寿綾乃という女 第4部 26
ナオキが、帰って来たのは、突然だった…
私が、家に籠って、4日目のことだった…
私は、マミさんと、買い物に行ってから、一度も、外出していない…
冬眠中のクマではないが、ずっと、家に、籠っていた…
一歩も、外出しなかった…
体力を温存するためだ…
体力を回復させるためだ…
後、二週間ちょっと後に、五井本家で、行われる、伸明の見合いに、行くためだ…
それまでに、少しでも、体力を回復させなければ、ならない…
少しでも、体力を回復させ、伸明の見合いに行く…
これが、今、現在、私に与えられたミッション…
ミッション=使命だ…
それゆえ、そのミッションを果たすために、私は、ひたすら体力を回復することに、専念した…
我ながら、笑える…
実に、笑える…
自分とは、なんの関係もない、伸明の縁談に参加するために、体力を回復させるべく、トレーニングするなんて…
これが、笑えなくて、どうする?
自分でも、自分の行動に、呆れた…
実に、呆れた…
が、
それでも、目的ができたのは、いい…
実に、いい…
突然の脳梗塞で、倒れ、五井記念病院に運ばれた…
そして、入院も、一か月もしていない…
が、
どうしても、いかに、入院期間が、短くても、病気を治すには、なにか、目標があった方が、いい…
実に、いい…
達成する目標が、目の前にあった方が、いい…
図らずも、その目標が、偶然、与えられた…
そういうことだと、思う…
さらに言えば、私は、ひとりぼっち…
ひとりぼっちだ…
それゆえ、私が、入院しても、誰も、見舞いに来ないかと、思った…
いや、
一人は、来る…
絶対、一人は、やって来る…
それが、ナオキ…
すでに、別居しているが、私の事実上の夫である、藤原ナオキだった…
そして、巷でよく言われること…
よく、自分が、困ったときに、助けてくれるのは、意外な人物…
それまで、想定していなかった人物だと、言うことだ…
これは、よく言われる…
国が、違っても、よく言われることだ…
事実、私が、そうだった…
伸明が、見舞いにやって来たのは、意外だった…
実に、意外だった…
五井家当主が、私の見舞いにやって来たのは、実に意外だった…
意外以外の何物でも、なかった…
なかったのだ…
そして、さらに、意外だったのは、見舞いにやって来た、伸明とナオキの共通点が、見つかったこと…
二人とも、思ったより、気が弱い(爆笑)…
ナオキが、気が弱いのは、長年の付き合いだから、わかるが、伸明も、気が弱いのには、驚いた…
なにしろ、病室で、ベッドの上に横たわった私に対して、延々と泣き言を、言っていた(爆笑)…
五井の女帝、諏訪野和子が、突然、倒れ、その結果、自分が、分家である、五井西家の娘と、縁談させられると、愚痴っていた…
これには、驚いた…
ホントは、慰めて、もらいたいのは、私だ…
突然の脳梗塞で、五井記念病院に運ばれた私だ…
寿綾乃だ…
矢代綾子だ…
にもかかわらず、伸明は、延々と、私に愚痴をこぼした…
後ろ盾の諏訪野和子が、突然いなくなった愚痴をこぼした…
私は、そのときは、ただ、伸明の愚痴を聞いていたが、今、冷静になって、考えると、腹が立ってきた…
むかっ腹が立ってきた…
どうして、私の見舞いにやって来たのに、延々と、自分の愚痴を、私に聞かせるのか?
そう、考えると、頭に来た…
が、
もしかしたら、それも、仕方がないのかも、しれないと、気付いた…
私は、入院中、まともに、口をきけなかった…
だから、しゃべることが、できない…
だから、どうしても、見舞いにやって来たものが、一方的にしゃべることになる…
しゃべり続けることになる…
それゆえ、自分語りになる…
一方的に、自分のことだけ、語ることになる…
そう、気付いたのだ…
しかし、それにしても、だ…
一方的に、自分語りになるのは、仕方ないが、あんな愚痴を聞かされるとは、思わなかった(苦笑)…
夢にも、思わなかった…
まさに、まさかだ…
伸明が、あんなに、弱い人間だとは、思わなかった…
これっぽっちも思わなかった…
だが、これで、わかった…
伸明の弱さが、わかった…
同時に、なぜ、和子が、伸明の後見人でいるかが、わかった…
おそらく、和子の目から見て、伸明は、頼りないので、あろう…
だから、後見人になった…
伸明の後見人になった…
そういうことだろう…
伸明が、もし、頼りなくなく、しっかりしていれば、和子は、後見人には、ならないだろう…
が、
同時に、和子は、おそらく、積極的に伸明に協力はしないだろう…
頼りがいが、あるのは、もろ刃の剣…
誰もが、積極的に協力はしない…
それは、自分が助けなくても、できると判断するからだ…
真逆に、頼りがいがない方が、ひとに助けられやすい…
周囲の人間が、面倒をみて、やろうと、思うからだ…
ただし、いくら、頼りがいがなくても、性格が悪くては、ダメだ…
誰も、協力はしない…
誰も、その人間を助けようとは、しない…
それゆえ、それを、考慮すれば、伸明は、性格が、悪くない…
そう、思える…
そう、思えるのだ…
私は、ナオキが、突然、目の前に現れたにも、かかわらず、そんなことを、考えた…
そんなバカなことを、考えた…
我ながら、おバカさん…
おバカさんだ…
しかしながら、目の前のナオキは、そうは、とらなかったようだ…
ただ、私が、いきなり、目の前にナオキが、現れたから、絶句したと、思ったようだ…
ナオキは、私の態度を、面白そうに、見ながら、
「…ただいま…」
と、言った…
突然、言った…
私もまた、すぐに、
「…おかえりなさい…」
と、返した…
機械的に、返した…
そして、私のそんな態度を見て、
「…さすが、綾乃さんだ…」
と、ナオキが、言った…
「…さすが? なにが、さすがなの?…」
「…いきなり、ボクが、目の前にやって来たのに、動揺しない…」
「…バカね…十分、動揺しているわ…」
「…ウソ?…」
「…ウソじゃない…」
「…だったら、どうして、顔に出さないの? 態度に出さないの?…」
「…ナオキ…アナタ、何年、私と、いっしょに、いるの?…」
「…なにを、いきなり?…」
「…私は、驚いても、態度に出さないの… 顔にも、出さないの… だから、いつも、堂々と、していると、周囲のひとたちに、思われる…」
「…なるほど…」
「…そんなこと、わかっているはずよ…」
「…たしかに…」
一通りの会話をすると、ホッとした…
実に、ホッとした…
しかし、一体、これまで、どこに、いたんだろう…
謎だった…
文字通り、謎だった…
が、
それを、聞くのは、これから…
これからだ…
まさか、玄関で、そんな話をすることでは、ないからだ…
それに、私も、今は、普段着…
灰色のスエットの上下を着ている…
おまけに、化粧もしていない…
正真正銘のスッピンだ…
これが、ナオキだから、いいが、さすがに、他の者では、見せられない姿…
なまじ、FK興産で、美人秘書と呼ばれたものだから、余計に、普段の姿に気を遣う…
街で、偶然、会社関係の知人にあったときに、
「…えっ? 今の寿さん…寿さんって、普段、ああなんだ?…」
とか、言われたら、たまらないからだ…
要するに、見栄…
見栄だ…
美人と呼ばれたものの、見栄だ…
なまじ、世間で、美人と呼ばれたものの、見栄だ…
宿命だ…
なまじ、世間で、美人と呼ばれているから、どんな場所でも、気が抜けない…
どんな場所でも、誰に会っても、美人と呼ばれるように、心がけている…
念入りに、化粧をして、心がけている…
我ながら、バカげているが、事実…
それが、おそらく、世間で、美人と呼ばれたものに、共通する、事実だ…
私は、またも、目の前に、突然、ナオキが、現れたにも、かかわらず、そんなバカなことを、考えた…
が、
それは、裏を返せば、緊張しないから…
目の前のナオキに、緊張しないからだと、思った…
ナオキだから、緊張しない…
事実上の私の夫だから、緊張しない…
それが、真実…
真実だった…
これが、あの伸明だったら、緊張する…
さすがに、化粧もしないで、灰色のスエットの上下を着て、伸明の前に出ることは、できない…
ならば、五井記念病院では、ノーメイクだったじゃないか?
と、突っ込みが入りそうだが、さすがに、病院で、入院しているのに、メイクはできない(苦笑)…
だから、あれは、例外…
例外だ…
さすがに、この格好で、伸明の前には、出れない…
出ると、したら、勇気がいる…
清水の舞台から、飛ぶ降りるほどの勇気がいる(笑)…
私は、またも、そんなバカなことを、考えた…
考えたのだ…
が、
私が、そんなバカなことを、考えていると、ナオキが、靴を脱いで、ズカズカと、家の中に入って来た…
なにしろ、このマンションには、以前、ナオキと暮らしていた…
ナオキと、ジュン君といっしょに、暮らしいていた…
その当時と、今も、なにも、変わらない…
内装は、そのまま…
家具も、変わらない…
ナオキが、昔、出て行ったときのままだ…
よく、女が、何年も、住んでいる家の内装が同じなんて、信じられないと、いう男が、いるが、それは、女に対する幻想だろう…
なにしろ、家具やカーテンを変えるのは、お金がかかる…
元々、吝嗇家の私が、そんな真似をするわけがないからだ(苦笑)…
ナオキは、玄関で、靴を脱ぐと、まっすぐに、ソファの前に行き、そこで、寝転がった…
よほど、疲れていたのだろう…
私の前でも、あまり、見せたことのない姿だった…
私は、そんなナオキを見ながら、
「…ナオキ…今まで、どこにいたの?…」
と、聞いた…
聞かざるを得なかった…
当たり前のことだ…
ナオキは、
「…伊豆…」
と、短く答えた…
「…伊豆? …どうして、そんなところに?…」
「…監禁されていたんだ?…」
「…監禁? 誰に?…」
「…五井に?…」
「…ウソ?…」
「…ホント…五井の別荘に招かれ、そこに、事実上、監禁されてた…」
ナオキが、言った…
仰天の事実を言った…




