寿綾乃という女 第4部 7
私は、驚いて、伸明を見た…
目の前の伸明を、マジマジと凝視した…
「…このままでは、父と同じになりかねない…」
伸明が、吐露する…
「…父の建造と、同じになりかねない…」
…建造さんと、同じ?…
…それって、一体?…
私が、思っていると、伸明が、自嘲気味に笑った…
「…寿さん…ボクが、父と、同じって、なにって、聞きたいんでしょ?…そんな顔をしてます…」
「…ハイ…」
と、私は、短く言った…
何度も言うように、短い言葉なら、しゃべれるからだ…
「…では、教えましょう…」
伸明が、苦笑しながら、言う…
「…父と同じ…それは、分家に、押し切られると言うことですよ…」
…えっ?…
…分家に押し切られる?…
…どういうこと?…
私が、聞くまでもなく、伸明が続ける…
「…父も今のボクと同じ状況でした…当時、父は、まだ若く、本来、後ろ盾となる両親も、すでに、この世にいなかった…だから、若い父は、分家から、結婚を強要され、それを、受けざるを得なかった…本家にも、かかわらず、それに抗えなかった…」
「…」
「…そして、今、歴史は繰り返すでは、ないですが、まさに、繰り返している…当時は、東家が、父に結婚を強要しましたが、今は、西家が、ボクに結婚を強要している…ボクの後ろ盾である、和子おばさまが、体調を崩されて、入院しているからです…だから、父と同じで、後ろ盾がいない状態です…でも、皮肉なのは、父のときは、東家が、強引に父に結婚を、強要したのに、今は、その東家の血を継ぐ、ボクが、西家に結婚を強要されている…いわば、同じことを、繰り返している…以前は、した方…今回は、される方…攻守が、逆転しただけです…」
伸明が、自嘲気味に笑う…
「…でも、そんなに、当主が、いいのか?
と、自分でも、いいたくなる…ボクは、当主と言っても、和子おばさまが、いなければ、なにもできない…和子おばさまがいてくれるからこその当主…それでも、いいのかと、聞きたくなる…」
「…」
「…でも、まあ、本音は、当主の後ろ盾として、本家に影響力を持ちたいんでしょ? でも、そんなものは、いらない…」
「…」
「…ボクは、ボク…なにものにも、縛られたくない…」
伸明が、吐露する…
「…本音を言えば、和子おばさまにも、縛られたくない…もっと、自由になりたい…」
伸明が、続けた…
私は、それを、見て、初めて、伸明の本心に、触れたと、思った…
これまで、この伸明と二人きりで、いることは、あまりなかった…
だから、伸明の気持ちがわからなかった…
もっと、言えば、この諏訪野伸明という男が、どんな男か、知らなかった…
なにを。考えているか、知らなかった…
大金持ちのボンボンで、長身のイケメン…
まさに、非の打ちどころのない、男…
日本を、代表する企業グループ…
五井を率いる若き、五井の当主…
当主就任のときは、テレビや新聞といったオールドメディアから、ネットまで、盛んに取り上げていた…
なにしろ、見た目が、いい…
だから、画になる…
まるで、モデルや俳優の男が、日本を代表する企業グループのトップ…
さらには、そのトップは、四百年続く、一族の代表と、なる…
普通、そんなことは、ありえない…
世界中、どこの国を探しても、ありえない…
そんなことが、ありえるのは、この日本だけ…
そもそも、四百年も続く、大企業は、ありえない…
日本でも、他には、三井や住友だけ…
三菱は、まだ百五十年ぐらいの歴史しか、ないからだ…
つまり、世界でも、極めて、稀な企業グループ…
そのトップに立ったのだから、話題にならないはずはない…
が、
そのトップの人物は、今、私の前で、愚痴をこぼしている…
誰もが、憧れる、人間が、私の前で、泣き言を言っている…
これは、一体、どういうことか?
聞きたくなる(苦笑)…
誰もが、憧れる、人間…
男でも、女でも、憧れる人間…
老いも若きも、憧れる人間…
ルックスも、お金も、すべて、持って生まれた…
誰もが、そうなりたいと、願う人間…
その男が、今、私の前で、泣き言を、言っている…
それを、見ると、複雑…
実に、複雑な気持ちになる…
誰もが、憧れる人間の現状が、コレか?
と、なる…
また、一方で、伸明の気持ちもわかる…
いくら、五井の当主となっても、自分のできることは、限られる…
いかに、お金が、あり、地位があっても、できることは、限られる…
できないことは、無限にある…
神様では、ないのだから、無限にある…
今、伸明が、口にした結婚相手など、その最たるものだろう…
仮に、今言った、伸明の結婚相手の縛り…
すなわち、結婚相手を、一族の人間から、選ばなければ、ならないという縛りが、なくても、伸明は、自由に結婚相手を選べるか?
と、問われれば、それも、難しい…
いわば、伸明は、五井の天皇陛下…
仮に、天皇陛下が独身で、結婚されるとなれば、国民が、納得する人間でなければ、ならない…
そんじょそこらの人間では、無理…
家柄も良く、学歴も、あり、さらに言えば、ルックスも良くならなければ、ならない…
いくら、自分が、好きになったからと、言って、そこらへんにいる、十把一絡げの人間では、無理…
伸明は、それと、同じ…
天皇陛下と、同じだ…
天下に名の知れた、五井の当主が、どこの馬の骨とも、わからない女と結婚するわけには、いかない…
生まれも良く、お金もあり、ルックスも良い…
そんな女で、なければ、ならない…
そして、なにより、伸明自身が、気に入らなければ、ならない…
と、
そこまで、考えると、一体、どこに、そんな女がいるのか?
と、聞きたくなる…
本気で、聞きたくなる(苦笑)…
そこまで、考えると、むしろ、伸明が、一族内で、結婚相手を探すということが、むしろ、合理的というか…
一族内で、結婚相手を探せと言う方が、簡単に思える…
その方が、結婚相手を発表したときに、誰もが、納得できるからだ…
五井は、代々、一族内で、結婚相手を探すと言った方が、世間が、納得しやすいからだ…
それゆえ、そこまで、考えたとき、案外、五井のご先祖様は、そこまで、考えたのでは?
と、思った…
天皇陛下など、皇族ではないが、伸明以外でも、五井の一族となれば、結婚相手を探すのが、難しい…
それが、わかっているから、あえて、結婚相手は、一族内で、探せと、言ったのでは、ないか?
そう、気付いた…
一族といっても、四百年も、続けば、血の濃さは、他人並み…
なんの血が繋がっていない、他人並みに、薄れているからだ…
それが、わかっているから、五井のご先祖様は、一族内での、結婚を推奨したのでは、ないか?
いまさらながら、そう、気付いた…
あるいは、考え過ぎかも、しれないが、そう、思った…
そう、思ったのだ…
だから、私は、
「…伸明さん…」
と、声をかけた…
何度も言うように、短い言葉なら、話せるからだ…
また、私が、なにも、話さないと、伸明が、ここにいるのが、辛いと、思ったのだ…
いくら、私を目の前にしても、私が、なにも、話せなければ、私が、死んでいるのと、変わらない(苦笑)…
つまりは、死人を相手に、いつまでも、一人で、話しているわけには、いかない…
死人と、いう例えが、悪ければ、お墓参りと、同じとでも、言えば、いいか?
とにかく、なんの反応のない相手に、ひとりで、いつまでも、話していることは、できないからだ…
それゆえ、私は、
「…伸明さん…」
と、声をかけたわけだ…
伸明は、驚いた表情になった…
まさか、私が、伸明に、声をかけるとは、思ってみなかったのだろう…
いや、
ただ、声をかけるだけではない…
私が、伸明の名前を呼ぶとは、思っても、見なかったのだろう…
驚いた表情と、同時に、伸明の顔に喜びが見て取れた…
自分の名前を、私が、呼んだことが、嬉しかったのだろう…
「…なに、寿さん?…」
と、実に、嬉しそうに、私に、聞いてきた…
私は、それに、答えた…
「…し、心配しないで…」
と、まずは、伸明に、言った…
「…わ・た・し・は、大丈夫…」
伸明に、言うと、伸明は、私の手を、握った…
力強く、握った…
そして、
「…それは、わかっています…」
と、言った…
「…寿さんは、強い…そして、美しい…」
と、続けた…
私は、それを、聞いて、思わず、吹き出しそうだった…
私が、病気で、寝込んでいるのに、私を美しいだ、なんだ、と、言って、どうする? と、思った…
今は、女を口説くときじゃないだろうと、思ったのだ(爆笑)…
伸明は、真面目に私を元気づけるべく、言ったに違いないが、返って、笑い出す寸前だった…
が、
まさか、笑うわけには、いかない…
また、まだ、うまく、しゃべれないので、笑うことも、できなかった…
これが、功を奏した…
ただ、やはり、笑いが、私の表情に、出たらしい…
私が、笑っている顔になったのだろう…
「…寿さん…なにを、笑っているの?…」
と、伸明が、不思議そうに、私に聞いた…
私は、どう言おうか、一瞬、悩んだが、正直に、
「…伸明さん…まさか、私を口説いているの?…」
と、言った…
私の言葉に、
「…えっ?…」
と、言って、伸明が、固まった…
それから、
「…どうして、寿さん、いきなり、そんなことを…」
と、続けた…
私は、軽く笑いながら、
「…だって、こんな状態で、私を、美しいのなんのって…」
と、言った…
伸明が、固まった…
「…ここは、病室…女を口説くところじゃないですよ…」
私は、言った…
自分でも、思いもかけないほど、長い言葉を言った…
自分で、自分に、驚いた…
まさか、ここまで、長い言葉をしゃべれるとは、思わなかったからだ…
私の言葉を、聞いて、眼前の伸明も、また、驚いたようだ…
「…寿さんが、そんな長い言葉を、しゃべれるなんて…」
と、絶句した…
それから、一呼吸置いて、
「…よかった…」
と、喜んだ…
実に、嬉しそうな、表情になった…
それを、間近に見ていた私もまた、驚いた…
まさか、伸明が、これほど、喜ぶとは、思っても、見なかったからだ…
なにより、伸明の表情を、見て、驚いた…
表情は、隠せない…
伸明の表情は、私が、今、話せたことを、心の底から、喜んでいる表情だったからだ…
明らかに。演技ではなく、心の底から、私の回復を喜んでいた…
そして、私は、そんな伸明の表情を見て、複雑な気分になった…
もちろん、私は、伸明が、嫌いではない…
が、
好きかと、言われれば、言葉に詰まる…
あえて、言えば、人間として、好きとでも、言えば、いいのか?
男として、好きかと、問われれば、返答に詰まる…
そんな感じだったからだ…
伸明の持つ、財産等は、憧れるが、それと、これとは、別…
別に捉える…
別に考える…
それは、思うに、私が、癌患者だから…
余命いくばくも、ないから、かも、しれない…
あの世には、お金を持ってゆけない(笑)…
だから、男の持つ、金銭や、ルックスだけではなく、本質を見る…
本気で、私を好きなのか?
見るからだ…
そして、今、おそらく、この伸明が、本気で、私を好きのが、わかった…
だから、動揺した…
激しく、動揺した…
こんな気持ちは、初めてだった…
32年、生きてきて、初めてだった(苦笑)…
しかも、その場所が、病室…
こんなドキドキした気持ちがしたのが、病室…
私が、入院している病室…
もはや、笑っていいのか、それとも、泣いていいのか。わからない状態だった…
少なくても、ロマンスを育む場所では、なかった…
恋が、生まれる場所では、なかった(苦笑)…




