういう人間は、なにをしても、満足ができない…」
「…どうして、満足できないんですか?…」
「…欲望には、切りがないからよ…際限がないからよ…」
「…」
「…だから、満足できない…でも、寿さんは、真逆…だから、和子も、寿さんを推した…伸明のお嫁さんとして、推した…」
そう、言われて、どうして、いいか、わからなかった…
さっぱり、わからなかった…
たしかに、伸明には、憧れるが、私は、伸明と結婚するつもりはない…
まったくない…
それは、ナオキが、いるから…
藤原ナオキが、いるから、そのつもりは、まったくない…
だから、困った…
どう、答えて、いいか、困った…
そして、たぶん、そんな私の様子に、気付いた昭子が、
「…寿さん、別に、伸明と結婚しなくても、いいのよ…」
と、言った…
いきなり、言った…
思いも、かけないことを、言った…
「…えっ?…」
と、私も、つい、口走って、しまった…
昭子の発言に、戸惑ったからだ…
「…ただ、力になって、くれれば、いいの…」
「…どうしてですか?…」
「…いわば、応援団…なにか、あれば、伸明のために、動いてくれれば、いいの…少なくても、私は、そう、思っている…」
「…」
「…ひとは、ひとりでは、なにも、できないのよ…それは、伸明も、同じ…」
「…同じ?…」
「…別に伸明と結婚しなくてもいい…ただ、伸明の力になって、欲しいの…」
「…力に…」
「…和子が、倒れ、西家が、伸明に縁談を強要している…でも、それは、西家だけじゃない…」
「…西家だけじゃない?…」
「…そう、西家が、単独で、動いているわけじゃない…手を組む相手が、いる…当然、いる…」
「…相手? それが、誰か、知っているんですか?…」
「…たぶん、北東家…」
「…北東家?…」
「…五井の下位の八家のひとつ…その当主が、抜け目なく、やり手なの…」
「…」
「…藤原さんを、伊豆の別荘に幽閉したのも、その北東家…」
「…そこまで、ご存じだったんですか?…」
「…それが、わかったから、ここに、来た…寿さんに、会いに、ここに来た…」
「…」
ようやく、この昭子が、私に会いに来た理由を言った…
私を、待っていた理由を言った…
が、
北東家とは、なに?
北東家って、どんな家?
初めて、聞く名前だ…
私は、その名前に戸惑った…
だから、
「…北東家って?…」
と、言ってしまった…
つい、聞いて、しまった…
が、
昭子は、私の質問に、動じることは、なかった…
私の質問を、嫌がることは、なかった…
「…寿さんが、知らないのも、無理は、ないわ…」
と、あっさり、言った…
「…寿さんも、伸明やマミさんと、親しくしているかも、しれないけれども、五井で、知っているのは、東西南北の四つの分家だけでしょ?…」
「…ハイ…おっしゃる通りです…」
「…北東家とは、その名の通り、北家と東家出身の先祖が、結婚して、立ち上げた分家…ずっと、以前は、存在しなかった…新しい分家…と言っても、百年どころじゃない前にすでにあった…」
「…」
「…五井の歴史は、四百年…それゆえ、子孫もバラバラ…大勢いる…だから、一族の結束を促すために、いつの頃からか、一族同士の結婚を奨励するようになった…北東家は、その象徴…」
「…象徴…」
「…それに、なにより、実に、わかりやすいネーミングでしょ? 方角で、北東って、言えば、北と東の間に位置するから…」
と、言って、笑った…
「…今で言えば、ブラックジョークかも、しれない…そんなネーミングね…」
と、言って、笑った…
「…そして、その当主が、リンと、近い…リンと、仲がいい…」
思いがけない名前が出た…
私は、とっさに、
「…リンって、もしかして…」
と、言ってしまった…
思いがけず、言ってしまった…
「…そう…その、もしかして…」
「…リンちゃん…菊池リンちゃんですか?…」
「…その通り…和子の孫の菊池リン…あの子が、北東家の当主と組んで、伸明の結婚や、藤原さんの、結婚の誤報を、マスコミに流した…」
「…えっ?…」
「…リンひとりじゃ、いくら五井家の一族でも、マスコミは、動かせない…だから、リンの背後に誰がいるのか、探った…」
「…探った?…」
「…そう…」
その言葉で、ふと、閃いた…
この昭子の役割に気付いた…
この昭子は、両親の命令で、決して、表舞台には、立たなかった…
決して、五井を代表して、表舞台には、立たなかった…
表舞台に立つのは、当主である、建造と、この昭子の双子の妹の和子…
双子の妹ゆえに、知らないものは、和子を、当主夫人と見た…
いわば、ルックスが、同じ故に、世間を騙した…
世間を欺いたのだ…
そして、おそらく、この昭子は、裏で暗躍した…
裏というのは、決して、表舞台に立たないから…
決して、マスコミが、取材に来るような派手な舞台に立たないから…
この昭子は、その裏の舞台で、暗躍したのでは、ないか?
ふと、気付いた…
そして、それこそが、役割分担…
あの和子との役割分担に他ならない…
あの和子は、マスコミが、報道する派手な舞台に立ち、真逆に、この昭子は、決して、マスコミが、取材にやって来ないような、日の当たらない場所で、活動する…
五井のために、活動する…
具体的には、五井の一族間の調整等に、動いていたのでは、ないか?
あるいは、一族の動きを監視していたのでは、ないか?
そう、思った…
そう、考えた…
そして、そう、考えれば、納得する…
なぜ、私に、伸明の力になって、もらいたいと、言ったのか?
納得する…
ひとは、一人では、たいしたことは、できない…
だから、たとえ、結婚せずとも、伸明の力になって、欲しいと、言ったのだと、納得する…
それは、たぶん、自分が、そうだから…
自分が、決して、表舞台に立たずとも、縁の下の力持ちではないが、日の当たらない場所で、五井を支えていたからでは、ないか?
つまりは、双子の妹の和子は、表舞台で、五井を代表して、動き、姉の昭子は、日の当たらない場所で、五井のために、汗をかく…
そういうことでは、ないか?
それゆえ、今、あのリン…菊池リンが、誰と、組んで、伸明や、ナオキの結婚の偽情報を流したか、わかった…
そうでなければ、わかるはずはない…
簡単にわかるはずがない…
おそらくは、この昭子は、決して、目立たぬところで、一族と、繋がっている…
それゆえ、情報が入る…
一族の情報が入る…
そういうことでは、ないか?
私は、思った…
私は、思ったのだ…




