寿綾乃という女 第4部 58
私は、ナオキを会社に送り出した後、ひとりで、ゆっくりと、缶コーヒーを飲みながら、そんなことを、考えていた…
伸明のこと、そして、諸々のことを、考えていた…
そして、なにより、お金の問題も、そうだが、伸明が、私に惹かれるのは、たぶん、生まれが、違うから…
育った環境が、違うから、私が、新鮮…
新鮮に映るのでは?
とも、考えた…
おそらくは、伸明の周囲に、私のような女は、いないに違いない…
私のような環境で、育った女は、いないに違いない…
だから、惹かれる…
だから、私が、好き…
たぶん、それが、真実…
真実なのだろう…
あらためて、気付いた…
ゆっくりと、朝、ひとりで、缶コーヒーを飲みながら、気付いた…
誰もが、そうだが、これまで、見たことも、聞いたことのないものは、新鮮に映る…
これは、人間に限らず、クルマでも、なんでも、そう…
例えば、私は、クルマに詳しくはないが、それでも、ロールスロイスの名前は、知っている…
だから、どこかを、歩いていて、誰かが、
「…あっ! ロールスロイス!…」
とでも、言えば、つい、振り返ってしまう…
振り返って、見て、しまう…
それと、同じだ…
まったく、同じだ(笑)…
自分とは、まったく、違う環境で、育った女…
それゆえ、伸明は、私に惹かれたのだろう…
あらためて、気付いた…
そんな簡単なことに、気付いた…
それゆえ、私は、あのハルカと、同じ…
同じだ…
伸明が、自分が、持っていないから、惹かれる…
それと、同じだ…
伸明は、基本、おとなしいから、勝気なハルカに、惹かれる…
同じく勝気な私に惹かれる…
そして、裕福でなかった環境で育った私に惹かれる…
そういうことでは、なかったのだろうか?
あらためて、気付いた…
これは、誰にも、ありがちなこと…
ルックスのよくない男女が、ルックスの良い男女に憧れたり、学歴のない男女が、学歴の高い男女に憧れたりする…
要するに、自分にないものを、相手が、持っている…
だから、憧れる…
憧れるのだ…
私の場合は、金持ちが、貧乏人に憧れるから、普通は、あまり、考えられないが、伸明のように、大金持ちのボンボンには、返って、私のような貧乏人が、新鮮に映るのだろう…
私のような一般人が、新鮮に映るのだろう…
そう、思った…
そう、思ったのだ…
そして、そんなことを、考えると、見えてくるものがある…
あるいは、これまで、考えたことがなかったことが、見えてくると言えば、おおげさ過ぎか?
いずれにしろ、そんなことは、考えたことが、なかった…
なかったのだ…
そして、こんなことを、考えるようになると、これから、伸明と接する私の態度が、違ってくる…
いや、
伸明だけではない、マミさんに対する態度も、違ってくるのではないか?
漠然と、そう、思った…
そう、思ったのだ…
結局、その日は、終日、家で、過ごした…
この前の三日間と、同じだった…
ベッドやソファで、一日中、ゴロゴロしていた…
私は、今、32歳…
花が枯れてゆくというと、おおげさだが、そんな32歳の女が、ただ、ジッと、家で過ごすには、どうかと、思う…
我ながら、思う…
花の命は、短い(笑)…
これを、よく、昔のひとたちは、女のルックスに例えたものだと、聞く…
花の命が、短いように、どんな美人でも、若さが、失われれば、若く、キレイな女性に勝てなくなる…
もちろん、美人コンテストではないのだから、勝ち負けではないが、やはり、幼い頃から、
「…綾子ちゃん、キレイ…」
と、周囲のものたちに、言われて、育てば、意識せずとも、自分が、キレイなんだと、思うようになる…
いわば、洗脳(苦笑)…
年がら年中、周囲の者たちから、言われていれば、自分でも、気付かない間に、自分は、キレイなんだと、天狗になる…
結果、周囲の平凡な容姿の女性を見下すようになる…
私が、そうならなかったのは、何度も言うように、母のおかげ…
いつも、
「…少しばかり、美人に生まれたからって、調子に乗っては、ダメ!…」
と、言い続けてくれた、母のおかげだ…
しかし、自分は、決して、調子に乗っては、いないつもりだったが、やはり、この歳になると、ルックスが、衰えて来るのが、怖くなる…
以前は、あまり、思わなかったが、怖くなる…
これは、やはり、歳のせい…
32歳という、歳のせいなのかなとも、思う…
要するに、自分の容姿が、衰えて来るのが、怖いのだ…
だから、容姿が、衰える、その前に、外に出かけ、周囲のひとたちから、
「…随分、きれいなひとね…」
と、言って、もらいたいのだ(笑)…
いずれは、言ってもらえなくなるから、今、言ってもらいたいのだ…
それが、家に閉じこもっていては、誰も、言ってくれなくなる(苦笑)…
私は、いつのまにか、そんなことを、考えた…
そんなバカなことを、考えた…
癌持ちのカラダにも、かかわらず、そんなバカなことを、考えた…
そして、そんなバカなことを、考えたということは、私の体調は、以前より、少しは、良くなったのでは?
とも、考えた…
体調が、悪ければ、そんなバカなことは、考えないからだ…
だから、そう、思った…
そう、思ったのだ…
その日の夜になって、ナオキが、会社から、帰って来た…
ナオキは、開口一番、
「…大変なことになったよ…」
と、私に告げた…
「…大変なことって?…」
私が、ノホホンと、ナオキに、聞くと、
「…とりあえず、風呂に入ってから…それから、酒でも、飲みながら、話そう…」
と、ナオキが、言ったので、私は、それまで、待った…
ソファで、座って、待った…
そして、
…大変なことって、なんだろ?…
と、考えた…
考え続けた…
そして、ナオキが、風呂から、出て、晩酌を始めた…
そのときに、ナオキが、言った…
ナオキが、口を開いた…
「…どうやら、和子さんが、危ないらしい…」
ナオキが、言った…
厳かに、言った…
私は、気が動転したが、すぐに、
「…それって、ホント?…」
と、ナオキに、聞いた…
まさか、ナオキが、ウソを言うとは、思わないが、聞いた…
「…ホント…」
ナオキが、答える…
「…情報源は? やはり、伸明さんから、聞いたの?…」
「…そうだ…」
ナオキが、風呂上がりの缶ビールを一気に飲み干して、言った…
私は、気が動転した…
いや、
それ以上に、今後の五井のことを、心配した…
伸明のことを、心配した…
マミさんのことを、心配した…
あの和子は、重し…
五井の重しだ…
和子は、対外的には、五井の顔…
五井の顔として、五井に君臨している…
当主は、伸明だが、事実上、五井の女帝として、五井に君臨している…
それゆえ、今、和子の身に万が一のことがあれば、地殻変動が起きる…
五井の一族の中で、地殻変動が、起きる…
間違いなく、起きる…
地殻変動=五井のパワーバランスが、崩れる…
今の本家の体制は、何度も言うように、本家と東家が合体した形…
事実上、東家が、本家を乗っ取った形だからだ…
だから、当然、不満は、あるに違いない…
他の五井一族から、不満があるに、違いない…
とりわけ、東家を、除いた西家、北家、南家は、不満を抱いているに、違いない…
なぜなら、本来、東西南北の四家は、同じ…
五井一族の中で、横並びで、同じ権力を持っているはずだからだ…
それが、東家だけ、本家と合体して、抜きん出た…
これでは、他の3家が、面白いはずがない…
とりわけ、この前、見合いであった西家当主など、その典型だろう…
一目見ただけで、押しの強い人物であることが、わかる…
押しの強い、言い換えれば、自分中心というか…
自分の思い通りにならなければ、納得しない人物であることが、わかる…
だから、揉める…
和子に万が一のことがあれば、揉める…
そう、思った…
そう、思ったのだ…
そして、私が、そう、思っていると、ナオキが、
「…もしかしたら、ボクたちも、五井の争いに巻き込まれるかも?…」
と、言った…
突然、言った…
私は、
「…どうして、巻き込まれの?…」
と、聞いた…
当たり前のことだ…
五井と、私や、ナオキは、なんの関係もないからだ…
たしかに、伸明やマミさんとは、親しい…
だが、
それだけ…
それだけのことだからだ…
私が、そう思っていると、ナオキが、
「…FK興産の株…」
と、短く、言った…
「…FK興産は、五井から、資本提携の名目で、資金提供を受けている…その結果、五井に株を握られている…」
ナオキが、苦々しく、言った…
私は、それを、聞いて、思い出した…
FK興産が、五井から、資本提携を受けているのを、すっかり、忘れていた…
たった今、ナオキから、聞くまで、すっかり、忘れていた…
「…今のところは、五井は、様子見をしている…FK興産を完全に五井に取り込むか、否か、様子見をしている…」
思い出した…
以前、このナオキの言うように、五井が、FK興産を飲み込もうとしたことが、あった…
たしかに、あった…
私は、あのとき、FK興産の非常勤の取締役として、ナオキの社長罷免に反対の立場を、取って、ナオキの罷免を防いだ…
ナオキが、社長の座から、追放されるのを、防いだ…
FK興産は、五井グループから、見れば、チンケな会社…
吹けば、飛ぶようなチンケな会社だ…
従業員は、千人はいるが、五井グループは、百万には、いるだろう…
それに、比べれば、チンケ…
比較に、ならないほど、チンケだ…
しかし、それでも、五井は、一度は、チンケなFK興産を飲み込もうとした…
理由は、伸明の当主就任のお祝いだ…
伸明が、五井家の当主の就任に際して、なにか、手柄が欲しい…
伸明の手柄が欲しい…
それゆえ、和子が、FK興産を手に入れようとした…
それを、私が、阻んだ…
それを、思い出した…
今、思い出したのだ…




