寿綾乃という女 第4部 30
これまで、抑えていた感情…
目の前の天敵のユリコを前にして、必死に抑えていた感情…
それが、一気に吹き飛んだ!…
今のユリコの言葉で、一気に吹き飛んだ!…
私は、つい、
「…病気の方は、おかげさまで、だいぶ良くなっています…」
と、言った…
わざと、言った…
すると、すかさず、ユリコが、
「…でも、完治は、していないんでしょ?…」
と、言った…
わざと、言った…
わざと、私にあてつけるように、言った…
「…たしか、寿さんは、癌…癌が、完治すするのは、医学用語で、寛解とか、いうんだっけ…」
と、隣の長谷川センセイに、聞く…
「…いや、寛解というのは、癌の症状が、一時的に消えたり、軽くなったりしたときに、使う、言葉です…完治と、同義語では、ありません…」
長谷川センセイが、真面目に答える…
「…あら、そう…」
ユリコが、面白そうに、答える…
「…だったら、寿さんも、大変ね…」
と、言った…
わざと、言った…
皮肉…
私に対する皮肉だ…
言葉だけ、取れば、私の病気を心配しているようだが、実態は、まるで、違う…
私の病気を面白がっているのだ…
そして、当然のことながら、長谷川センセイも、その様子に、気付いた…
それゆえ、長谷川センセイは、慌てて、
「…寿さん、今日は、これぐらいで…また、今度、お会いしましょう…」
と、言って、軽く、ユリコのカラダを掴んで、その場から、離れようとした…
だから、私は、
「…センセイ、それでは、失礼します…」
と、腰を折って、長谷川センセイに言った…
「…じゃ、寿さん、今日は、これで…」
長谷川センセイは、ユリコを、無理やり、おおげさに言えば、引きずるように、連れて行った…
今の私とユリコの会話から、私たち二人が、犬猿の仲だと、気付いたのだろう…
さすがに、これ以上、ここにいると、マズいと、判断したのだろう…
まさか、私たち二人が、このスーパーの中で、怒鳴り合いのケンカをするとは、思えないが、その可能性もなきにしも、あらず…
互いに二人の言葉のラリーが、エスカレートして、それが、怒鳴り合いに発展することだってありえる…
それを、長谷川センセイは、恐れたのだろう…
私は、思った…
私は、考えた…
しかし、
それに、しても、だ…
まさか、私の自宅近所のスーパーで、長谷川センセイと、ユリコに会うとは、思わなかった…
夢にも、思わなかった…
まさに、まさか、だ…
まったく、想定していなかった…
まったく、想像していなかった…
これは、偶然?
それとも、必然?
わざと?
考えた…
私が、自宅近くのこのスーパーを利用することは、ユリコは、知っている…
間違いなく、知っている…
それは、以前、同じことが、あったから…
以前、やはり、このスーパーで、ユリコと鉢合わせしたことがあるからだ…
おそらく、偶然を装って、私に鉢合わせた…
そう思った過去があるからだ…
だが、あのときは、たしか、ユリコは、一人だった…
連れは、いなかった…
今回のように、連れは、いなかった…
それが、違う…
それが、今回とは、違う…
それに、たしか、前回、このスーパーで、ユリコと会ったときは、まだ、ジュン君の裁判の最中か、裁判が、終わって、まもなく…
だから、私に遠慮した…
だから、私に牙を剥かなかった…
そう、気付いた…
それが、前に戻った…
ジュン君が、事故を起こす前に戻った…
私に遠慮なく、敵対できる状態に、戻ったということだ…
私は、それを、考えると、いつのまにか、カラダの調子が、良くなった気がした…
カラダの中のアドレナリンが、急に活発化した気がした…
いわゆる、闘争本能…
ユリコを前にして、カラダの中のアドレナリンが、活発化することで、アドレナリンが身体中を駆け巡った気がした…
それゆえ、カラダが、火照るというか…
その影響で、一時的ではあるが、カラダの調子が、良くなった気がした…
これは、ユリコと、会った効用…
私の天敵と会った効用だった…
まるで、温泉に入ったような、効用だった(笑)…
私は、その後、当たり前だが。買い物を済ませ、自宅に戻った…
途中、歩きながら、あのとき、スーパーの中で、怒鳴り合いにならならなくて、つくづく良かったと、実感した…
さすがに、スーパーの中で、怒鳴り合いは、恥ずかしい…
それは、わかっているが、止められないときがある…
自分でも、わかっているが、止められないときがある…
たぶん、それは、ユリコも同じ…
私の天敵のユリコも、同じに違いない…
私は、そんなことを、考えながら、自宅に戻った…
ナオキの待つ、自宅に、戻った…
「…ただいま…」
と、言って、自宅の玄関を開ける…
これは、一人暮らしのときも、いっしょ…
私以外、誰もいない、一人暮らしのときも、いっしょだった…
当然、返事は、ない…
誰も、いないからだ…
しかし、それが、わかっていても、私は、必ず、外から、帰って来ると、
「…ただいま…」
と、言った…
一人暮らしにも、かかわらず、言った…
もしかしたら、それは、心のどこかで、自分が、一人暮らしだと、いうことを、認めたくないのかも、しれない…
自分が、ひとりぼっちだと、いうことを、認めたくないのかも、しれない…
ふと、気付いた…
私にも、以前、家族が、いた…
ナオキという夫と、ジュン君という息子の疑似家族がいた…
もしかしたら、その名残…
無意識に、私が、ひとりぼっちだということを、認めたくない名残…
そうかも、しれない…
ふと、思った…
が、
今は、違う…
ナオキが、いる…
私の事実上の夫の藤原ナオキが、いる…
そう、思った…
そう、思ったのだ…
が、
当然、私が、今、
「…ただいま…」
と、言っても、返事がない…
ナオキが、寝ているからだ…
伊豆にある、五井の別荘から、帰って来て、寝ているからだ…
だから、返事がない…
が、
やはり、気になる…
ホントに、このマンションにナオキが、帰ってきたのか、気になる…
だから、自宅のマンションに、入ると、真っ先に、ナオキの姿を、確認した…
ソファに横たわる、ナオキの姿を確認した…
ナオキは、いびきをかきながら、寝ていた…
よほど、疲れていたのだろう…
深く、寝入っている様子だった…
私は、そんなナオキの姿を見て、安心した…
実に、ホッとした…
ナオキが、戻って来た…
ナオキが、近くにいる…
その安心感…
それが、大きい…
それは、やはり、この前、入院したから…
自宅で、軽い脳梗塞で、倒れ、入院したからだろう…
なぜか、わからないが、癌のときは、それほど、思わなかった…
これは、自分でも、どうしてだか、わからない…
自分でも、謎…
どうして、自分が、以前は、ひとりぼっちでも、それほど、心細くなかったのか?
謎だった…
自分でも、解けぬ謎だった…
が、
しかし、今は、違う…
一人が、寂しいわけではないが、隣にナオキが、いることで、得られる安心感が嬉しい…
言葉にできないほど、嬉しい…
そんな気分だった…
これは、まるで、少女のよう…
初めて、男を好きになった少女のような、気分だった…
これには、驚いた…
自分で、自分に、驚いた…
なぜなら、私は、生まれつき、誰かに頼ったりするキャラではない…
自分のことは、すべて、自分でやるタイプ…
人任せにしない…
だから、そんな自分が、誰かに頼る気分になったことに、自分でも、驚いた…
これは、やはり、この前、軽い脳梗塞で、五井記念病院に運ばれたせい?…
軽い脳梗塞だから、もしかしたら、人格が、変わった?
やはり、脳が、ダメージを受けたから、人格が、変わった?…
そう、思った…
そう、思ったのだ…
しかし、答えは、出ない…
だから、そんなバカなことは、考えるのは、やめにした…
いくら、考えても、答えが出ないことを、考えることを、やめにした…
私は、両手に持っていたスーパーの袋をテーブルに置いて、中身を次々に、冷蔵庫に入れた…
買ってきたものは、生鮮食品が、大半だったからだ…
肉や魚が、大半だったからだ…
家に置いてあったものは、大半が、保存食が、中心だった…
体調が、優れない私が、一週間も、二週間も、自宅に、閉じこもるため…
ずばり、籠城するためだ…
そのためには、カップラーメンや冷食など、保存のきくものがいい…
それゆえ、保存食が、中心だった…
しかし、私は、それでいいが、ナオキが、いるとなると、別…
やはり、保存食ではない、ものを、食べさせたい…
新鮮なものを、食べさせたい…
そんな気持ちだった…
それゆえ、わざわざ、スーパーに行ったのだ…
私一人なら、行かないスーパーに行ったのだ…
私は、そんなことを、考えながら、買ってきた、肉や魚を次々と、冷蔵庫の中に、入れた…
そして、入れながら、今夜は、ナオキのために、なにを作るか、考えた…
正直、自分以外の誰かのために、料理を作るのは、久しぶり…
実に、久しぶりだった…
一体、いつ以来だろう?…
そうだ…
ジュン君が、逮捕される前、以来だ!…
それまでは、ジュン君と暮らしていた…
ナオキが、出て行った、このマンションで、ジュン君と、二人きりで、暮らしていた…
それを、思い出した…
そして、それを、思い出すと、つくづく、運命は、わからない…
ひとの運命は、わからない…
今、ジュン君の代わりに、ナオキが、いる…
一度は、このマンションから、出て行ったナオキが、いる…
つまりは、ジュン君とナオキが、入れ替わった…
そうも、思った…
そう、思いながら、黙って、スーパーで、買ってきたものを、次々と、冷蔵庫の中に、入れ続けた…




