寿綾乃という女 第4部 68
だが、待て…
五井は、そんなに、FK興産の株を持っていただろうか?
たしか、そんなに、持っていない…
せいぜい、30%も、持っていなかったはずだ…
それを、思い出した…
大半は、有していない…
五井は、半分も、FK興産の株を持っていない…
それを、思い出したのだ…
それゆえ、
「…ねえ、ナオキ…」
と、話しかけた…
「…五井は、FK興産の株を、そんなに、持っていないでしょ?…」
と、話しかけた…
目の前のナオキは、缶チューハイを飲むのを、やめて、私を見た…
「…たしかに、綾乃さんの言う通りだ…」
と、言いながら、私を見た…
「…それなら、株主が、変わったところで、社長のナオキが、会社から、追放されるはずが、ないでしょ?…」
私が、言うと、ナオキは、無言で、私を見た…
真剣な表情で、見た…
それから、
「…たしかに、綾乃さんの言う通りだ…」
と、再び、同じことを、言った…
「…五井は、株で、言えば、ホワイトナイトのようなものだった…」
「…ホワイトナイト? なに、それ?…」
「…会社が、どこかの企業から、買収されかけたとき、その会社に有利に、その会社の株を、買い取ってくれる企業のことさ…」
「…なに、それ? もっとわかりやすく、説明して…」
「…わかりやすくといっても…そうだ…例えてみれば、綾乃さんだ…」
「…私?…」
「…そう、例えば、綾乃さんが、誰かと結婚していて、別れなければ、ならなくなる…そして、別の誰かと結婚しなければ、ならなくなる…そしたら、少しでも、自分の有利な条件で、相手と結婚したい…それと、同じだ…」
「…どう、同じなの?…」
「…仮にFK興産が、売られるとしても、少しでも、有利な条件で、売りたい…五井は、その点で、言えば、ボクにとって、有利だった…FK興産の株を買っても、経営に一切、口を挟まなかったからだ…でも、五井が、株を売れば、その株を買った株主は、経営に口を挟んでくるだろう…たとえ、ボクをクビにしなくても、ひとを送りこんできて、取締役にして、経営に口を挟んでくるだろう…つまりは、これまでのように、いかなくなってくる…ボクの意思が、通らなくなってくる…」
ナオキは、そう激白した…
激白して、一気に、缶チューハイを飲み干した…
「…綾乃さん、もう一本…」
ナオキが、要求する…
私は、ナオキに言われて、席を立ち、冷蔵庫の中から、缶チューハイを取り出した…
そして、それを、ナオキの前に出した…
「…ありがとう…」
と、ナオキは、言って、受け取ると、早速、缶を開けて、飲み出した…
どこかで、見た光景だった…
既視感というか…
これと、同じ、光景を最近、見た覚えがある…
どこで、見たのだろうか?
考えた…
そうだ、伸明だ…
伸明の自宅だ…
伸明の見合いの後だ…
伸明は、冷蔵庫から缶チューハイを、取り出して、飲んだ…
今のナオキと、同じように、飲んだ…
似ている…
実に、似ている…
そう、思った…
このナオキと、伸明は、つくづく似ている…
長身で、イケメン…
性格も、おとなしい…
また、二人とも、頭も良い…
だから、気が合う…
気が合うのだろう…
そんな二人だから、気が合うのだろう…
そう、思うと、なんだか、楽しくなった…
楽しくなって、つい、ニヤリと笑ってしまった…
それを、ナオキは、見逃さなかった…
「…綾乃さん、なにを、笑っているの?…」
と、言った…
私は、笑いながら、
「…ナオキと伸明さんって、ホント、似ている…」
と、言った…
「…似ている? …ボクと、諏訪野さんが?…」
「…そう、似ている…」
「…どんなところが、似ているの?…」
真顔で、聞いてくる…
「…二人とも、長身で、イケメン…頭もいい…でも、おとなしい…」
それを、聞くと、ナオキは、無言で、缶チューハイをグイッと、飲んだ…
そして、缶から、口を離して、呟く…
「…綾乃さんの言うことは、わかる…」
と、しみじみ、呟いた…
「…ボクと諏訪野さんは、似ている…」
と、呟く…
「…例えば、中学や高校で、同じクラスにいれば、真っ先に、友達になるタイプだ…」
「…」
「…たぶん、だからかな…諏訪野さんは、FK興産の株を入手しても、FK興産の経営に口を挟まなかった…きっと、ボクに遠慮していたんだろう…」
それから、私を見た…
まっすぐに、私を見た…
そして、
「…いや、ボクだけじゃない…綾乃さんも、いるからかな…」
と、付け加えた…
「…私が、いるから? どうして、私が、いるからなの…」
「…諏訪野さんが、綾乃さんを、好きだからさ…」
「…」
「…綾乃さんだって、それは、わかっているだろ?…」
「…それは…」
「…わかっているけれども、答えられない…でしょ?…」
「…」
「…誰だって、好きな女の嫌がることは、しない…いや、女だけじゃない…男も、同じ…好きな人間の嫌がることは、男女を問わず、やらない…」
「…」
「…でも、それは、諏訪野さんの弱さかも、しれない…」
「…弱さ?…どうして、弱さなの?…」
「…経営者である以上、もっと、冷酷であるべきだ…もっと、冷徹であるべきだ…」
「…どういうこと?…」
「…ホントは、諏訪野さんの立場なら、FK興産を、乗っ取るべきか、はたまた、今ある、FK興産の株を全株、売却して、FK興産から、手を引くのが、賢明だと、思う…」
「…どうして、そう思うの?…」
「…もっていても、たいしたメリットは、ないからさ…」
「…」
「…だから、手に入れるか、売却するかの、二択…それ以外の選択肢はない…」
「…」
「…でも、それを、しないのは、諏訪野さんの優しさだけれども、それが、同時に、諏訪野さんの弱さだと、思う…」
「…」
「…いいひとだけれども、それでは、経営者失格だ…」
ナオキが、言う…
初めて、ナオキが、伸明を批判した…
私は、驚いたが、さもありなんとも、思った…
なにより、このナオキの言うことは、正論…
正論だからだ…
だから、悪気はない…
ただ、冷静に、経営者としての伸明を評価しただけだからだ…
私は、そう、考えた…
そして、そう、考えてから、
「…だったら、ナオキ…アナタは、伸明さんの立場なら、どうするの? 社長のアナタをクビにする? それとも、株を売る…」
私が、言うと、ナオキが、呆気に取られた顔で、私を見た…
まじまじと、見た…
それから、少し、考えてから、
「…たぶん、どっちもできない…」
と、首を横に振った…
「…諏訪野さんと、同じ…宙ぶらりんのままだ…」
と、言って、笑った…
次いで、
「…だから、かも、しれない…」
と、言った…
「…なにが、だからかも、しれないの?…」
「…会社が、大きくならないこと…」
「…どういうこと?…」
「…ボクが、もっと、やり手なら、従業員が、今の千人から、すぐに、二千人、三千人と、なっているはずだ…それが、できないのは、やはり、ボクが、無能のせい…」
「…無能のせい?…」
「…いずれにしろ、中途半端な男だよ…」
ナオキは、そう言ってから、また缶チューハイを飲んだ…
それから、
「…申し訳ないが、諏訪野さんも、そう…ボクと同じだ…中途半端だ…経営者として、冷徹になれない…もっとも、ボクは、だから、彼のことが、好きなのかも、しれない…経営者として、冷徹になれないから、好きなのかも、しれない…」
「…」
「…真逆に、経営者として、冷徹な人間なら、その経営者も、また、人間として、冷徹…冷たい人間だろう…普段は、いつも、温厚で、経営のときだけ、冷徹な人間はいない…そういう人間は、根っこが、冷たいのさ…」
「…」
「…綾乃さんも、諏訪野さんが、好きなのは、彼が、冷徹な人間じゃないからだろ?…」
「…それは…」
「…いや、いいんだ…そんな綾乃さんだから、好きになれる…諏訪野さんを、好きな綾乃さんだから、好きになれる…」
「…」
「…誰だって、自分が好きな人間が、ただ、相手が、金持ちだったりするだけで、その人間にすり寄ろうとするのを、見れば、幻滅するよ…」
「…幻滅…」
「…ボクの好きな綾乃さんには、そんな理由で、諏訪野さんを、好きになって、もらいたくない…それが、偽らざる真実…」
ナオキは、そう言うと、缶チューハイを一気に飲み干した…
そして、
「…綾乃さん、もう一本…」
と、私に、言った…
「…ナオキ…そんなに、飲んでいいの?…」
「…いいの…誰だって、酔いたくなるときがある…」
そう、言われると、なにも、言えなかった…
なにも、言い返せなかった…
それゆえ、ナオキに言われた通り、冷蔵庫から、缶チューハイを、もう一本取り出した…
そして、それを、ナオキの前に出した…
「…ナオキ…これで、最後にして…」
と、言って、出した…
「…ありがとう…」
ナオキは、言って、缶チューハイを、飲み出した…
ただ、酔いたい…
それが、すべてだと、わかった…
ただ、自分の置かれた状況を、忘れたいのかも、しれない…
それが、ナオキの今日の酒の飲み方に現れていた…
いつものナオキではない…
いつもの、ナオキの飲み方ではない…
が、
私は、それを、許した…
誰だって、酔いたいときがある…
酔って、すべてを、忘れたいときが、ある…
それは、この私だって、例外ではない…
この寿綾乃だって、例外ではないからだ…
ただ、そんなナオキを近くで、見ているのは、嫌だった…
それゆえ、そっと、ナオキの元を離れ、自分の部屋に行った…
自分の部屋に行き、ベッドに横になった…




