寿綾乃という女 第4部 4
この長谷川センセイには、以前も、世話になった…
この五井記念病院に入院したときに、世話になった…
詳細は、省くが、私は、以前、この五井記念病院に入院したことがある…
そのときに、お世話になったのが、この長谷川センセイだった…
だから、顔見知り…
長谷川センセイとは、顔見知りだった…
だが、今回は、以前、入院したときとは、病名が、違う…
症状が、違う…
あのときは、クルマにひかれて、この五井記念病院に運ばれた…
そのときの担当医が、この長谷川センセイだった…
今回は、前回とは、状況が、違う…
私は、クルマにひかれたわけでも、なんでもない…
自宅で、倒れたのだ…
誰も、なにも、私にしていないにも、かかわらず、いわば、勝手に、自分で、倒れたのだ…
だから、専門が、違う…
この長谷川センセイと、専門が、違う…
それゆえ、この長谷川センセイが、担当医といったのは、ウソというか、間違い…
正確には、かつて、私の担当医だった…
それが、正しい…
長谷川センセイは、病室に入るや、まっすぐに、私の元に来た…
「…どうですか、寿さん、具合は?…」
と、ニコニコしながら、聞く…
おそらく、私に不安を与えないためだろう…
医者が、深刻な表情で、患者に接すれば、患者も、不安になる…
だからだろう…
私は、思った…
私は、考えた…
そして、私は、小声で、
「…お久しぶり…」
と、だけ、言った…
これ以上、声が出なかった…
自分でも、もどかしい…
頭は、動いているが、声が出ない…
おまけに、カラダも動かない…
もどかしいったら、なかった…
「…寿さん…相変わらず、お美しい…」
と、お世辞を言った…
私は、
「…ありがと…」
と、だけ、言った…
それ以上、言葉が、出なかった…
「…でも、運が、悪い…」
長谷川センセイが、笑いながら、言う…
「…きっと、神様が、意地悪で、美人の寿さんに、嫉妬したんですよ…だから、こんな、嫌がらせをする…」
長谷川センセイの言葉に、私は、なんと言って、いいか、わからなかった…
本当なら、
「…ありがとうございます…」
と、言うところだが、あいにく、そんな気分では、なかった…
なにしろ、声が出ない…
声が、満足に出ない…
いや、
声が出ないのでない…
うまく、しゃべれないのだ…
だから、声が出ても、うまく、しゃべれない…
声が、出ても、言葉が発せない…
だから、もどかしい…
実に、もどかしい…
私が、考えていると、
「…でも、大丈夫ですよ…寿さん…」
と、長谷川センセイが、告げた…
「…今の症状は、一時的…じきに、よくなります…」
「…ホントですか?…」
私は、言いたかったが、言い出せない…
代わりに、マミさんが、
「…センセイ…それは、ホントですか?…」
と、聞いてくれた…
まさに、以心伝心…
ナイス、フォローだった…
「…ホントです…」
長谷川センセイが、断言する…
「…今回の寿さんの担当医に、聞きましたから…」
あっさりと、長谷川センセイが、言った…
自身の発言の根拠を言った…
そして、その根拠を聞くと、私は、納得した…
同時に、安心した…
この長谷川センセイが、なんの根拠もなしに、ただ、患者である、私を元気付けるために、言ったわけでは、ないからだ…
だから、安心した…
「…なにしろ、寿さんは、まだ、若い…」
長谷川センセイが、続ける…
「…歳もまだ、32歳と若い…だから、回復も早い…」
長谷川センセイが、笑って言う…
すると、その長谷川センセイの発言を聞いて、安心したのだろう…
傍らのマミさんが、
「…センセイ…そんなに、女性の年齢を、大っぴらに、言うものじゃ、ありませんよ…」
と、叱った…
あるいは、たしなめた…
それを、聞いた、長谷川センセイが、
「…」
と、絶句した…
それから、一呼吸置いて、
「…いや、たしかに、そう言われるのは、わかりますが、これが、ボクの仕事なもので…」
と、しどろもどろで、弁解する…
「…気に障ったのなら、申し訳ありません…この通り、謝ります…」
と、軽く、マミさんに、頭を下げた…
これには、マミさんも、仰天したらしい…
「…センセイ…冗談ですよ、冗談…」
と、慌てて、弁解した…
「…センセイが、職業柄、患者の年齢を言わなければ、ならないのは、わかります…」
そう、マミさんに、言われて、長谷川センセイは、ホッとしたようだ…
たぶん、思わず、
「…そうですか…わかってくれて、嬉しいです…」
と、本音を漏らした…
「…でも…」
と、マミさんは、続ける…
「…センセイ…プライベートで、そんなこと、言っちゃダメですよ…」
マミさんが、警告する…
「…女性にとって、年齢は、非常に、センシティブな問題なんです…とっても、デリケートな問題なんです…もちろん、若い女性は、いいでしょうけれども、私や寿さんのように、三十路を過ぎた女には、特にです…」
マミさんが、力を込めて、力説する…
それを、聞いた長谷川センセイは、タジタジだった…
マミさんの迫力に、圧倒されていた…
マミさんは、小さい…
150㎝ちょっとの小柄なカラダだ…
だが、エネルギッシュ…
実に、エネルギッシュだ…
気も強い…
それは、見た目で、わかる…
強いのは、見た目で、わかる…
だから、圧倒される…
マミさんの迫力に圧倒されるのだ…
タジタジになった長谷川センセイは、
「…わかりました…それでは、ボクは、これで…」
と、言って、病室を出て行った…
私は、そんな長谷川センセイを見て、気の毒になった…
なにも、そこまで、言うことは、ないと、思ったのだ…
あるいは、なにも、そこまで、強く言うことは、ないと、思ったのだ…
が、
私のそんな気持ちを、マミさんは、わかってか、わからずか、長谷川センセイが、病室を出て行った後、私を振り返り、
「…言い過ぎたかな?…」
と、吐露した…
私は、無言で、頷いた…
うまく、言葉をしゃべれないからだ…
「…でも、あれで、いいの…」
マミさんが、告げる…
「…どうして、あれで、いいんですか?…」
と、聞きたかったが、聞けなかった…
声が、うまく出ないからだ…
だが、すぐに、続けて、マミさんが、
「…あのセンセイ…寿さんが、心配だけじゃなく、ここへ、探りに来たのよ…」
マミさんが、思いがけないことを、言う…
「…ここに、伸明さんが、来ていないか、探りに、来たの…」
「…探りに来た?…」
私は、声には、ならないが、心の中で、叫んだ…
すると、すぐに、マミさんが、
「…今、五井は、揺れているの…」
と、続けた…
「…えっ? 揺れている? なんで、揺れているの?…」
聞きたかったが、聞けなかった…
声が、出ないからだ…
うまく、しゃべれないからだ…
それゆえ、マミさんは、続けて、
「…五井の内紛は、お家芸というか…いつも、起こる…」
…えっ?…
…いつも、起きる?…
…どうして、起きるの?…
「…ほら、五井は、連合体というか…五井は、十三家もある…だから、当然、一枚岩じゃない…」
「…」
「…とりわけ、当主が、交代したときに、起きる…今回は、伸明さんが、当主になったからかな…起きた…」
「…」
「…私の父は…建造は、そうしたことが、起きないように、全力を尽くした…五井本家の力を増して、他の分家が、口出しできないように、全力を尽くした…」
「…」
「…そして、その思いを、今は、和子おばさまが、受け継がれて、五井の女帝と、世間で、言われて、五井に君臨している…」
「…」
「…でも、その和子おばさまが、最近、体調を崩して…それを、いいことに、分家の間で、なにやら、きな臭い動きがあって…」
…きな臭い動きって?…
…一体、なにが?…
私が、思っていると、マミさんが、私の顔を覗き込んだ…
私の顔の上から、自分の顔を、覆い被せるように、して、私を見た…
なにしろ、私は、ベッドの上で、寝ている…
そのベッドの上で、寝ている私の顔に、マミさんが、顔を寄せた…
顔を近づけた…
そして、
「…寿さんって、ホント、美人…キレイね…」
と、言った…
私は、なにが、なんだか、わからなかった…
なぜ、いきなり、マミさんが、そんなことを、言うのか、わからなかったからだ…
すると、マミさんが、私から、顔を離した…
それから、言った…
ゆっくりと、言った…
「…実は、今、五井家の中で、伸明さんを結婚させようという動きがあるの…」
と、言った…
…えっ?…
…結婚?…
…伸明さんが、結婚?…
正直、ビックリした…
そんなこと、考えたことなかった…
だから、ビックリした…
「…和子おばさまが、体調が、今、よろしくないから、そんなことが、起こる…和子おばさまは、伸明さんの後見人…その後見人が、不在だから、こんなことが、起きる…」
マミさんが、言う…
実に、悔しそうな表情で、言う…
それから、マミさんは、私たちのいる、病室の出入り口を見た…
さっき、長谷川センセイが、出入りした場所を見た…
「…今、伸明さんに、結婚を強要しているのは、五井西家…」
と、言った…
マミさんは、言った…
「…あの長谷川センセイの先祖である、五井西家…」
マミさんは、断言した…
実に、憎々そうに、断言した…




