寿綾乃という女 第4部 28
「…でも、まさか、誰が、一体、そんなことを?…」
「…それは、当然、西家だろ? 五井西家…」
「…」
「…五井の当主の諏訪野さんは、事実上、東家出身…母親が、東家出身だからね…当主と言っても、東家寄り…他の分家は、面白くないだろ?…」
「…それは、そうだけれど…」
「…でも、まさか、諏訪野さんも、後ろ盾の叔母様が、倒れた、このタイミングで、いきなり、西家が、牙を剥くとは、思っても、みなかったろう…」
「…」
「…人間万事塞翁が馬…なにが、起こるか、わからない…」
「…」
「…ただ、ボクも、綾乃さんも、そのときに、備えなければ、ならない…」
「…そのときって?…」
「…諏訪野さんが、西家の人間と結婚するとき…」
「…それが、どうして、そのときなの?…」
「…諏訪野さんの動きが、変わる…」
「…どう、変わるの?…」
「…西家の意向を汲むことになる…」
「…それが、どうかしたの?…」
「…そうなれば、FK興産なんて、すぐに、五井に買収される…五井のものになる…」
「…」
「…今は、まだ、諏訪野さんにも、倒れた、五井の女帝にも、その考えはない…だから、安心していられたが、これからは、そうも、いかないかも、しれない…」
「…」
「…まあ、いずれにしても、なるようにしか、ならない…いくら、考えても、仕方がない…」
ナオキは、そう言うと、すぐに、寝息をたてて、寝始めた…
よほど、疲れているのだろう…
お酒も飲まないにも、かかわらず、こんなに早く、眠りに落ちたナオキの姿を、これまで、一度も、見たことが、なかった…
それゆえ、疲れが、限界に達して、いるのだろうと、思った…
思ったのだ…
しかし、
しかし、だ…
ナオキが、伊豆の山の中の別荘に連れていかれ、接待三昧だったと、いうのは、笑える…
実に、笑える…
ナオキのいうことを、信じないわけでは、ないが、もしかしたら、酒池肉林だったかも、しれない(爆笑)…
若い女のコが、とっかえひっかえ、やって来て、セックス三昧だったかも、しれない(爆笑)…
しかし、
しかし、だ…
たとえ、真実が、そうであったとしても、ナオキは、実業家…
FK興産の創業社長だ…
たとえ、セックス三昧の接待漬けだったとしても、ナオキは、内心、会社のことが、心配だったのだろう…
自分が、作った会社、FK興産のことが、大事だったのだろう…
あらためて、思った…
が、
しかしながら、西家は、手ごわい…
実に、手ごわいと、思った…
なにしろ、当主の伸明と、その盟友のナオキを、同時に、攻略しようと、している…
二人を、同時に、西家に取り込もうとしている…
だから、手ごわい…
実に、手ごわい…
が、
そこまで思って、考えた…
これは、西家の発案?
西家の考えたことだろうか?
なぜなら、なぜ、伸明と、ナオキが、仲がいいことを、知っているのだろうか?
そう、考えた…
いや、
リンがいる…
あの菊池リンがいる…
彼女は、知っている…
ナオキと伸明が、仲がいいことを、知っている…
その菊池リンが、今、西家のために、動いているとしたら、当然、西家に伝えるだろう…
伸明と、ナオキが、仲がいいことを、伝えるだろう…
そう、気付いた…
当たり前のことを、気付いた…
その日は、籠城四日目(苦笑)…
ナオキが、やって来なければ、買い物に行くことは、なかったが、近くのスーパーに、歩いていくことにした…
籠城四日目だから、率直に言って、家の冷蔵庫の中に、生ものが、ない…
新鮮な肉や魚が、ないからだ…
これが、私一人だったら、いいが、ナオキが、突然、やって来たことで、やはり、ナオキに、なにか、買っていかなければ、ならないと、思った…
私一人なら、家の中で、買い溜めた、冷食や、カップラーメン等、保存のきく、食べ物を、順番に食べれば、いい…
しかし、ナオキが、いると、そうは、いかない…
やはり、なにか、新鮮なものを、食べさせてあげたくなる…
ひょっとしたら、ナオキは、そんなものは、もう食べ飽きているかも、しれない…
なにしろ、伊豆の山奥の、五井の別荘で、接待漬けだったと、言っていた…
当然のことながら、おいしいものを、いっぱい食べただろう…
だから、今さら、私が、近所のスーパーに行って、例えば、刺身のようなものを、買ってきて、ナオキに食べさせたとしても、食べ飽きている…
そうも、思った…
が、
ナオキが、気持ちよさそうに、寝ているのに、さすがに、そのナオキを起こして、
「…今夜は、一体、なにを、食べたいの?…」
と、聞くことは、できなかった…
さすがに、できなかった(苦笑)…
しかしながら、家の中にあるものだけで、ナオキをもてなすことは、できない…
それゆえ、少し考えてから、やはり、買い物に行くことにした…
近所のスーパーまで、行くことにしたのだ…
近所のスーパーなら、体力的に、問題は、ない…
現に、この前…
四日前に、マミさんと、行ったが、問題は、なかった…
ただ、問題なのは、量…
一回で、買える、量だ…
一人きりでは、大量には、買えない…
なにしろ、歩きだ…
徒歩だ…
クルマではない…
だから、一回で、大量には、買えない…
マミさんが、来たときは、二人だから、買えた…
マミさんも徒歩でやって来たが、二人だから、大量に買って、自宅に戻れた…
そういうことだった…
それが、今回は、私一人…
だから、大量には、買えない…
それゆえ、厳選しなければ、ならない…
買うものを、厳選しなければ、ならない…
そう、思った…
そう、思いながら、近所のスーパーに足を運んだ…
そして、一人きりで、スーパーの店内を歩いているときだった…
どこかで、見たことのあるようなカップルが、目に入った…
カップルと言っても、決して、若くはない…
女は、四十前後…
男の方は、もっと、若い…
が、
驚いたのは、二人が、顔見知り…
私の顔見知りだったことだ…
女は、ユリコ…
私の天敵のユリコだった…
ナオキの元の妻…
ジュン君の母親だった…
そのユリコが、こともあろうに、仲睦まじく男と歩いている男…
そして、その男の正体に驚いた…
文字通り、仰天した…
それは、長谷川センセイ…
私が、以前、ユリコの息子のジュン君に、クルマで轢かれて、病院に運び込まれた…
五井記念病院に運ばれた…
そこで、私の担当医だったセンセイ…
それが、長谷川センセイだった…
外科医の長谷川センセイだった…
その長谷川センセイが、一体なぜ?
一体、なぜ、このスーパーにいるんだろうか?
いや、
そこじゃない!
疑問に思うのは、そこじゃない!
外科医だって、スーパーに行くことだって、あるだろう…
問題なのは、ここに、長谷川センセイが、いることじゃなく、なぜ、ここで、長谷川センセイが、ユリコといるか? だった…
それが、問題だった…
私の天敵のユリコといるか、だった…
そして、私が、唖然として、二人を見ていると、二人も、私に気付いた…
私が、二人を見ていることに、気付いた…
真っ先に、男の方が、
「…寿さん…」
と、言って、声をかけてきた…
私は、丁寧に、腰を折って、
「…長谷川センセイ…お久しぶりです…」
と、言った…
そして、すぐに、
「…ここで、会うなんて、奇遇ですね? ご自宅が、近いんですか?…」
と、聞いた…
ホントは、そんなことは、どうでもいい(苦笑)…
ホントは、なぜ、長谷川センセイが、ここに、ユリコといるのか?
それが、知りたかった…
それこそが、知りたかった…
そして、その答えに、ユリコが、答えた…
長谷川センセイではなく、ユリコが、答えた…
私の天敵のユリコが、答えた…
「…あら、寿さん…お久しぶり…」
と、言って、答えた…
それから、私に、
「…寿さん…おひとり…」
と、突然、言った…
私は、なぜ、ユリコが、そんなことを、言うのか、わからなかった…
ただ、ユリコが、そう聞くから、
「…ハイ…一人です…」
と、答えた…
ユリコは、それを、聞いて、ニヤリとした…
顔が、笑っているのではない…
ただ、口の端だけで、ニヤリとした…
それから、
「…そう、一人なの?…」
と、意味深に言った…
それゆえ、
「…一人ですが、なにか、問題でも…」
と、聞いた…
当たり前だった…
すると、ユリコが、
「…あら、だって、寿さん、この前、五井記念病院に担ぎ込まれたんでしょ?…」
と、言った…
突然、言った…
すると、それに呼応するように、隣にいる、長谷川センセイが、頷いた…
それで、わかった…
なぜ、ユリコが、私が、五井記念病院に入院したことを、知っているのか、わかった…
この長谷川センセイに聞いたと、わかった…
なぜ、ここに、ユリコが、長谷川センセイといっしょに、いるかは、わからない…
ただ、ユリコが、私の入院を長谷川センセイから、聞いたと、思った…
思ったのだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、
「…寿さん、美人だから、目立つんですよ…」
と、長谷川センセイが、続けた…
「…目立つ? 私が、ですが?…」
「…寿さん、去年も、うちに…五井記念病院に、入院していたでしょ? それを、覚えている職員も、大勢いて…」
長谷川センセイが、続ける…
それを、隣で、聞いていたユリコが、
「…あら、美人は、得ね…」
と、口を挟んだ…
嫌味…
私に対する嫌味だった…
いつもの、ユリコの私に対する嫌味…
ユリコの本領発揮だった…




