寿綾乃という女 第4部 206
朝食を終え、一息、着いた後、マミさんに、電話をかけるか、どうか、悩んだ…
まさか、朝っぱらから、マミさんに、電話をかけるわけには、いかないからだ…
さりとて、長谷川センセイに、電話をかけるわけにも、いかない…
なにより、長谷川センセイの電話番号を知らない…
五井記念病院での、私の担当医だったが、プライベートで、付き合いはない…
だから、知らない…
長谷川センセイのケータイの電話番号は、知らない…
さて、どうしたものか、悩んでいると、家の電話が、鳴った…
家の固定電話が鳴った…
私は、驚いて、電話を、見た…
近くにいた、ナオキも、また、同じように、電話を見た…
二人とも、朝食を終え、くつろいでいたところだ…
「…誰からだろ?…こんな朝早くから?…」
私が、口走ると、ナオキが、
「…誰だかは、わからないけれども、綾乃さんの知り合いからだろ? ボクが、このマンションに住んでいたのは、ずっと前だから…」
ナオキが、言う…
たしかに、その通り…
このナオキが、私とジュン君といっしょに、このマンションに住んでいたのは、五年前どころか、それより、はるか昔…
だから、ナオキに用事があって、このマンションの固定電話に、電話をかけてくるものは、いない…
すると、消去法で、電話の目当ては、私となる…
私、寿綾乃となる…
私は、ナオキの視線を感じながら、電話に出た…
「…もしもし、寿です…」
と、言って、電話に出た…
すると、相手が、名前を、名乗ったのだが、その相手は、意外や意外…
ユリコだった…
今、目の前にいる、ナオキの前妻だった、藤原ユリコだった…
「…あら、寿さん、おはよう…久しぶりね…」
ユリコが、言う…
その声が、ナオキに、聞こえたか、どうかは、わからないが、私は、手で、受話器を抑えて、
「…ユリコさん…」
と、ナオキに、言った…
「…えっ? ユリコ? なんで、ユリコが?…」
と、ナオキが、絶句する…
が、
それが、聞こえたか、否かは、わからないが、ユリコが、電話の向こう側から、
「…今朝は、寿さんに、有益な情報を教えてあげようと、思って、電話したの…」
と、言ってきた…
「…有益な情報?…」
「…今、テレビやネットで、話題になっている、ハルカさん…長谷川センセイの妹さんの…」
「…ハルカさんが、どうかしたんですか?…」
「…自殺したでしょ?…」
「…」
「…その件で、電話をしたの…」
「…その件で…」
「…葬儀は、やらない…火葬場で、お骨にするだけ…」
「…えっ?…」
「…葬儀をすれば、マスコミに、アレコレ、騒がれるし…第一、地方出身のハルカが、この都会で、葬式をしても、友達も、ひとりも、来れないでしょ?…」
「…でも、それは、わかりますが、それを、どうして、ユリコさんが?…」
「…長谷川よ…長谷川…」
「…長谷川センセイ…」
「…私が、口を出すことじゃないでしょ?…」
「…でも、どうして、私に、そんなことを?…」
「…ナオキよ…私の元の夫よ…ナオキは、あのハルカと結婚会見をしたぐらいだから、ハルカの葬儀に行くと、思って、それで、伝えてあげたの?…」
「…だったら、ユリコさんが、直接、伝えれば…」
「…それは、ごめん…」
「…どうして、ですか?…」
「…やはり、それは、ジュンのことがある…ナオキに負い目がある…」
やはり、いくら、ユリコでも、ナオキの子供でないにも、かかわらず、ずっと、ナオキの子供とナオキに、言っていたのが、嫌だったのだろう…
ずっと、ナオキを、騙していたのが、嫌だったのだろう…
それゆえ、負い目がある…
だから、今も、わざわざ、朝っぱらから、あのハルカの葬儀は、行わないと、私に、電話をかけて、来たのだろう…
私に、電話をすれば、ナオキに伝わるからだ…
私は、それを、思うと、
…このユリコでも、案外、人間臭さが、残っているんだな…
と、思った…
…わずかだが、残っているんだな…
と、思った…
それから、考えた…
今回の五井の騒動の黒幕…
それは、このユリコだと、いうことを、思い出した…
このユリコが、あの五井北東家の団郁馬と組んで、五井に攻撃を仕掛けた…
五井本家に、攻撃を仕掛けたことを、思い出した…
あの和子が、教えてくれた…
あの五井の女帝が、教えてくれた…
かつて、このユリコは、五井の女帝に敗北した…
完膚なきまでに、敗北した…
そして、プライドの高いユリコが、その敗北を忘れるはずがない…
当然、その屈辱を拭う日を来るのを、今か今かと、待っていたに、違いない…
それが、今回の件の始まり…
あの五井の女帝、諏訪野和子が、倒れたことを、知った、ユリコが、動き出した…
千載一遇の機会だと、知って、動き出した…
が、
和子の方が、上手だった…
ユリコより、上手だった…
和子は、あらかじめ、ひとを介して、ユリコの動きを把握していた…
気位の高い、ユリコが、和子に恥をかかされて、そのままで、いるはずがない…
いずれ、復讐の機会を窺って、動き出す…
そう、読んでいた…
それゆえ、ユリコの動きは、筒抜けだった…
和子に筒抜けだった…
もちろん、運もある…
和子の病気が、たいしたことが、なかったことも、大きい…
だから、すぐに、ユリコに対して、対策を立てることが、できた…
それが、大きい…
が、
運も、実力の内…
要するに、これが、和子と、ユリコの差…
埋めがたい差だ…
と、
そこまで、考えて、気付いた…
和子の病状だ…
もしかしたら、言うほど、良くはないのかも、しれない…
そう、気付いた…
それゆえ、和子は、双子の姉の昭子を、呼び寄せたのでは、ないか?
かつて、自分の手で、五井家から、追放した、昭子を呼び寄せたのではないか?
そう、思った…
あの昭子は、和子と、似ている…
双子だから、当たり前かも、しれないが、外見だけでなく、性格も似ている…
なにより、ひとを束ねる能力がある…
これが、似ている…
ひとを束ねる能力は、天性のもの…
天性の才能だ…
いくら、頭が良くても、ひとを束ねることが、できないものは、できない…
頭の良さと、ひとを、束ねるのは、別の才能だからだ…
それゆえ、和子は、昭子を、身近に、呼び寄せたのでは、ないか?
自分に万が一のことがあったら、困るから、姉の昭子を呼び寄せたのでは、ないか?
そして、昭子にしてみれば、伸明のことがある…
五井の当主となった、実の息子の伸明のことがある…
もし、なにか、あれば、妹の和子に代わって、伸明を補佐しなければ、ならない…
そのために、一度は、追放された、身にも、かかわらず、妹の和子の元に、やって来たのでは、ないか?
そう、気付いた…
遅まきながら、気付いた…
そして、私が、そう、考えていると、ユリコが、
「…まあ、寿さん、とにかく、頼んだわよ…ナオキに、伝えておいて…」
と、言って来た…
「…ハイ…わかりました…」
私は、反射的に、答えた…
すると、ユリコが、
「…私は、まだ、負けちゃいない…」
と、突然、言ってきた…
「…えっ? 負けちゃいない…」
思わず、繰り返した…
「…まだ、勝負は、ついちゃいない…」
ユリコが、続ける…
どういうことだろ?
負けちゃないないって?
すでに、勝負は、決したはずだ…
勝負は、ついたはずだ…
それが、今さら…
負け惜しみ?
いや、
そんなはずはない…
このユリコは、虚勢を張る女ではない…
根拠もなく、虚勢を張る女ではない…
だとしたら、なにか、ある?
まだ、なにか、あるのだろうか?
考え込んだ…
そして、考え込んでいる間に、プツンと電話が、切れた…
私が、なにか、言う前に、電話が、切れた…
私は、手に持った受話器を恨めしそうに、見たが、すぐに、近くに、ナオキがいるのを、思い出した…
それゆえ、ナオキを見た…
ナオキを見て、つい、
「…ユリコさん、まだ、負けてないって…」
と、呟いた…
「…負けてない?…」
ナオキが、繰り返す…
「…なんに、負けてないんだ?…」
と、ナオキ。
「…たぶん、五井との闘い…諏訪野和子さんとの闘い…」
私が、呟くと、ナオキが、ポカンとした顔になった…
意味が、わからないようだった…
私は、ナオキに、それを説明するより先に、
「…ハルカさんの葬儀、やらないらしいわ…」
と、告げた…
その方が、大切だと、思ったからだ…
「…ハルカさんの葬儀をやらないって、どうして、ユリコが、それを?…」
「…ハルカさんの兄の長谷川センセイに、聞いたみたい…ナオキに、伝えてくれって…」
「…ボクに?…」
「…ユリコさん、ナオキが、ハルカさんの葬儀に行くつもりだと、見抜いていたみたい…」
「…でも、どうして、ユリコが、それを?…」
「…ユリコさん、長谷川センセイと付き合っているみたい…だから、長谷川センセイに聞いて…」
私が、告げると、ナオキが、絶句した…
あまりにも、想定外だったのだろう…
絶句した…
それから、
「…そうか…」
と、だけ、言った…
すでに、別れて、十年以上、経っている…
今さら、ユリコが、誰と付き合っていおうが、関係ない…
ナオキには、関係ない…
が、
それでも、やはり、ショックだったのかも、しれない…
明らかに、ナオキは、衝撃を受けた様子だった…
ひょっとしたら、ハルカの死以上に、衝撃を受けた様子だった…




