寿綾乃という女 第4部 52
それゆえ、自分の顔をはたいた…
軽く、はたいた…
これが、夢か、どうか、知るためだ…
私が、そんな動作を目の前でしたことで、ナオキが、私が、どうして、そんな動作をしたのか、わかったようだ…
「…これは、夢じゃないよ…綾乃さん、現実だ…」
ナオキが、言う…
「…ウソ?…だって、伸明さんは、昨日、見合いをしたばかりなのに…」
私は、さっきと、同じ言葉を繰り返した…
「…でも、これは、現実…これは、真実…」
ナオキが、神妙な顔で、続ける…
が、
すぐに、その神妙な顔が、崩れた…
思いっきり、崩れた…
「…でも、それが、すぐ、誤報であることが、発表されたがね…」
ナオキが、笑いながら、続けた…
「…誤報? …どういうこと?…」
私は、狐につままれたような気分になった…
「…ボクのときと、同じだ…」
ナオキが、笑って言う…
「…同じ? どういうこと?…」
「…誰かが、わざと、藤原ナオキは、五井一族の娘と結婚したと、誤報を流す…それで、周囲の反応を見る…」
忘れていた…
たしかに、あった…
眼前のナオキが、五井一族の娘と結婚したという情報が、流れたことが、あった…
が、
その情報は、一瞬…
わずか、一瞬で、取り消された…
藤原ナオキが、五井一族の娘と結婚したという情報が、テレビやネットで流れたが、すぐに、確認が、取れないと、言って、取り消された…
つまりは、一瞬だが、ナオキが、結婚したという情報が、流れただけ…
それも、ナオキが、行方不明になっているときに、流れた…
私にしても、会社にしても、ナオキと連絡が取れないときに、流れた…
だから、ナオキに近い、私ですら、その情報が、一瞬だが、もしや、本当では? と、考えた…
まさかとは、思うが、真実では? と、考えてしまった…
しかしながら、実際には、その間は、ナオキは、五井一族の伊豆の別荘に幽閉されていた…
幽閉と言うと、おおげさだが、実際問題として、ケータイを取り上げられ、歩いては、とても、最寄りの駅まで、行けない山奥の別荘に、閉じ込められていた…
もっとも、その幽閉されていた間に、やったこととは、若い女のコを何人も呼んで、どんちゃん騒ぎとか、伊豆の山奥で、川釣りとか、およそ、幽閉とは、ほど遠いものだった(苦笑)…
しかしながら、その場に閉じ込められたことは、間違いない…
伊豆の山奥の別荘から、外に出られなかったことは、間違いない…
ナオキを伊豆の山奥の別荘に閉じ込めて、その上で、ナオキの結婚情報を流した…
いかにも、真実だと、ナオキの身内ですら、一瞬だが、信じさせられるほどだった…
それと、同じ…
伸明の結婚情報も、同じ…
同じだと、気付いた…
つまり、その情報を流した犯人は、おそらく、同じ人間…
同一人物の可能性が、高い…
そう言えば…
そう言えば、たしか、伸明は、昨日、会ったときに、その犯人を捜していると、言っていた…
あの諏訪野の豪邸で会ったとき、この眼前のナオキの結婚情報を誰が、流したのか、探していると、言っていた…
私は、それを、思い出した…
が、
さすがに、これ以上は、頭が、回らない…
なにしろ、寝起き…
今、目が覚めたばかりだからだ…
だから、頭が、回らない…
よりによって、こんな朝っぱらから、こんな情報を聞かせるなんて…
少しだが、ナオキに腹が立った…
ホントは、こんな貴重な情報を聞かせてくれたナオキに、感謝するところだが、腹が立った…
が、
だからといって、怒るわけには、いかない…
それでは、自分勝手…
まさに、自分勝手に他ならないからだ…
だから、怒るわけには、いかなかった…
いかなかったのだ…
そして、それが、私の表情に、出たのだろう…
「…綾乃さん、ごめんね…」
と、ナオキが、私に詫びた…
「…朝っぱらから、こんな話を聞かせて、ごめんね…」
と、私に、謝った…
実に、心配そうな表情で、謝った…
「…でも、どうしても、綾乃さんには、聞かせなければ、ならない情報だから…」
ナオキが、言う…
「…なにしろ、昨日、諏訪野さんの見合いに、綾乃さんが、行って、その日に、諏訪野さんの結婚が、決まったなんて、シャレにもならない…」
ナオキが、笑う…
「…でしょ?…」
ナオキが、私に笑いかける…
私は、ナオキのそんな動作を、見て、ナオキが、私を笑わそうとしていることが、わかった…
同時に、自分の顔を、思った…
ナオキが、私に、そんなことをするなんて、私は、それほど、顔色が悪いのだろうか?
そう、思ったのだ…
そう、思った私は、ベッドから、降り、自分で、鏡の前に立ち、自分の顔を見ようと、思った…
そうすれば、自分の顔色が、わかるからだ…
だが、私が、ベッドから、降りると、足が、ふらついた…
思わず、ベッドから、降りた途端、床に、倒れ込みそうに、なった…
その私のカラダを、ナオキが、受け止めた…
ナオキが、
「…危ない!…」
と、言って、私のカラダを掴んだ…
「…綾乃さん、体調が、悪いんだ…無理をしちゃ、ダメだ…」
ナオキが、優しく、言う…
「…綾乃さん、なにを、したかったの? ボクに、できることなら、するよ…」
ナオキが、私に聞くから、私は、一瞬、迷ったが、
「…鏡…」
と、だけ、言った…
短く、言った…
「…鏡?…」
ナオキが、返す…
「…そう、自分の顔を見たいのよ…」
私が、言うと、ナオキは、私の意図を、すぐに、見抜いたようだ…
「…わかった…今、持ってくるから、綾乃さんは、そのまま、ベッドで、寝ていて…」
ナオキは、私をベッドの上に、戻して、それから、部屋を出て行った…
それから、まもなく、手鏡を持って、戻って来た…
「…綾乃さん、これで、いいだろ?…」
と、言って、戻って来た…
私は、ベッドの上で、座ったまま、その手鏡を受け取り、自分の顔を、見た…
たしかに、顔色が悪い…
これでは、ナオキが、心配するのが、わかった…
まさか、こんなに、悪いとは、自分でも、思わなかった…
一晩、寝たのに、昨日、諏訪野のお屋敷で、マミさんが、私を心配したときと、顔色が、大差ない…
だから、だろうか?
だから、母が、私を心配して、夢の中に出てきたのだろうか?
そう、思った…
そう、思ったのだ…
私が、そう、思っていると、ナオキが、
「…ゆっくり、休むことだよ…」
と、私に声をかけた…
「…ここで、ゆっくり休んで、養生することだ…」
ナオキが、優しく言う…
私は、それを、聞いて、
「…ナオキ…アナタのその言い方…まるで、おばあちゃんに、言うみたいね…」
と、言った…
「…おばあちゃん?…」
ナオキが、驚く…
「…だって、そうでしょ? ここで、養生しろ、なんて…」
私が、言うと、ナオキが、
「…その通りかも…」
と、笑った…
「…言っておくけど、ナオキ、私は、ナオキより、ずっと年下よ…」
私は、わざと、怒ったフリをした…
「…それが、年上のナオキに、おばあちゃん扱いされるなんて、バカにしているわ!…」
私が、言うと、ナオキが、戸惑ったような表情になった…
が、
それは、一瞬…
一瞬だけ…
すぐに、
「…それは、お嬢様…この爺が、お嬢様の気持ちを逆なでするような真似をして、申し訳ありませんでした…」
と、恭しく、右手を、胸に当てて、頭を垂れて、詫びた…
それから、すぐに、
「…これが、爺のお詫びのしるしです…」
と、言って、いきなり、私にキスをした…
いきなり、私の唇を奪った…
私は、ビックリしたが、ナオキのキスを受け入れた…
素直に、受け入れた…
キスは、1分ぐらい、続いたで、あろうか?
ナオキが、私から、離れて、
「…爺のお詫びの気持ちは、お嬢様に、伝わったでしょうか?…」
と、またも、右腕を胸に当てて、恭しく、聞いた…
私は、それを受けて、
「…まあまあね…」
と、だけ、言った…
わざと、偉そうに、言った…
ナオキは、それを、聞いて、
「…次回からは、お嬢様に、満足いただけるように、頑張ります…」
と、真顔で、言った…
私はそれを、受け入れた…
「…よろしい…以後、精進するように…」
これも、わざと、偉そうに、言った…
実に、偉そうに、言った…
それから、互いに、顔を見合わせて、
「…プッ!…」
と、吹き出した…
自分たちのお芝居に、吹き出したのだ…
まさに、お芝居…
しかし、そんなお芝居が、嬉しかった…
こんなバカなお芝居が、できる相手が、身近にいることが、嬉しかった…
つくづく、自分は、幸せ者だと、思った…
思ったのだ…




