寿綾乃という女 第4部 59
だから、和子は、敵…
一度は、敵として、私やナオキと、対峙した…
和子と対峙した…
が、
和子は、FK興産が、手に入らないと、わかると、あっさり、引き下がった…
FK興産に執着しなかった…
それは、あくまで、伸明の当主就任の手土産にしたかった…
その程度の、執着だったからだ…
それゆえ、あっさりと、引き下がった…
が、
その和子がいなくなれば、今後は、どうなるか、わからない…
さっぱり、わからない…
すでに、株は、握られている…
五井に握られている…
それゆえ、和子が、なくなって、五井家内部のパワーバランスが、崩れれば、どうなるか、わからない…
たしかに、当主は、伸明だが、どうなるかは、わからない…
和子は、当主の伸明を支えたが、この後は、どうなるか、わからないからだ…
仮に、
仮に、だ…
あの西家の当主が、力を持ったら、どうなるか?
おそらく、当主である、伸明を差し置いて、五井家の中で、振る舞うだろう…
我が物顔で、振る舞うだろう…
そうなれば、伸明は、五井家をコントロールできなくなる…
当主で、あるにも、かかわらず、コントロールできなくなる…
これは、歴史が、証明している…
当主は、五井家の中の最高権力者だが、実際は、配下の者の方が、一族の中で、権力を持っていることが、ある…
現に、今も、当主の伸明より、和子の方が、力を持っている…
また、そんな例は、数多ある…
これは、歴史が、証明している…
その好例は、鎌倉幕府…
名目は、将軍が最高権力者だが、実際は、執権の北条氏が、代々、最高実力者だった…
幕府の一番の権力者だった…
つまり、将軍は、名目だけ…
初代の源頼朝は、最高権力者だっただろうが、彼だけだ…
将軍という地位にありながら、その地位にふさわしい権力を持っていたのは、彼だけだ…
そして、当時の事実上の最高権力者である、執権も、最後の方は、名目だけ…
将軍と同じく、名目だけ…
幕府内部での権力は、なかったと、言われている…
つまりは、地位と権力は、一致しない…
これを、伸明に当てはめれば、五井家の当主にも、かかわらず、当主の権力がない…
あのとき、和子は、FK興産の取得を簡単に諦めたが、この後は、どうなるか、わからない…
伸明を差し置いて、FK興産を、五井グループに取り込もうとしても、おかしくは、ないからだ…
だから、目の前のナオキは、それを、恐れている…
和子亡き後の五井が、どう出るか?
恐れている…
場合によっては、FK興産に牙を剥く可能性だって、ある…
私や、ナオキに牙を剥く可能性だって、あるからだ…
だから、ナオキは、恐れているわけだ…
私は、そんなナオキを見て、
「…ナオキ…怖いの?…」
と、聞いた…
直球で、聞いた…
「…怖い? なにが、怖いの?…」
「…FK興産から、追放されること…」
私が、ハッキリ言うと、ナオキが、驚いて、私を見た…
私の顔を直視した…
それから、缶ビールをあおった…
一気に、あおって、飲んだ…
そして、言った…
「…それは、怖いよ…」
と、言った…
「…どうして、怖いの?…」
「…どうしてと、言われても…」
ナオキは、戸惑った…
戸惑って、すぐに、言葉が、出なかった…
それから、ゆっくりと、一言、一言、話し出した…
言葉を選びながら、話し出した…
「…ボクは、サラリーマンなんだよね…」
いきなり、言った…
予想外のことを、言った…
これは、意外だった…
あまりにも、意外過ぎた…
それゆえ、
「…ナオキ…ちょっと、アナタ、サラリーマンって、どういうこと? アナタが、今のFK興産を作ったんでしょ? 会社を起業したんでしょ? それが、どうして、サラリーマンなわけ?…」
と、私は、言った…
当たり前のことを、言った…
が、
ナオキの回答は、意外なものだった…
「…それは、もちろん、綾乃さんの言うことは、わかる…ボクが、言いたいのは、メンタル面…」
「…メンタル面って?…」
「…小さいながらも、会社を作って、それが、大きくなり、世間様に認められるように、なった…従業員も、千人を超え、五井と提携してからは、業績も安定している…だから、怖い…」
「…なにが、怖いの?…」
「…サラリーマンが、リストラに遭うように、ボクも、会社を失うのが、怖い…」
「…どうして、怖いの? ナオキ、例えば、アナタが、FK興産から、追放されても、お金は、あるでしょ? それを、元に、また、事業をすれば?…会社を興せば、いいじゃない?…」
「…それは、無理だよ…」
「…どうして、無理なの?…」
「…昔、FK興産を創業したのは、二十年前…まだ、大学生のときだ…だから、若かった…それゆえ、世間知らずで、無茶が、できた…でも、この歳だと、怖くなる…」
「…どうして、怖くなるの?…」
「…たぶん、大人になったからだろう…」
「…どういう意味?…」
「…果たして、会社を興して、うまくいくか? うまくいかないか? それを、考える…もっと、言えば、失敗したときのリスクを先に考えるようになる…」
「…」
「…若いときは、それとは、真逆…成功したときのことを、イメージする…だから、怖くない…起業が、怖くない…失うものも、ないからね…」
「…失うもの?…」
「…そう…例えば、FK興産から、追い出されても、FK興産のボクの持ち株を五井に売却すれば、百億を超える大金が、手に入りだろう…だったら、それを、元手に、例えば、ボクの好きな日本料理やイタリアンレストランを始めれば、いいと、気軽に考えるものが、いるかも、しれない…でも、事業というのは、そんな簡単なものじゃない…ハッキリ言って、うまくいくか、どうかは、博打…」
「…博打?…」
「…そう、博打だ…ボクは、たまたま、うまくいった…だからと言って、次は、うまくいくかどうかは、わからない…だから、FK興産から、出たくない…これは、サラリーマンと、同じ…新しい環境で、うまくいくか、どうかは、わからないから、会社を出たくない…それと、同じだ…」
私は、それを、聞いて、なんだか、ガッカリしたというか…
ナオキの言っていることは、わかるが、正直、落胆した…
少しばかり、落胆した…
なぜなら、一から、会社を創業した藤原ナオキが、自分が、サラリーマンだと、宣言したこと…
たぶん、そのことに、幻滅したのだ…
いわゆる、チャレンジ精神…
それよりも、守りに入った…
その事実が、私を落胆させたのだ…
ナオキの言うことは、わかるが、私を落胆させたのだ…
だから、
「…ナオキ、アナタ、今、いくつ?…」
と、聞いた…
いや、
言った…
わざと、言った…
「…綾乃さん、なにを、いきなり? 綾乃さんだって、ボクの歳は、わかっているだろ? なにを今さら?…」
「…おじいちゃんみたいなことは、言わないの…」
「…おじいちゃんって?…」
「…ナオキ、アナタ、守りに入り過ぎ…」
「…」
「…ナオキの言うことは、わかる…十分、過ぎるほど、わかる…でも…」
「…でも、なに?…」
「…サラリーマンだって、大抵は、リストラは、予想外のひとが、大半でしょ? 誰もが、たぶん、自分は大丈夫って、高を括っているひとが、大半よ…」
「…」
「…つまり、なにを言いたいかと言えば、なるようにしか、ならないってこと…」
「…どうして、そう思うの? 綾乃さん…」
「…だって、リストラって、要するに、クビでしょ? 例えば、私が、クビを宣告されたら、まずは、そのクビを撤回できないか、聞いて、見る…それで、無理なら、条件闘争…」
「…条件闘争って?…」
「…要するに、お金…退職金よ…お金よ…少しでも、会社から、多くもらって、辞める…それしか、ないでしょ?…」
私が、言うと、ナオキが呆気に取られた…
それから、すぐに、
「…やっぱり、綾乃さんだ…」
と、笑った…
「…すごく、現実的…転んでも、ただでは、起きない…」
ナオキが、実に楽しそうに、笑った…
「…女の方が、現実的なのよ…」
私は、言ってやった…
「…真逆に、男は、ロマンチスト…」
「…ウソ?…」
「…ホント…女が、ロマンチストなのは、若いときだけ…学生時代だけ…」
「…ウソ?…」
「…ホント…昔、母が言っていたわ…」
「…なんて、言っていたの?…」
「…母が、若いとき、テレビ番組で、アナタの初恋のひと、探しますって、番組があったんだって…でも、その番組に応募するのは、皆、男だって、言っていた…」
「…どうして、男なの?…」
「…要するに、ロマンチストなのよ…男って…だって、五十や六十になったオジサンや、オバサンが、今さら、初恋のひとと会っても、なにか、あるわけじゃないでしょ? でも、男は、会いたいと思うひとが、いて、女は、皆無…今さら会っても、仕方がないと、考える…現実を考える…」
「…なるほど…」
「…ナオキ…今、アナタは、女になっちゃっているのよ…」
「…ボクが、女に? どうして?…」
「…リアルな現実だけ、考えてる…」
「…」
「…リアルな現実を、見るのは、いいけど、悲観的に見ちゃ、ダメ…悪いことばかり、考えちゃ、ダメ…」
「…」
「…それでは、現実と、向き合えない…」
私が、力強く言うと、ナオキが、唖然として、私を見ていた…
あまりにも、力説するから、唖然としたのだろうか?
「…綾乃さん、強い…」
ナオキが、言う…
「…病気が、私を強くしたのよ…」
「…病気が?…」
「…だって、癌が発見されたり、ジュン君のクルマに轢かれたり、私の人生、滅茶苦茶、大変でしょ? だから、暗いことは、考えない…極力、明るいことばかり、考える…そうでなければ、生きてゆけない…でしょ?…」
「…それは…」
「…ナオキ、例えば、アナタが、会社を追放されても、命まで、取られるわけでは、ないでしょ?…」
「…そこまでは…」
「…お金だって、たくさん、もらえる…ナオキの持つ、FK興産の株を売れば、たくさんの金になる…決して、裸同然で、FK興産から、放り出されるわけではない…」
「…」
「…そう、考えれば、気が楽になるでしょ?…」
私が、言うと、マジマジと、ナオキは、私を見た…
たぶん、唖然として、私を見た…
そして、言った…
「…なんというか、綾乃さんには、いつも、圧倒される…」
と、言った…
まるで、私を怪獣か、なにかを、見るように、言った…
「…いつも、ポジティブ…どんなことが、あっても、へこたれない…まさに、寿綾乃の面目躍如だね…」
「…誰も、私を助けて、くれないからよ…」
「…綾乃さんを、助けてくれない?…」
「…そうよ…これが、きっと、もっと、周囲から、愛される女なら、綾乃さん、綾乃さんと、いろいろな人から、手を差し伸べてもらえるんだけれども、私には、無理…」
私が、しおらしく、言うと、ナオキが、缶ビールを飲みながら、プッと、ふいた…
「…綾乃さん、笑わせないで…」
「…笑わせる? どこが、笑わせるの?…」
「…強い綾乃さんに、助けはいらない…」
「…なんですって?…」
「…周囲から、助けてもらえるのは、弱い女…弱い男…強い女と、強い男を、誰も助けない…だから、自分で、なんとか、するしか、ない…」
ナオキが、笑いながら、言った…
「…それは、ちょうど、仮面ライダーや、ウルトラマンと、同じ…普段強い、彼らを助けることができるひとは、皆無…誰も、いない…」
ナオキが、言う…
笑いながら、言う…
言われてみれば、その通り…
その通りだが、頭に来た…
実に、頭に来た…
思わず、ナオキをぶん殴りたくなるほど、頭に来た…
が、
さすがに、殴ることは、できない…
暴力をふるうことは、できない…
代わりに、ナオキに、
「…ナオキ…アナタ、言葉に気をつけなさいよ!…」
と、言った…
凄んだ…
すると、私の視線を感じた、ナオキが、シュンとなった…
瞬く間に、シュンとなった…
いつものこと…
いつものことだった…
私とナオキの間のいつものことだった(笑)…




