寿綾乃という女 第4部 45
マミさんが、ジッと、私を凝視している…
まばたきせずに、凝視している…
…一体、なぜ?…
…一体、どうして?…
私は、思った…
私は、考えた…
すぐに、マミさんが、
「…寿さん…」
と、私に声をかけた…
「…なんですか?…」
「…伸明さんと、結婚できない?…」
「…えっ?…」
「…寿さんなら、伸明さんを任せられるのだけれども…」
「…ウソ?…」
「…ホント!」
私は、驚いて、マミさんを、見た…
マミさんを、見返した…
それから、すぐに、
「…無理ですよ…」
と、言った…
「…無理? どうして、無理なの?…」
「…私は、いつまで、生きれるか、わかりません…」
「…ウソ?…」
「…ホントです…それは、伸明さんも、わかっているはず…」
私は、言って、伸明を見た…
黙っている、伸明を見た…
「…それに…」
「…それに、なに?…」
「…伸明さんには、私なんかより、もっと、素敵な女性が、現れますよ…」
私が、言うと、伸明が、笑った…
実に、楽しそうに、笑った…
「…寿さん、それは、中学生の断り方だよ…」
と、言って、楽しそうに、笑った…
「…アナタには、きっと、私なんかより、ずっと、素敵な女性に、将来、巡り会いますと返す…なんの根拠も、ないのにね…」
伸明が、笑う…
「…ホントのところは、アナタなんかと、付き合いたくないと、言っているだけ…ただ、それを、口に出せないだけ…口に出さないだけ…」
伸明が、笑う…
そんな伸明を見て、マミさんが、
「…伸明さん、飲みすぎ…」
と、叱った…
それから、またも、私を振り返って、
「…寿さん、ごめん…」
と、謝った…
そして、
「…寿さん、伸明さんも、こんな状態だから…」
と、暗に私の帰宅を促した…
私も、さすがに、これ以上、この場にいるのは、マズいと、思った…
だから、帰ろうと、思った…
すると、マミさんが、
「…寿さん、クルマ…」
と、いきなり、言った…
「…私は、伸明さんの面倒をみなくちゃ、いけないから…」
と、言った…
つまり、私といっしょに、帰れない…
私をクルマで、私の自宅まで、送っていけないと、言いたいのだ…
「…そんなこと、どうでも、いいです…一人で、帰れます…」
と、私は、言ったが、すぐに、
「…ダメ!…」
と、マミさんが、強い口調で、言った…
「…寿さん、この前、退院したばかりじゃない? 電車で、一人で、帰って、途中で、倒れでも、したら、大変!…」
私が、思っても、みないことを、言った…
そして、そう言われると、なんとも、言えなかった…
マミさんの言葉が正しい…
的を得ていると、思ったからだ…
まさかとは、思うが、ひとりで、帰って、途中で、路上で、倒れでも、したら、目も当てられない…
まさに、目も当てれない悲劇…
悲劇だ…
私が、そう、思っていると、マミさんが、
「…今、お手伝いのひとに、頼んでくるから…」
と、言って、この場から、消えた…
この場には、私と伸明だけが、残った…
私と伸明だけが、残った…
なんとも、微妙な空気になった…
いつ以来だろうか?
この伸明と二人きりになったのは、つい、最近では、先日、私が、病院に入院したとき以来…
だが、簿妙な空気になったことは、ない(苦笑)…
簿妙な空気=男女を意識したことは、ない…
この伸明を男として、意識したのは、まだ出会ったばかりの頃…
この伸明の父の建造が、亡くなって、初めて、出会ったばかりの頃…
もう、一年近く、前だ…
それ以来だ…
酒で、ぐったりした、目の前の伸明が、
「…寿さん、すまない…」
と、詫びた…
「…迷惑をかけて、すまない…」
と、詫びた…
私は、
「…いいですよ…」
と、答えた…
「…たいしたことじゃ、ありません…」
と、答えた…
それを、聞いて、伸明は、またも、
「…寿さんは、強い…ホントに、強い…」
と、繰り返した…
それから、
「…寿さんが、羨ましい…」
と、言った…
「…寿さんの強さが、羨ましい…」
と、繰り返した…
ちょうど、その頃に、マミさんが、部屋に戻って来た…
「…寿さん、今、お手伝いのひとに、頼んで来たから…」
と、言って、戻って来た…
だから、二人だけでは、なくなった…
この伸明と二人だけでは、なくなった…
それゆえ、ホッとした…
実に、ホッとした…
今さらだが、この伸明と二人きりで、いて、こんな気持ちになるとは、思わなかった…
ドキドキするとは、思わなかった…
これでは、心臓に悪い…
この病気持ちのカラダで、これ以上、悪いところを、増やしたくなかった(苦笑)…
心臓まで、悪くは、なりたくなかった…
そして、そんなバカなことを、考えていると、お手伝いさんが、現れて、
「…タクシー、すぐに、やって来るそうです…」
と、告げた…
それから、まもなく、外で、クルマのクラクションが、鳴った…
タクシーが、やって来た合図だった…
私は、
「…それでは、今日は、これで、失礼します…」
と、言って、帰ろうとした…
すると、マミさんが、
「…寿さん、ごめん…」
と、謝った…
もう、何度目か、わからないが、謝った…
「…送って、いけなくて、ごめん…」
と、謝った…
「…別に、いいですよ…子供じゃ、ないんだから、一人で、帰れます…」
私は、言って、伸明を見た…
伸明は、酔っては、いたが、冷静だった…
それゆえ、
「…寿さん、すまなかった…」
と、私に、謝った…
「…こんな醜態を見せて、すまなかった…」
と、謝った…
それを、聞いたマミさんが、間髪入れずに、
「…伸明さんは、疲れているのよ…」
と、私に向かって言った…
「…五井十三家と言うけれども、本家は、伸明さん、ただ、一人…私は、伸明さんの、妹だけれども、寿さんも、知っているように、血は、繋がっていない…だから、本家と言っても、事実上は、伸明さん、ただ、一人…だから、和子叔母様が、伸明さんに、協力して、いたのだけれども、その和子叔母様が、倒れて、誰も、いなくなった…そのプレッシャーで…」
と、説明した…
いまさらながら、説明した…
それゆえ、マミさんの説明に納得したが、正直、弱いと、思った…
この伸明が、弱いと、思った…
が、
それは、部外者だから…
なんの関係もない、第三者の部外者だから、言えることだとも、思った…
率直に言って、私が、伸明の立場なら、同じだろう…
あるいは、もっと、ひどいかも、しれない…
もっと、落ち込んでいるかも、しれない…
そう、思った…
そして、そう思いながら、私は、傍観者になれないとも、思った…
よく、今の伸明の様子を見て、
…あの五井の当主が、こんなんじゃ、ダメだ!…
とか、
…自分だったら、こうは、ならない!…
と、豪語するひとたちが、いる…
巷で、大勢いる…
が、
いざ、伸明と同じ立場になれば、皆、同じ…
五十歩百歩の違いしか、ないだろう…
そして、それが、よくわかる事例が、今の時代で、言えば、リストラだ…
他人が、リストラに遭ったのを見て、
…自分なら、すぐに、受け入れて、次の会社を探すよ…
と、陰で、言っていても、いざ、自分が、リストラを告げられれば、慌てる…
みっともないほど、動揺する…
それは、ちょうど、それまでは、自分は、絶対安全圏にいると、思っていたから…
だから、言えた…
例えて言えば、誰かが、自分に石を投げても、決して、自分には、届かない…
そんな安全圏にいると、思っていたから、言えた…
そういうことだ…
が、
私には、それが、できない…
絶対、できない…
それは、おそらく、経験…
生まれ育った環境のせいかも、しれない…
母と二人暮らしの生活…
シングルマザーだった母と、二人暮らしの生活…
決して、豊かとは、言えない生活…
それゆえ、他人の苦労を笑えない…
他人の苦労をあざけることが、できない…
なぜなら、私が生活に苦労してきたから…
だから、同じように、なにかに苦労している人間を笑うことは、できない…
そういうことだ…
他人の痛みを知るとか、そういうおおげさなことではない…
ただ、伸明の痛みに共感できる…
そういうことだ…
そして、そんなことを、思いながら、家を出た…
伸明のいる、諏訪野の豪邸を出て、迎えに来たタクシーに乗った…




