寿綾乃という女 第4部 220
病室の扉が、ゆっくりと、開いた…
そして、その人物の姿を見て、驚愕した…
それは、長谷川センセイ…
五井記念病院での、私の主治医だった…
…なぜ?…
…どうして、ここに、長谷川センセイが、いるんだろ?…
私は、パニクった…
一瞬、パニクった…
が、
すぐに、わかった…
すぐに、思い出した…
この長谷川センセイは、五井記念病院を退職して、この北東病院に勤務している…
それを、思い出した…
思い出したのだ…
私が、
「…ご無沙汰しています…」
と、丁寧に腰を折って、長谷川センセイに、挨拶をしようと、したところに、私を無視して、長谷川センセイは、まっすぐに、昭子の元へ、行った…
迷うことなく、昭子の前に行った…
そして、
「…ご無沙汰しています…長谷川です…この度、五井一族と名乗ってよいと、許可を得た、五井西家の血を引く長谷川です…」
と、挨拶した…
それから、
「…諏訪野和子さん…」
と、続けた…
それを、見て、私は、この長谷川センセイが、誤解している…
目の前の昭子と、和子を、誤解していると、思った…
今さら、言うまでもなく、目の前の昭子と、あの五井の女帝の和子は、双子…
双子だ…
一卵性双生児の双子だ…
それゆえ、外見が、そっくり…
外見が、瓜二つだ…
だから、ちょっと見には、わからない…
どっちが、昭子で、どっちが、和子か、わからない…
だから、誤解した…
この長谷川センセイが、誤解したと、思った…
ナオキは、どう思うか、わからないが、私や、マミさんや、伸明、そして、当の昭子本人は、誤解したと、思った…
が、
誰もなにも、言わなかった…
長谷川センセイの間違いを指摘しなかった…
それどころか、昭子は、ただ、
「…伸明が、お世話になっています…」
と、私が、本来、しようとしたように、丁寧に腰を折って、長谷川センセイに、接した…
これでは、長谷川センセイは、誤解したまま…
この昭子を、和子と誤解したままだ…
私は、一瞬、躊躇ったが、その間違いを指摘しようと、思った…
長谷川センセイに指摘しようと、思った…
が、
止めた…
偶然、伸明を見ると、伸明が、私に向かって、無言で、首を横に振ったからだ…
それを、見て、伸明は、
「…真実を告げるな!…」
と、私に、言っていると、思った…
「…誤解させたままでいろ!…」
と、言っていると、思った…
それゆえ、私は、黙った…
なにも、言わなかった…
それから、急いで、マミさんを、見た…
マミさんが、私同様、真実を告げるかもと、思ったからだ…
が、
マミさんも、私同様、なにも、言わなかった…
硬い表情のままだった…
それゆえ、
…なぜ?…
と、思った…
…どうして?…
と、思った…
が、
やはり、なにか、理由があるのだろうと、察した…
あるいは、
…このまま、誤解させていたほうがいい…
のかも、しれない…
残りは、当の昭子本人と、ナオキだったが、二人とも、なにも、言わなかった…
当の昭子本人も、そうだが、ナオキも、また、なにも、言わなかった…
まあ、ナオキの場合は、こんなときに、余計なことは、言わない…
それが、わかっている…
この十五年の付き合いで、わかっている…
そして、そんなことを、考えていると、この長谷川センセイ…
長谷川センセイ自身も、かつて、この昭子と面識があることに、気付いた…
かつて、私が、五井記念病院に、入院したときに、この昭子が、私を見舞ったからだ…
だが、正確には、そのときに、この長谷川センセイが、同席したかどうかは、忘れてしまった…
覚えていなかった…
当たり前のことだ…
そのときは、長谷川センセイは、主役ではなかった…
脇役だった…
今が、主役かと、言えば、怪しいが、それでも、長谷川センセイは、キーパーソンになっている…
今回の件のキーパーソンになっている…
なにしろ、あのハルカは、この長谷川センセイの妹…
血の繋がっていない、義理の妹だ…
つまりは、伸明の見合い相手だったハルカの義理の兄だ…
自殺した、ハルカの義理の兄だ…
この長谷川センセイが、五井西家の当主と知り合い、ハルカを伸明に紹介した…
五井家の血を継ぐものとして、紹介した…
それが、すべての始まり…
今回のすべての始まりだ…
が、
考えてみれば、あのハルカは、この長谷川センセイと、血が繋がっていない…
つまりは、あのハルカは、五井一族の血が、流れていない…
ということは、どうだ?
そもそも、あのハルカは、伸明の見合い相手の資格がない…
五井一族の血が、流れていないのだから、伸明と見合いをする、資格がない…
五井一族は、同じ五井一族の人間と、結婚するのが、原則…
さもなければ、血が薄まるからだ…
五井の歴史は、四百年…
そして、五井には、十三家がある…
分家が十三家もある…
つまりは、それほど、血が薄まっていると、いうこと…
四百年の歴史の中で、同じ五井一族といっても、他人並みに、血が薄まっているということだ…
が、
それでは、団結ができない…
いざというときに、一族の団結ができない…
それゆえ、一族同士の結婚を奨励した…
もはや、他人並みに薄くなった、一族では、いざとなったら、団結は、難しい…
だから、一族内で、結婚する…
簡単に言えば、再び、一族となるということ…
血が繋がった一族となるということ…
そうなれば、団結が、容易だからだ…
それゆえ、一族内で、結婚を奨励する…
が、
そもそも、あのハルカは、一族では、なかった…
五井の血は、一滴も、ハルカのカラダに流れていなかった…
つまりは、騙した…
この長谷川センセイは、騙した…
あの西家夫妻を騙したということになる…
私は、今さらながら、それに、気付いた…
気付いたのだ…
そして、そんな事実に、ようやく、気付いた私の眼前で、長谷川センセイが、お調子をとっていた…
昭子のお調子をとっていた…
昭子を和子と誤解したまま、調子をとっていた…
長谷川センセイは、昭子の手を握り、
「…今日は、本当に、お会いできて、嬉しいです…」
と、これでもかと、昭子を持ち上げていた…
が、
昭子は、冷ややかだった…
それが、態度に現れていた…
昭子は、真っ先に、
「…あら、長谷川センセイ…」
と、長谷川センセイの名前を読んでから、
「…この度は、ホントに、ご愁傷さまです…」
と、言った…
いきなり、言った…
途端に、長谷川センセイの動きが、止まった…
それまで、熱心に、昭子の手を掴んで、昭子の手を上下に揺すっていた手が、止まった…
ピタリと、止まった…
昭子は、続けて、
「…お兄様としては、妹さんが、亡くなったことで、胸が張り裂ける思いだったでしょう…」
と、言った…
もちろん、皮肉だ…
長谷川センセイの顔色が、変わった…
明らかに、変わった…
青白くなったとまでは、言えないが、明らかに、硬くなった…
表情が、硬くなった…
自分にとって、マズい展開になった…
自分にとって、不利な展開になった…
そう、長谷川センセイが、思ったのは、傍から、見ていても、わかった…
十分、過ぎるほど、わかった…
長谷川センセイは、硬い表情のまま、
「…ありがとうございます…」
と、頭を下げた…
その頃には、それまで、握っていた昭子の手も、離していた…
昭子は、次いで、
「…まして、血が繋がった妹さんならば…」
と、告げた…
その言葉に、長谷川センセイの顔色が、またも、変わった…
それまでの硬い表情を超えて、明らかに、顔色が、青くなった…
青白くなった…
つまりは、この昭子は、長谷川センセイのウソに気付いている…
そう、思ったに、違いなかった…
この長谷川センセイは、この昭子を、和子と、誤解したままだが、長谷川センセイのついたウソに、気付いていると思ったに違いなかった…
だから、絶句した…
長谷川センセイは、絶句して、なにも、言えなかった…
昭子の前で、なにも、言えなかった…
長谷川センセイは、緊張した表情で、ポツリと、
「…実は…」
と、切り出した…
が、
その後が、続かなかった…
しばらく間があった…
それゆえ、昭子が、
「…実は、なんですか?…」
と、言った…
追い打ちをかけた…
その昭子の言葉に抗うことは、できずに、
長谷川センセイは、
「…実は、ハルカとは、血が繋がってないんです…」
と、告白した…
青ざめた顔で、告白した…
「…えっ? 血が繋がってない?…」
と、昭子は、さも、驚いたフリをした…
いかにも、今、知ったかのフリをした…
昭子の言葉に、
「…ハイ…そうです…」
と、長谷川センセイは、頭を垂れたまま、言うしかなかった…
が、
昭子は、それを、狙っていた…
即座に、
「…だったら、そもそも、アナタの妹さんに、伸明の見合い相手の資格は、ないんじゃないんですか?…」
と、言ったからだ…
「…伸明の結婚相手は、五井一族の血が流れているのが、前提…五井一族は、同じ五井一族から、結婚相手を、選ぶ…それが、原則…まして、伸明は、今、五井の当主…五井本家の当主…それを、曲げるわけには、いかない…」
昭子が、熱弁する…
それを、聞いた長谷川センセイは、以前にも、まして、頭を、下げた…
そして、
「…すいません…」
と、詫びた…
蚊の鳴くような、小さな声で、詫びた…




