寿綾乃という女 第4部 204
「…寝てないわ…」
私は、即答した…
「…ずっと、考え事をしていたの…」
私は、言った…
それを、聞いて、
「…ボクと同じだ…」
と、ナオキが、笑った…
「…綾乃さん、ちょっと、この部屋に入っていい…」
「…入っていいけれど、なにをしに来たの?…」
「…それは。こんな深夜に、男が、女の部屋に入るんだ…目的は、わかっているだろ?…」
「…もしかして、セックスをするため?…」
「…その通り…」
「…だったら、帰って…そんな気分じゃないの… 今すぐ、部屋を出て行って…」
私が、言うと、ナオキが、爆笑した…
「…やっぱり、綾乃さんだ…」
と、言って、爆笑した…
「…昼間、あんなことがあったから、心配して、やって来たんだけれど、全然、変わらない…いつもの綾乃さんだ…」
と、言って、爆笑した…
私は、頭に来た…
ナオキのその言葉に、頭に来た…
「…ちょっと、ナオキ…用事がないのなら、さっさと、帰って!…」
と、怒鳴った…
つい、怒鳴った…
それを、聞いて、さらに、ナオキは、爆笑した…
「…やっぱり、綾乃さんだ…いつもの綾乃さんだ…」
と、笑って言った…
そして、笑いながら、
「…じゃ、これで、失礼するよ…」
と、言って、ドアを閉めて、出て行こうとした…
私は、これにも、カチンと、頭に来た…
「…ちょっと、ナオキ…女の部屋に入って来て、このまま、なにもしないで、出て行くつもり?…」
と、怒鳴った…
「…だって、綾乃さん、今夜は、そんな気分じゃないって…」
と、ナオキが、戸惑ったように、言う…
「…女の言うことを、真に受けちゃ、ダメ!…」
と、私は、力強く言った…
前言を翻して言った…
「…それって、今夜、ボクとセックスをするってこと?…」
と、ナオキは、戸窓ったように、言う…
「…自分で、考えなさい!…」
私が、言うと、ナオキが、黙った…
「…」
と、黙った…
それから、言った…
「…綾乃さん、もしかして、寂しいの?…」
と、言った…
私が、思っても、いないことを、言った…
私が、考えてもないことを、言った…
まさに、想定外…
想定外の言葉だった…
だから、
「…ナオキ…どうして、そんなことを、言うの?…」
と、聞いた…
当たり前だった…
「…だって、綾乃さん、ボクを引き留めようとしているだろ?…」
「…」
「…だから、わざと、天邪鬼なことを、言っている…わざと、支離滅裂なことを、言っている…いつもの綾乃さん、らしくないことを、言っている…」
ナオキが、思っても、みないことを、言った…
私が、考えても、みないことを、言った…
部屋は、真っ暗…
夜だから、真っ暗…
しかも、ナオキは、まだ部屋の明かりをつけていない…
私に気を遣っているのだろう…
だから、有利…
というか、安心した…
私が、驚いた表情をしたかも、しれないのに、それを見られないことに、安心した…
私とナオキは、もう、十五年の付き合い…
すでに、出会った当初から、男女の関係になった…
が、
当たり前だが、ここ数年は、ご無沙汰…
ほとんど、セックスを、していない…
それもこれも、家族になったから…
それが、原因だ…
いっしょに、暮らして、家族になったから…
だから、燃えない…
相手に、欲情しない…
知らない相手だから、欲情する…
まだ、見ぬ相手だから、欲情する…
かつて、雑誌か、なにかで、
「…ボクは、家庭にセックスは、持ち込まない…」
と、言った男がいたが、さもありなん…
いっしょに、暮らしている男や女に欲情する男も女もいない…
そんなことは、最初だけ…
すぐに、飽きる…
私が、長々とそんなことを語ったのは、私も、ナオキも、それが、わかり過ぎているほど、わかっているからこそ、プライバシーを重視している…
馴れ合いの関係には、ならない…
相手のプライバシーに、必要以上に、立ち入らない…
相手を尊重する…
だから、今も、ナオキは、私の寝ている部屋に来ても、勝手に、部屋の明かりをつけることはない…
決してない…
私のプライバシーを尊重しているためだ…
つまりは、互いのプライバシーを侵さない…
それが、暗黙の了解…
それゆえ、男と女で、いられる…
家族にも、かかわらず、男と女でいられる…
つまりは、長々と、いつもながら、口説く説明したが、本音は、ただ、私の顔を見せたくない…
私の驚いた顔を見せたくない…
それだけだ(苦笑)…
そして、あと数年、あるいは、十年後には、しわが増えた私の顔を見せたくない…
スッピンの私の顔を見せたくないに、変わる…
女は、常に、わがまま…
常に、自分優先で、わがままだからだ…
まして、私は、美人…
周囲から、美人と呼ばれている…
それゆえ、余計に、わがままになる…
当たり前だった…
が、
ホントは、そんなことは、関係ない…
同居する男から、見れば、関係ない…
まったく、関係がない…
なぜなら、さっきも、言ったように、家族だから…
いっしょに、暮らしている家族だから、相手に、ときめかなくなるからだ…
いっしょに、暮らし出せば、生まれながらの家族と、同じになる…
いくら、自分の兄や姉といった兄弟姉妹が、美人やイケメンでも、ときめかない…
なにも、感じない…
それと、同じになるからだ…
私が、そんなバカなことを、延々と、考えていると、ナオキが、
「…やっぱり、今夜は、遠慮するよ…綾乃さん、すまない…」
と、言った…
「…どうして、遠慮するの?…」
と、私。
「…ハルカさんの死…」
ナオキが、短く、言う…
「…ハルカさんの死?…」
「…そう、綾乃さん、忘れた? ボクは、曲がりなりにも、ハルカさんの結婚相手だよ…」
「…」
「…その結婚相手が、死んだのに、その日に、他の女を抱くなんて、さすがに、それは、ハルカさんに、失礼だろ? 申し訳ないだろ?…」
「…」
「…だから、パス…今夜は、パス…」
ナオキが、しんみりと、言う…
そう、言われると、なにも、言えなくなった…
私も、ナオキも、正直、あのハルカさんとは、縁が薄い…
繰り返すが、私は、二度しか、会ったことがない…
しかしながら、いくら二度しか、会ったことがない人間でも、縁があった…
偽りとは、いえ、ナオキの結婚相手として、世間に発表した…
また、伸明の見合い相手として、私は、会った…
だから、普通の相手では、ない…
普通の関係ではない…
だから、彼女の喪に服すほどの仲ではないが、それでも、彼女が、亡くなった、その日に、ナオキとセックスをする気は、起きなくなった…
まったく、起きなくなった…
そして、そう、考えると、自然に、
「…伸明さんは。今、どういう気持ちかしら…」
と、呟いていた…
つい、口走っていた…
それを、聞いたナオキが、
「…えっ?…」
と、反応した…
「…だって、自分と会った後、あのハルカさん、すぐに、自殺したわけでしょ?…」
「…そうだね…」
「…だから、伸明さんは、今、どういう気持ちかしら?…」
私が、言うと、ナオキが、考え込んだ…
もちろん、暗闇だから、見えない…
ナオキの顔は、見えない…
だが、ナオキが、なにも、言わないことで、考え込んでいることが、わかった…
そして、しばらく、経った後、
「…難しいよね…」
と、呟いた…
「…難しい? どうして、難しいの?…」
「…だって、諏訪野さんが、あのハルカさんと、男女の関係だったとしても、頻繁に、そういう関係じゃなかったと、思うよ…たぶん、ときどき、してたとか?…」
「…どうして、そう思うの?…」
「…そう、言われると、根拠はない…だけど…」
「…だけど、なに?…」
「…諏訪野さん、忙しいだろ?…」
「…忙しい…」
「…なにより、地位がある…ボクのような成り上がりとは、違う…」
「…それが、どうしたの?…」
「…それなりの地位にいるひとは、セックスひとつとっても、慎重になるんじゃないかな?…」
「…どういうこと?…」
「…やる相手…」
「…やる相手?…」
「…ぶっちゃけ、相手が妊娠しても、困るし、口が堅い女じゃなくちゃ、困る…自分としたことを、外でペラペラと、喋られたら、困るからね…」
「…」
「…だから、たぶん、慎重に相手を選ぶ…」
「…だったら、伸明さんは、何度も、あのハルカさんと、してるんじゃ?…」
「…どうして、そう、思うの?…」
「…だって、相手選びに慎重だったら、その選んだ相手って、少ないでしょ? だから…」
「…それは、わかるけれども、あの諏訪野さんは、忙しいよ…そう、何度もあって、そんなことを、する時間は、ないんじゃ…」
そこまで、聞いて、気付いた…
閃いた…
「…ちょっと、ナオキ…アナタ、自分のことを、言っているんじゃないでしょうね…」
と、怒った…
「…えっ? 自分のこと? どうして、ボクのことになるの?…」
「…だって、ナオキ…アナタだって、テレビに出てるし、会社だって、経営している…つまり、有名人…」
「…有名人…」
「…だから、遊ぶ女、選びにも、慎重になるでしょ? 伸明さんと、いっしょ…」
私が、そう言うと、ナオキは、
「…」
と、沈黙した…
それから、少しして、
「…バレた?…」
と、ナオキが笑って言った…
「…バレているに、決まっているでしょ? 一体、何年、ナオキといっしょに、いると、思っているの!…」
「…だよね…」
と、ナオキが、応じる…
「…バレバレよ…」
私が、断言した…
ナオキは、それには、答えず、無言で、部屋のドアを閉めた…
おそらくは、この漫才に納得したのだろう…
話が、いつのまにか、伸明の話から、ナオキの話に代わり、漫才のオチに変わった…
それゆえ、最後は、爆笑になった…
コントになった…
コントになることで、ハルカの死という悲劇から、喜劇に変わった…
そのおかげで、精神的に楽になった…
いつのまにか、深刻な話が、笑いに変わった…
ナオキが、わざと、話を笑いに持っていった…
いや、意識せずとも、私が指摘することで、笑いに変化させた…
そして、そういうふうに、深刻な話を笑いに代えてくれる相手がいて、幸せ…
つくづく、幸せだと思った…
相手に恵まれたと、思った…
心の底から、思った…
そう、思いながらも、一方で、伸明のことを、考えた…
自分は、つくづく、パートナーに恵まれていると、感謝しながらも、別の男のことを、考えた…
これは、女の性…
それとも、私が、ただ、欲張りなだけ…
私が、ただ、自分勝手なだけ?
そう、思った…
そう、思いながら、眠りについた…




