寿綾乃という女 第4部 202
「 …ウソ!…」
とっさに、言った…
とっさに、声に出した…
「…ウソでしょ?…」
言葉に出した…
言葉を続けた…
「…ウソじゃない!…」
マミさんが、続ける…
「…と言っても、可能性…」
「…えっ? 可能性?…」
「…あのハルカさん、逮捕されて、拘置所に、入れられて、そこで、妊娠が、判明したの…」
「…えっ?…」
「…本人も、気付いていなかったみたい…」
「…だったら、どうして、伸明さんが?…」
「…伸明さんも、あのハルカさんと、何度か、関係したことが、あったみたい…それで、伸明さん、ハルカさんが、妊娠したと、聞いて、ハルカさんに、会いたくなって…」
…そういうことか?…
…納得した…
なにより、そういうことなら、伸明の態度にも、納得がいく…
初めて会ったはずの、伸明とハルカの見合い…
ハルカは、終始、高圧的な態度だった…
後で、会ったときとは、違う、高飛車な態度だった…
それを、実は、顔見知りだったと、後で、聞いて、わかった…
それゆえ、照れ臭い…
それを、隠すために、わざと、高飛車な態度を取ったと聞いて、その場は、納得したが、
今、さらに、実は、二人が男女の関係があったと、聞けば、余計に納得する…
二人が、気まずかった理由に、余計に納得する…
納得するのだ…
しかし、まさか、あの伸明が…
まさか、あの伸明が、あのハルカと関係していたなんて…
まさか、男女の関係だったなんて…
夢にも、思わなかった…
まったく、想像も、しなかった…
あの伸明は、四十歳ぐらい…
まさか、その歳で、女を知らないわけでは、あるまい…
まさか、あの歳で、童貞なんて、ことは、あるまい…
が、
伸明は、爽やか…
実に、爽やかだ…
だから、女の影を感じさせないというか…
ちょうど、俳優で言えば、若き日の三浦友和のような印象がある…
それゆえ、女の影を感じさせない…
爽やかな印象が強いうえに、感じさせない…
そういうことだ…
まあ、それを、言えば、今、私の目の前にいる、この藤原ナオキも、また、爽やかな印象で、女がいることを感じさせない…
しかしながら、成功して、有名になり、周囲から、チヤホヤされて、女に夢中になった過去を知っている…
十分、過ぎるほど、知っている(苦笑)…
だからだろう…
あの伸明とは、違う…
違って、見ている…
しかしながら、このナオキと、あの伸明は、似ている…
人間のタイプが、似ている…
外見は、二人とも、長身で、イケメンだが、中身は、真面目…
基本的に、超がつく、真面目だ…
だから、気が合う…
二人の気が合うのだ…
同じタイプの人間だから、気が合う…
やはり、誰もが、同じだが、ひとは、誰でも、似たようなタイプの人間と、群れる…
友達になる…
類は友を呼ぶ…
まさに、それだ…
私が、そんなことを、考えていると、ナオキも、
「…まさか、諏訪野さんが…」
と、驚いていた…
「…あの諏訪野さんが、あのハルカさんと…」
と、言って、驚いていた…
私は、それを、見て、
…やはり、ナオキも、同じか!…
私と同じことを、言っている…
いや、
私と同じことを、思っていると、思った…
そして、私が、ナオキの反応を見ていると、
電話の向こう側から、マミさんが、
「…寿さん、とりあえず、これで、電話を切るね…」
と、言って来た…
「…えっ? ハイ…」
「…今、電話をかけたのは、ハルカさんが、亡くなったことを、伝えたかったから…」
マミさんが、言う…
電話をしてきた意図を言う…
私は、
「…わかりました…ありがとうございます…」
と、言った…
その言葉を聞いて、すぐに、マミさんは、電話を切った…
普通なら、マミさんは、いきなり、電話を切ることはない…
そんな失礼なことは、しない…
にもかかわらず、電話を切ったのは、よほど、焦っていたのだろう…
それは、そうだ…
あのハルカが、妊娠していて、その子供の父親が、伸明かも、しれなかったなんて…
普通に考えれば、動揺しないわけはない…
当たり前だった…
だから、私との電話をいきなり切ったのは、いかに、マミさんが、動揺しているかの証拠だった…
私は、マミさんとの電話が、終わると、ナオキに、向き直った…
ナオキに、聞きたいことができたからだ…
それゆえ、ナオキに、
「…ナオキ…アナタ、伸明さんと、友人だけれども、二人で、飲んでいて、女の話になったことは、なかったの?…」
と、聞いた…
ナオキは、
「…ならなかった…」
と、即答した…
「…だって、ナオキ…アナタ、当然、伸明さんと、女のひとがいるお店で、飲んでいるんでしょ?…」
「…それは、そうだけれども…諏訪野さんのお酒の飲み方は、きれいだったよ…」
「…きれいって? どういうこと?…」
「…隣に、女のひとがいても、口説くことは、ないし、なにか、女のひとを、困らせるようなことも、しないってこと…」
「…それが、どうして、きれいなの?…」
「…ひとは、誰でも、お酒を飲むと、気が大きくなるでしょ? だから、隣の女のひとに、酒を飲めと無理強いしたり、相手に、その気がないのが、見え見えなのに、口説いたりする男が、多い…実に、多い…」
「…」
「…でも、諏訪野さんは、そんなことは、一切しなかった…ボクと飲んでいても、軽い世間話をするぐらいで、突っ込んだ話も、しなかった…」
「…」
「…だから、今、振り返って考えてみると、常に、自分を守っていたというか…」
「…自分を守っていた?…どういうこと?…」
「…要するに、自分の欲望を見せない…まるで、鎧を被っているように、自分の欲望を、見せない…素の自分を見せない…」
「…」
「…つまりは、いつも、五井家の当主を、おおげさに言えば、演じていたというか…五井家の当初のイメージから、一歩も外に出なかった…」
「…」
「…たぶん、それが、原因かも、しれない…」
「…原因って?…」
「…今度の一件…ハルカさんのお腹の子供の父親かも、しれないってこと…」
「…それが、どうしたの?…」
「…誰も、自分を知らない店で、共も連れずに、一人きりで、飲む…だから、その店では、仮面を脱げると言えば、おおげさだけれども、羽目を外せる…そういうことじゃないかな…」
ナオキが、言った…
伸明の行動を、喝破した…
明確に、説明した…
たしかに、そう言われれば、わかる…
そう、言われれば、納得する…
たしかに、あの伸明は、演じなければ、ならない…
どんなときも、五井家当主を演じなければ、ならない…
それゆえ、どこかで、爆発するというか…
どこかで、その不満を爆発させる必要があるのかも、しれない…
それが、本名を名乗らず、自分を知らない店で、女のコたちと飲む、行動に、現れるのだろう…
いわば、不満の爆発…
日常で、溜めた不満を爆発させる…
そういうことだろう…
そして、それを、聞いて、私は、安心した…
なぜか、安心した…
それは、あの伸明が、聖人君子でないことが、わかったから…
だから、安心した…
変な話、生まれも良く、性格も、良く、常に品行方正、善人でいる…
それは、わかるが、ホントに、それだけ?
と、思ってしまう…
どんな人間にも、陰の部分はある…
他人に隠れて、他人の悪口を言うのなど、その典型だろう…
しかしながら、他人の悪口を一度も言ったことがない人間が、いれば、それこそ、お目にかかってみたい…
普通は、そんな人間は、この世にいるはずがないからだ…
だから、安心した…
伸明に負の部分があって、安心した…
そういうことだ…
私が、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…だったら、諏訪野さんは、今、なにを考えているんだろうな?…」
と、言った…
「…なにを、考えているって?…」
「…だって、ほぼ、目の前で、あのハルカさんが、投身自殺をしたも、同然だろ? しかも、ハルカさんは、妊娠していたって、言うし、もしかしたら、諏訪野さんは、その子供の父親だったという可能性だってある…」
「…」
「…一体、どういう、精神状態なのかな?…」
「…精神状態って?…」
「…こう言っては、悪いけれども、ハルカさんが、死んで、安心したのか? それとも、お腹の子供が、自分の子供だったら、どうなのか? だって、その子供だって、死んでしまっただろ?…」
「…それは、たぶん、そうでしょうね…」
「…だったら、一体、どういう気持ちになるのかな…ちょっと、想像がつかないな…」
ナオキが、言った…
しんみりと、言った…
私は、それを、見て、
「…ナオキ…アナタだったら、どうするの?…」
と、聞いた…
「…ボクだったら?…」
「…もし、ナオキが、伸明さんの立場だったら、どうするの?…」
「…それは、わからないよ…」
ナオキが、即答した…
「…変な話、この手の話にシュミレーションは、効かないよ…」
「…えっ? どういうこと?…」
「…ほら、昔、一刻、流行ったろ? 証券会社が、例えば、仮に、一千万円を顧客に上げて、それを、顧客が、運用するゲーム…」
「…それが、どうかしたの?…」
「…たしか、高校生相手の株式運用のゲームだったと、思う…それで、ボクが言いたいのは、ゲームと現実の株式運用は、違うと言うこと…」
「…どういう意味?…」
「…ゲームでは、手元に一千万円あれば、それを、運用するのに、ためらいは、ない…現実に、自分のお金を使っているわけじゃないからね…」
「…」
「…でも、実際に、自分のお金なら、運用も、変わって来る…ゲームなら、この会社の株を五百万円で買ってとなるが、現実では、二の足を踏む…この会社の株に、そんな投資をしていいのかなと、二の足を踏む…それと、同じさ…」
「…同じ?…」
「…綾乃さんが、もし、ボクが、諏訪野さんの立場なら、どうするって、聞くのは、わかるけれども、実際になってみなければ、わからない…」
「…わからない?…」
「…綾乃さんだって、ハルカさんの立場なら、どうするって、考えるけれども、実際は、ハルカさんと、同じ立場になってみなければ、わからない…そういうこと…」
「…そういうこと?…」
「…でも、どうして、あのハルカさんは、諏訪野さんを、襲ったんだろ? まさか、ハルカさんは、妊娠が、わかる前に、自分では、諏訪野さんの子供が、お腹にいるって、わかっていたわけじゃ、ないだろうに…」
ナオキが、率直な疑問を口にする…
そう言えば、そう…
あのハルカが、どうして、伸明を襲ったのかも、わからない…
まだ、なにも、わからない…
しかも、当事者のハルカは、自殺した…
だから、わからない…
あのハルカが、どうして、伸明を襲ったのは、わからない…
そう、思った…
そう、思ったのだ…




