寿綾乃という女 第4部 192
「…私が、外を飛び回る? 姉さん、なにを言っているの?…」
和子が、言った…
当然のことを、言った…
が、
その言葉を聞いて、昭子は、笑った…
楽しそうに、笑った…
「…入院していると、周囲に、思わせるのは、都合がいい…実に、都合がいい…」
昭子が、言う…
「…なにが、都合が、いいの?…」
「…だって、和子は、今、入院している…五井記念病院に入院している…それを、誰もが、信じているから、都合がいい…」
「…」
「…それで、私になりすませて、団郁馬に会ったでしょ?…」
「…」
「…団郁馬に会って、団郁馬の狙いを探った…違う?…」
「…」
「…まあ、私と和子は、外見が、そっくり…一卵性双生児だから、外見が、そっくり…瓜二つだから、昔から、入れ替わったことが、ある…若い頃は、お互いに付き合っていた、恋人に、入れ替わって、デートして、その恋人が、途中で、気付くか、どうか、試したことがある…」
昭子が、楽しそうに、言う…
実に、楽しそうに、過去の経験を振り返る…
私は、それを、聞いて、思い出した…
この話は、以前、聞いたことを、思い出した…
この昭子が、以前、私に会ったとき…
脳梗塞の予防で、散歩が、いいと、センセイに言われ、市役所を、目的地にして、散歩していたときに、この昭子と会った…
そのときに、聞いた…
今と、同じ話を聞いた…
これを、初めて、聞いたときは、驚いたが、同時に、あり得ること…
実に、あり得ることだと、思った…
あるいは、ありがちなことだと、気付いた…
外見が、そっくりな人間が、二人いる…
だったら、入れ替わってやれ、とも、思う…
ときには、入れ替わって、周囲の反応を見ようと、思っても、おかしくはない…
誰もが、考えることだ…
誰もが、同じように、自分と、同じ外見の人間が、いれば、入れ替わって、周囲の反応を見ようとするものだ…
とりわけ、それが、当時、自分たちが、付き合っていた、恋人なら、相手が、気付くか、試すのも、ありがちなこと…
実に、ありがちなことだからだ…
私は、思った…
私は、考えた…
そして、私が、そんなことを、考えていると、
「…それで、和子は、今度は、北東病院に行った…私になりすませて、北東病院に行った…五井北東家の経営する北東病院に、患者として、行った…違う?…」
「…おや、よく調べたわね…姉さん…褒めて、あげるわ…」
「…私になりすませて行った…後で、わかったわ…団郁馬に聞いて、わかった…」
「…」
「…そこで、長谷川センセイに、会ったんでしょ?…和子?…」
「…えっ? 長谷川センセイ?…」
思わず、素っ頓狂な声を出した…
あまりにも、場違いな素っ頓狂な声を出した…
が、
誰も、なにも、言わなかった…
おそらくは、ナオキも、マミさんも、驚いたかも、しれないが、それは、問題ではない…
問題なのは、この昭子と和子だが、その二人は、なんの反応も、示さなかったからだ…
だから、問題では、なかった…
「…そこで、和子…アナタは、長谷川センセイと、取引をしたでしょ?…」
「…取引? 一体、なんの取引をしたと、言うの?…」
「…あの長谷川センセイの悲願…」
「…悲願? なに、それ?…」
「…五井に認めて、もらうこと…」
「…」
「…五井の女帝、諏訪野和子が、長谷川センセイを、五井一族と、認めると言えば、長谷川センセイの悲願が、叶う…」
「…」
「…同時に、それは、長谷川センセイに、五井北東家と、五井本家のどっちかを、取れと、迫るのと、同じこと…そして、どっちを取ると、迫られれば、誰もが、五井本家を取る…力のある方を取る…まして、あの長谷川センセイは、名誉欲の塊…五井北東家を、裏切るに決まっている…団郁馬を裏切るに、決まっている…」
「…」
「…どう違う? 和子?…」
「…違わないわ…姉さん…」
あっさりと、和子が、認めた…
五井の女帝が、認めた…
「…やっぱり、姉さんね…頭の回転が、早いというか…昔から、変わらない…」
「…和子…どうして、ひとを使わなかったの? そのカラダじゃ、外での活動は、きつかったでしょ?…」
「…私が、姉さんと、瓜二つだからよ…」
「…」
「…姉さんに、成りすませば、有利…あの団郁馬も、最初は、気付かなかった…」
「…最初は、気付かなかった…ということは、途中で、気付いたと、いうこと…」
「…たぶんね…あの男は、バカじゃない…長く話をすれば、矛盾を感じる…」
「…」
「…だから、ホントは話をしなければ、いい…黙っていれば、いい…そうすれば、わからない…でも、そういうわけには、いかないでしょ?…」
「…」
「…まあ、それで、団郁馬対策は、すんだけれども、問題は、伸明よ…」
「…伸明?…」
「…伸明は、あの長谷川ハルカと、知り合いだった…長谷川ハルカの勤める店の常連だった…つまり、あの長谷川ハルカに、弱みを握られていたということ…」
「…弱み…」
「…五井ホールディングスの社長であり、五井家の当主の伸明が、誰も連れないで、ひとりで、酒を飲みに行く…しかも、身分を隠して…」
「…」
「…伸明の立場なら、それをするのも、わからないわけでも、ないけれど、今回は、相手が悪すぎた…」
「…相手が、悪すぎた?…」
「…ハルカの素性…」
「…どういうこと?…」
「…彼女が、思いのほか、したたかだったってこと…」
「…したたか? なにが、したたかなの?…」
「…伸明が、店の女のコを、よくお持ち帰りして、楽しんでいたということ…」
「…それが、どうかしたの? 男なら、当たり前じゃない?…」
「…たしかに、男なら、当たり前かも、しれないし、取り立てて、目くじらを立てることじゃないかも、しれない…でも…」
「…でも、なに?…」
「…それが、五井ホールディングスの社長だとしたら、まずいでしょ? 世間に知られれば、まずいでしょ?…」
「…」
「…あのハルカは、伸明のそんな行動を間近に、見ていた…そして、それを、元に、伸明をゆすろうとした…」
「…えっ? ゆすろうとした?…」
思わず、声を上げた…
私が、声をあげてしまった…
まさか、そんな…?
あのハルカが、そんなことを、するなんて、夢にも、思わなかった…
あのハルカは、品行方正とまでは、言わないが、そんなイメージは、なかった…
伸明を、ゆするような真似をする、イメージは、なかった…
「…貧すれば鈍するという言葉があるけど、生まれは、大事よ…寿さん…いえ、育ちかな?…」
和子が、突然、私に向かって言った…
私を振り向いて、言った…
「…育ち…」
と、私も、つい、呟いて、しまった…
私も、正直、育ちは、よくない…
お世辞にも、よくはない…
母は、シングルマザー…
一人っ子の私は、母と二人きりで、生きて来た…
だから、正直、貧乏…
お金に、余裕がある、生活では、なかった…
それゆえ、どうしても、生まれとか、育ちとか、言われると、ピンとくる…
私のことを、言われていないにも、かかわらず、ピンとくる…
私が、そう考えていると、
「…寿さん、別に、アナタのことを、言っているんじゃないのよ…」
と、和子が、声をかけた…
「…例え、同じような環境に生まれても、人それぞれ…貧乏に生まれれば、モノを盗んだり、犯罪を犯すものじゃないでしょ?…」
「…それは、そうですけれど…」
「…あのハルカさんの場合は、たまたま、運が、悪かった…」
「…運が、悪い?…」
「…悪い男に、引っかかって、お金が、必要だった…」
「…失礼ですが、どうして、それを?…」
「…さっき、刑事さんが、あのハルカさんを、連れて来たの…ここに、伸明が、入院していると、思って…」
…そうか!…
…だからか!…
だから、さっき、この五井記念病院の出入り口で、あのハルカと、会ったんだ…
言われて、みて、わかった…
言われて、みて、納得した…
そして、私が、この和子の話に納得していると、ふいに、ナオキが、口を出した…
「…あの…ひとつ、お聞きして、いいですか?…」
と、口を出した…
「…なにかしら?…」
と、和子。
「…あのハルカさんが、お金に、困っていたとしたら、どうして、お兄さんに、相談しなかったんですか?…」
「…お兄さん?…」
「…長谷川センセイです、この五井記念病院に、勤務していた…」
「…それは、兄妹といっても、名目だけだからよ…」
「…名目だけ? それは、どういう…」
今度は、マミさんが、口を挟んだ…
「…兄妹といっても、歳が離れているし、血も繋がっていない…たぶん、いっしょに、住んだこともなかったみたい…」
「…えっ? ウソ?…」
と、マミさんが、呟いた…
これは、マミさんと、同じ…
マミさんと、伸明と同じ…
同じだからだ…
兄妹といっても、名前だけ…
血も繋がっていなければ、いっしょに、住んだこともない…
まさに、名前だけ…
兄妹という名前だけ…
たしか、法律上は、結婚できないかも、しれないが、ホントは、結婚できる…
赤の他人だから、結婚できる…
そういうことだ…
兄妹は、名前だけ…
実に、名前だけだ…
そして、そこまで、聞いて、考えた…
あの伸明の見合い…
伸明とハルカの見合いを考えた…
あのとき、なぜ、長谷川センセイが、同席しなかったのか?
考えた…
それは、今の話から、考えれば、ただ、ハルカと、親しくないから…
それに、尽きるのではないか?
兄妹といっても、形だけ…
血も繋がっていなければ、いっしょに、暮らしたこともない…
それが、あの席で、いっしょに、なれば、二人が、親しくないことが、バレてしまう…
ハルカと、長谷川センセイとの、ちょっとした、やりとりで、それが、周囲の人間に、わかってしまう…
長谷川センセイは、それを、恐れたのではないか?
私は、思った…
今さらながら、思った…




