寿綾乃という女 第4部 223
なぜ、昭子が、怒りだしたのか?
私には、さっぱり、わからなかった…
が、
これも、当然ながら、伸明には、昭子が、怒る理由が、わかったらしい…
「…そんなに、怒ることじゃ…」
と、昭子をなだめるような言葉を発したからだ…
「…これが、怒らずに、いられますか!…」
と、昭子が、激怒した…
「…まさか、あのユリコの後ろ盾が、伸明、アナタだとは、思わなかった…夢にも、思わなかった…」
と、激怒した…
私は、その言葉に呆気に取られた…
いや、
私だけではない…
私を含めた全員が、呆気に取られた…
マミさんも、ナオキも、呆気に取られた…
「…まさか、諏訪野さんが、ユリコの後ろ盾…そんな…バカな…」
ナオキが、口にする…
呆然と口にする…
ナオキの隣にいた、マミさんも、また、
「…叔母様、いくらなんでも、それは…」
と、口を挟んだ…
が、
昭子は、あっさりと、言った…
「…証拠は、あるのよ…」
と、言った…
「…証拠?…」
と、マミさん。
「…この伸明が、あのユリコといっしょになった証拠…」
と、昭子。
「…なにが、証拠なんですか? お母さん…」
と、伸明。
「…アナタが、あのユリコと、会っていた証拠…和子に、写真で、見せて、もらった…」
と、昭子。
「…しゃ、写真!…」
と、マミさんが、素っ頓狂な声を上げた…
「…そう、写真…ふたりが、いっしょにいる写真…」
「…ウソ…」
「…ホント…それを、和子に、ネットで、見せられて、私は、この場所に、帰って来たの…和子に、頼まれて、帰って来たの…」
「…どうして、ですか? どうして、諏訪野さんが、ユリコと…」
と、ナオキ。
「…きっと、手柄を挙げたかったのよ…そうでしょ? 伸明…」
と、昭子が、伸明に語りかけた…
が、
伸明は、答えない…
昭子は、続ける…
「…伸明には、昔っから、危なっかしいところがあった…おそらくは、伸明は、ユリコに騙されたフリをして、ユリコを油断させ、ユリコの懐に入るつもりだったのでしょう…しかも、それを、ひとりで、やった…それが、和子の耳に届いて、私に知らせた…和子は、病室から、出られない…だから、仕方なく、私に伝えた…伸明の行動を抑えるべく、私に知らせた…」
その言葉で、なぜ、この昭子が、やって来たか、納得が、いった…
一度は、五井家を、追放された身…
そんな身分の、この昭子が、何事もなく、堂々と、舞い戻って来るはずがない…
戻って来るには、それ相応の理由がある…
和子は、伸明の身を案じて、姉の昭子を頼った…
伸明の実母の昭子を頼った…
そういうことだろう…
私は、思った…
私は、考えた…
そして、そう、考えていると、昭子が、さらに、
「…伸明…アナタの行動は、危なっかしいのよ…いつも…」
と、繰り返した…
「…たぶん、ハルカさんに、刺されたのだって、アナタの危なっかしさが、原因でしょ? 五井家の当主が、身分を隠して、遊ぶ…水戸黄門じゃ、ないんだから、身分が、バレたら、どうなるか? 火を見るよりも明らかでしょ!…」
昭子が、激怒した…
目の前の伸明に、激怒した…
が、
伸明は、それに、懲りた様子は、なかった…
凹んだ、感じは、なかった…
「…おおげさだよ…母さん…」
と、言って、凹んだ様子も、落ち込んだ様子も、まるで、なかった…
「…たしかに、ハルカに刺されたのは、誤算だった…でも、それ以外は…」
と、伸明。
「…それ以外は、どうなの?…」
と、昭子が、鋭い口調で、聞き返す…
「…それ以外は、たいしたことじゃ…」
と、言った伸明の言葉を昭子が、遮った…
「…たいしたことないわけじゃないでしょ!…」
と、烈火のごとく、怒り出した…
「…たいしたことじゃなくて、どうして、ハルカに刺されるの!…」
と、激怒した…
伸明は、それを見て、
「…すいませんでした…」
と、謝るほかは、なかった…
他に、術が、なかった…
「…伸明、アナタは、いつも、読みが、甘いのよ!…」
と、昭子が、続けた…
「…読みが甘い? ボクが?…」
「…そうよ…」
「…どこが、読みが甘いんですか?…」
「…あのハルカに、刺されたことも、そうだけれども、アナタは、ユリコに近付いて、彼女を利用しようとしたでしょ?…」
「…ボクが、彼女を利用? どんなふうに、利用するんですか?…」
「…ユリコと二人だけで、会うだけで、ユリコは、安心したと、思わせたかったのでしょう…五井家の当主が、二人だけで、会う…それだけで、ユリコは、伸明を信頼する…信用するとでも、思ったのでしょう? 違う?…」
「…」
「…あのユリコは、したたか…百戦錬磨のしたたかな女…五井の当主である、アナタと二人きりで、会っても、舞い上がってなんか、いない…少しでも、隙を見つけて、アナタの弱点を探る…懐に入ろうとする…」
「…」
「…どうせ、伸明は、あのハルカが、ユリコの差し金で、見合いにやって来たことを、匂わせたのでしょう…それで、あの女が、動揺すると、思ったのでしょう…違う?…」
「…」
「…それを、ユリコは、逆手に取った…妊娠を告げたハルカに、お腹の子供は、伸明の子供だと言えとでも、知恵を授けたんじゃないかしら?…それで、それを、実行に移した…」
それを、聞いて、思った…
それを、聞いて、考えた…
あのハルカとは、伸明の見合いの後、もう一度だけ、会った…
そのときのハルカは、違った…
あの見合いの席で、会ったハルカとは、違った…
まるっきり、別人だった…
あの見合いの席のハルカは、勝気な感じの女…
その後に会ったハルカは、真逆におとなしそうだった…
どっちが、素のハルカかは、わからない…
だが、おとなしい感じのハルカが、素のハルカだとしたら、伸明に会って、伸明の子供かどうか、わからないのに、伸明の子供と、言い張ることなど、できない…
そこまで、図々しくは、できない…
しかしながら、誰かに唆せられれば、違うだろう…
そして、その誰かが、ユリコだった…
そういうことだろう…
だから、ハルカは、強気になれた…
図々しくなれたのだ…
私は、思った…
私は、考えた…
「…ハルカさんの、お腹の子供の父親…それが、誰かは、わからなかった…たぶん、ハルカさんは、わからなかった…特定の誰かとは、わからなかった…」
昭子が、続ける…
「…でも、それを、強引に、伸明の子供と言えと、ユリコは、迫った…それで、ハルカさんは、その通りにした…」
「…」
「…でも、当然、伸明は、認めない…ハルカさんのお腹の中の子供が、自分の子供であるか、どうか、わからない…確信を得られないのだから、当たり前よね…」
「…」
「…でも、ハルカさんの立場に立てば、おそらく、予想外の妊娠…しかも、誰の子供だか、確信が、持てない…それで、焦ったんだと、思う…それで、自ら、命を…」
昭子が、悲痛な表情で、言った…
「…だから、伸明、アナタにも、ハルカさんの死に、責任の一端がある…もちろん、ユリコにも…」
昭子が、言った…
力強く、言った…
それを、聞いた、伸明が、
「…ボクに、どうしろと、言うのですか? お母さん?…」
と、聞いた…
真逆に、聞いた…
まるで、昭子と対峙するように、聞いた…
昭子は、そんな伸明の姿を、見て、
「…やはり、伸明、アナタは、なにも反省していないみたいね…」
と、言った…
残念そうに、言った…
「…アナタには、私の血が流れている…反逆の血が、流れている…」
昭子が、悲しそうに、言う…
「…私は、これでもいい…私は、五井家の当主でも、なんでもない…だから、いい…でも、伸明、アナタは、違う…五井家の当主…だから、マズい…このままでは、マズい…」
「…だったら、どうすれば、いいんですか、お母さん…」
と、伸明が、昭子に、挑戦するような口調で、言った…
その言葉を受けて、昭子は、マミさんを見た…
まっすぐに、マミさんを見た…
マミさんが、緊張することが、わかった…
「…えっ?…」
と、小さく、呟く声が、聞こえた…
「…マミさん、今後、アナタが、正式に、伸明の補佐をしなさい…」
昭子が、言った…
昭子が、命じた…
マミさんの顔が、引きつった…
明らかに、引きつった…
「…補佐…」
と、言って、引きつった…
それを、聞いた伸明が、
「…どういうことですか? お母さん…」
と、気色ばんだ声で、言った…
伸明の顔色も変わっていた…
真剣な表情になった…
「…そうよ…マミさんが、正式に、当主の補佐として、五井本家を仕切る…」
昭子が、断言した…
「…これまでも、マミさんは、伸明を補佐してくれたけれども、正式な地位ではない…それは、マミさんには、申し訳ないけれども、マミさんは、建造の愛人の子供…だから、正式には、五井家の人間とは、認められない…でも、今後は、正式に、五井家の人間として、伸明の補佐をなさい…」
「…正式に…と言っても、私の戸籍は、五井とは、なんの関係も…」
「…だったら、私の養女になりなさい…」
昭子が、仰天の言葉を発した…
「…養女? 私が?…」
「…そうよ…正式に、私と養子縁組をして、私の娘になりなさい…そうすれば、マミさんは、正式に、五井家の人間になれる…」
「…でも、叔母様…五井の分家が、そんなことを、認めるわけが…」
「…それは、大丈夫…」
「…大丈夫? どうして、大丈夫なんですか?…」
「…表と裏…」
「…いきなり、なんですか? 表と裏って?…」
「…和子は、表…五井の女帝として、表舞台に立ち、五井を代表する存在…」
「…」
「…片や、私の役割は、表舞台ではなく、裏の舞台…」
「…裏の舞台…」
「…決して、表に立つことなく、五井の分家を、中心に、本家をまとめること…五井家をまとめること…それが、今は、亡き、両親の希望だった…」
昭子が、言った…
ずっと、以前から、私が、思っていたことを、言った…




