寿綾乃という女 第4部 65
それから、菊池リンは、目の前の残ったコーヒーを一気に飲み干した…
そして、
「…それは、あるかも、しれない…」
と、独り言のように、呟いた…
「…綾乃さんの言う通りかも、しれない…」
と、呟いた…
「…これまで、そんなこと、考えたことも、なかったけれども、その通りかも、しれない…」
そう、言って、再び、沈黙した…
しばし、沈黙した…
それを、見て、私は、
「…菊池さんのおばあさまなら、ご存じかも、しれない…」
と、言った…
「…五井の歴史に詳しいでしょうから…」
そして、そんなことを、言いながら、やはり、それでは、私は、伸明のお嫁さんの適性は、ない…
ふと、思った…
なぜか、思った…
いや、
元々、そんなものは、あるわけはない…
が、
以前、今、目の前の菊池リンの祖母、諏訪野和子は、真剣に、私を、伸明と、結婚して、欲しいと、願った…
私に頼んだ…
その姿勢に、ウソは、なかった…
明らかに、ウソは、なかった…
しかし、今、この目の前の菊池リンに、言ったように、仮に、私と結婚すれば、それは、五井の血の掟に反している…
一族同士、結婚しろと、命じた、五井の血の掟に反している…
まして、伸明は、当主…
五井家の当主だ…
にもかかわらず、その血の掟を破ってまで、あの和子は、私を伸明と結婚させようとした…
それは、一体、なぜなのか?
それが、疑問だった…
実に、疑問だった…
だが、それを、この菊池リンは、知っているのだろうか?
その答えを知っているのだろうか?
ふと、思った…
ふと、気付いた…
少し、考えたが、これは、聞いてみるに限る…
そう、思った…
だから、
「…菊池さん、ひとつ、聞いて、いい…」
と、話しかけた…
わざと、話題を変えた…
「…菊池さんは、知っているか、どうかは、わからないけれども、以前、アナタのおばあさまは、真剣に、私と伸明さんを結婚させようと、したことがあったの…」
私は、言った…
「…菊池さん、ご存じ?…」
「…ハイ、知ってます…」
「…でも、今、菊池さんと話していて、あらためて、五井の結婚の掟…一族内で、結婚相手を探しなさいという掟と、私が、伸明さんと、結婚するとなると、その掟は、破られる…五井家の当主の結婚にも、関わらず、破られる…これは、一体、どうしてだか、わかる?…」
私が、聞くと、菊池リンは、悩んだ…
悩んで、沈黙した…
それから、しばし、沈黙してから、
「…たぶん、おばあさまの贖罪…」
と、言った…
「…贖罪?…」
私は、聞いた…
あまりにも、意外な言葉だったからだ…
「…おばあさまは、建造さんに、負い目があったんだと、思います…」
「…建造さんに負い目って、一体?…」
「…伸明さんの母親の昭子さん…和子おばあさまの双子のお姉さまの昭子さんのことです…」
「…」
「…噂では、いろいろ聞いてますが、結局は、建造さんが、貧乏くじを引く形で、昭子さんと、結婚した…それを、和子おばあさまは、すまないと、建造さんに、思っていたそうです…」
「…」
「…でも、建造さんが、生きている間は、おばあさまは、建造さんに、なにも、できなかった…でも、綾乃さんは、建造さんの、昔、好きだった女性の娘さんでしょ? だから、建造さんへの贖罪の意味で、おばあさまは、伸明さんと、綾乃さんを、結婚させたかった…そう、聞いています…」
それでか?
この菊池リンの説明で、納得した…
なぜ、あの和子が、私と伸明を結婚させようとしたのか?
あらためて、納得した…
たしかに、それならば、わかる…
実に、わかる…
伸明の実母の昭子は、奔放…
実に、奔放な女性だった…
すでに、建造と結婚したときに、伸明を身籠っていた…
つまり、伸明は、建造の子供ではない…
にもかかわらず、建造は、自分と血が繋がった息子の秀樹ではなく、伸明を自身の後継者として、推した…
秀樹では、五井をまとめられないと、判断したからだ…
秀樹は、ずるがしこく、当主の器ではなかった…
それゆえ、建造は、自分の息子ではなく、伸明を推した…
それを、和子は、恩にきたのだろう…
和子にしてみれば、姉の子供である伸明と秀樹は、同じ甥だが、自分の実子でない伸明を後継者に推してくれた、建造に恩を感じたのだろう…
そして、本物の寿綾乃は、その建造の娘…
私の従姉だ…
それゆえ、私と、建造は、なんの血の繋がりはないし、それを、和子は、知っていた…
にもかかわらず、私を、伸明と結婚させようとしたのは、やはり、建造の恩に報いるため…
たとえ、私が、建造と血が繋がっていなくても、生前の建造は、私を実の娘のように、扱った…
それを、知っていたのだろう…
それゆえ、私を伸明と結婚させようとした…
そういうことだ…
すべては、亡くなった建造の恩に報いるため…
そのためだろう…
今さらながら、思った…
今さらながら、気付いた…
そして、私が、そんなことを、考えていると、
「…おばあさまが、こんなことになって…」
と、目の前の菊池リンが、嘆いた…
「…おばあさまも、人間だから、いずれは、いなくなるとしても、早すぎる…」
菊池リンが、吐露する…
「…まだ、伸明さんは、五井の当主に就任して、日が浅い…それなのに、後ろ盾のおばあさまが、こんなことになるなんて…」
菊池リンが、嘆いた…
私は、内心、
…その通り…
その通りだと、思った…
伸明が、当主就任したにも、かかわらず、今の時点で、和子がいなくなるのは、痛い…
伸明の後ろ盾がいなくなるのは、痛い…
が、
それ以上に、この菊池リンには、聞きたいことが、あった…
そして、つい、この菊池リンに、
「…アナタの後ろ盾は、誰?…」
と、直球で、聞いてしまった…
つい、口がすべったというか…
まあ、いずれは、聞くつもりだったことを、聞いてしまった(苦笑)…
私の質問に、彼女は、驚いた表情をしたが、すぐに、
「…やっぱり、そう、きましたか?…」
と、笑った…
不敵に笑った…
「…やはり、アナタの後ろにいるのは、あの西家夫妻…」
私が、言っても、彼女は、答えなかった…
ただ、笑っていた…
ただ、笑って、ごまかしていた…
「…菊池さん、伸明さんと、ナオキの結婚のガセ情報をマスコミの方たちに、流したそうね…」
私が、言っても、彼女は、笑ってごまかした…
「…無理ですよ…」
と、言って、笑って、ごまかした…
「…私をいくつだと、思っているんですか? まだ24歳ですよ…つい、この前、大学を出たばかりですよ…そんな、年端もいかない女のコの話を、誰も、まともに、受け取っては、くれませんよ…」
「…それは、菊池さんだけならね…」
「…どういうことですか?…」
「…例えば、菊池さんの背後に、あの西家夫妻が、いれば、マスコミの関係者も会ってくれる…でしょ?…」
「…」
「…もちろん、菊池さん、ひとりの力では、無理…できない…誰かの後ろ盾あってこそ…」
私が、言うと、菊池リンが、笑った…
無邪気に、笑った…
「…それは、そうですよ…私個人に、力なんて、ありません…仮に、私が、綾乃さんの言うように、マスコミに接触して、伸明さんや、社長の藤原ナオキさんの結婚のガセ情報を流したとしても、私と接触したマスコミの方は、私ではなく、私が、まずは、五井家の人間だと、認識して、会ってくれます…」
「…」
「…ただの24歳の女に、会ってくれる、マスコミのお偉いさんは、いませんよ…」
「…」
「…いえ、マスコミだけじゃない…他の会社だって、そう…どこも、同じ…私が五井の人間だから、会ってくれる…でしょ?…」
そう、言われると、なんとも、言えなかった…
実に、正論…
反論できないほど、正論だったからだ…
が、
私には、疑問があった…
それは、ともかく、なぜ、今、この菊池リンが、この場に現れたのか?
なぜ、私に会いにやって来たのか?
それが、わからなかったからだ…
だから、素直に、それを、口にした…
ハッキリと、言った…
「…菊池さん、今日は、どうして、私に会いにやって来たの?…」
と、聞いた…
私の直球の質問に、彼女の顔が、強張った…
いずれ、聞かれるであろうことは、わかっているはずだろうが、いざ、聞かれて、同様したというか…
それが、彼女、菊池リンの表情に、現れた…
見事なまでに、現れた…
彼女は、動揺したままの表情で、言った…
「…綾乃さん、動きすぎです…」
と、動揺した表情のまま、言った…
「…動きすぎって?…」
「…伸明さんを、サポートし過ぎです…」
「…伸明さんをサポートって?…」
「…伸明さんの見合いの席に、いっしょにいたのが、その証拠です…」
「…証拠?…」
「…そうです…」
そう、言われて、気付いた…
おそらくは、私に会いに来た目的は、私を伸明と会わせないことだと、気付いた…
たぶん、その目的は、伸明を孤立させるため…
孤独な伸明は、私を頼りにしている…
精神的な支柱にしている…
それゆえ、私を排除したい…
伸明を孤立させたいんだと、気付いた…
となれば、やはり、この菊池リンの背後にいるのは、あの西家夫妻…
五井西家夫妻なのだろうか?
考えた…
あのとき、伸明の見合いのとき、伸明と血の繋がりも、なにもない、私が、伸明の側で、見合いの席に参加した…
本家の側の人間として、参加した…
それが、許せないのかも、しれなかった…
五井一族でも、なんでもない私が、あの席にいたのが、許せないのかも、しれなかった…
それゆえ、それを、この菊池リンに言わせた…
あの西家夫妻が、言わせた…
そう、思えば、納得する…
実に、納得する…
そう、思った…
そう、思ったのだ…




