寿綾乃という女 第4部 186
そして、そんなことを、考えながらも、電話は、続いていた…
「…どう? 寿さん…それでいい?…」
と、マミさんが、電話の向こう側から、言って来た…
私は、すぐに、
「…私は、それでも、いいですが、ナオキは、ちょっと…ナオキの予定は、わかりません…」
と、答えた…
正直に、答えた…
これは、FK興産で、ナオキの秘書だったから…
その経験で、つい、ナオキの週末の予定も、すべて、知っている…
まあ、これは、私が、事実上の、ナオキのパートナーだったことも、大きい…
会社では、社長秘書…
家では、パートナー…
だったのが、大きい…
つまり、公私にわたって、ナオキの行動を監視していたとも、言える(笑)…
だから、おそらく、ナオキは、それが、嫌で、私とジュン君が、住む家から、出て行った…
私に私生活を束縛されるのが、嫌で、出て行った…
その側面もあるだろう…
私やジュン君が済む、このマンションから、出て、一人で、住んだのは、なにも、自宅に、女を呼ぶためだけではない…
私の束縛から、抜け出したかったのだろう…
今さらながら、気付いた…
今さらながら、思った…
そして、そう、考えていると、
「…藤原さんの予定は、すでに、聞いたから…」
と、マミさんが、あっさり、言った…
「…えっ? 聞いた?…」
「…今、寿さんに、電話をする前に、藤原さんにも、同じ電話をしたの…それで、OKを、もらったわ…」
その言葉を聞いて、唖然としたが、同時に、マミさんらしいと、思った…
無駄がないというか…
やることが、早い(苦笑)…
普通なら、私が、ナオキに週末の予定を聞いて、それから、マミさんに、電話する…
行けるか、行けないか、電話する…
が、
その必要がない…
あらかじめ、手を打っている…
あらためて、思った…
あらためて、考えた…
「…じゃ、寿さん、そういうことで…週末の五井記念病院で、会いましょう…そうそう、どこの病院も、そうだけれど、面会は、午後の一時から…まあ、寿さんは、五井記念病院に入院していたから、今さら、言うことでもないか?…」
そう、言いながら、マミさんは、電話を切った…
呆気なく、電話を切った…
こちらが、拍子抜けするほど、呆気なく、電話を切った…
が、
これが、マミさん…
マミさんだった…
まるで、つむじ風のように、突然、やって来て、呆気なく去る…
が、
全然、嫌ではない…
むしろ、好き…
好感が持てる…
それは、なぜか?
それは、ただ単に、私と気が合うからだろう…
それに尽きる…
なにを、どうしようと、嫌なひとは嫌…
それと、同じだ…
そして、思いながら、考えたのは、私の能力…
私の能力が、衰えているのでは?
と、気付いた…
矢代綾子の名を捨て、寿綾乃として、生きてきた…
その反動で、私の半生は、いつも、どこか、緊張感があった…
もしや、バレるのではと、思う気持ちが、どこかにあり、安心できなかった…
それゆえ、ハリネズミのように、いつも、ハリを出して、緊張して、過ごした…
言葉を変えれば、怯えて、生きた…
はた目からは、わからないだろうが、私の心の中では、いつも、そうだった…
それが、周囲に、私が、ホントは、矢代綾子という女であることが、バレ、おまけに、病気になった…
それゆえ、以前のように、ハリを出して生きて、ゆけなくなった…
常に、緊張して、生きてゆけなくなった…
あるいは、常に、緊張して、生きてゆく必要が、なくなった…
だからだろうか?
能力が、衰えた…
警戒心がなくなったゆえに、能力が、衰えた…
それゆえ、まだ、一皮も二皮も謎があるかもしれない謎が解けない…
きっと依然の私なら、解けたはずだ…
謎が、解けたはずだ…
私は、そう、思った…
私は、強く、そう、思った…
夜になって、会社から、ナオキが、帰って来た…
「…おかえりなさい…ナオキ…」
「…綾乃さん、ただいま…」
まるで、新婚の夫婦のように、ナオキを迎える…
恥ずかしくもなく、迎える…
そして、ナオキを迎えながら、実は、新鮮…
新鮮だった…
なぜなら、私とナオキの間には、いつも、ジュン君がいた…
ユリコの産んだジュン君がいた…
そのユリコが、突然、失踪して、私は、当時、ユリコの後釜として、ナオキの家庭に入った…
まだ、幼いジュン君の面倒を見るために、家庭に入った…
一介の女子高生に過ぎない私が、入った…
だから、ままごと…
大げさに、言えば、ままごとに近い家庭だったのかも、しれない…
だって、そうだろう…
ナオキは、すでに、大学を卒業して、何年も経つが、ジュン君は、3歳ぐらいで、その中に、高校生の私が、ジュン君の母親としても、家庭に入る…
これが、ままごとでなくて、なんだろうか?
今、考えれば、自分でも、自分に笑ってしまう…
当時の自分に笑ってしまう…
が、
ここで、言いたいのは、そういうことではない…
私とナオキの間には、いつも、ジュン君が、いたということだ…
いつも、三人だったことだ…
そして、当時、ジュン君が、ひとりで、自立できる年齢になった中学生の時期に、ナオキは、家を出た…
すでに、成功したナオキは、家庭に、留まるのが、嫌だったのだろう…
もっと、女遊びが、したかったのだろう(笑)…
家にいては、気軽に、女を呼べない…
それが、ナオキが、家を出た理由だった…
そして、残された私とジュン君は、このマンションで、いっしょに、暮らした…
つまりは、二人きりだったことはない…
私とナオキが、二人きりで、暮らしたことはない…
それを、言いたかったのだ…
ナオキが、今、私と暮らしているのは、ナオキの温情…
病に倒れた私の身を心配して、いっしょに、いてくれている…
いっしょに暮してくれている…
だから、新鮮…
新鮮だった…
四十を過ぎた男と、三十を過ぎた女が、いまさら、いっしょに住んだに、過ぎないが、それでも、新鮮だった…
考えて、みれば、新婚生活…
傍から見れば、理想の新婚生活を過ごしているように、見える…
億ションに住み、功なり、名を成した、オーナー社長と、その秘書だった女…
二人とも、ルックスがいい…
自分で、言うのも、おかしいが、いい…
それゆえ、理想の新婚生活…
おそらくは、ナオキと出会って、十五年だから、十五年遅れの、新婚生活を送っていると、考えた…
そう、考えれば、新鮮…
遅ればせながら、新鮮だった…
そして、そんな思いが、私の表情に、出たのだろう…
「…なにを、笑っているの、綾乃さん?…」
と、ナオキが、声をかけてきた…
「…随分、楽しそうだけれど…」
私は、それを、聞いて、間髪入れずに、
「…そう、見える?…」
と、ナオキに、聞き直した…
「…うん、見える…」
「…だったら、その通り…私、今、楽しいのよ…」
「…えっ? 楽しい? どうして、楽しいの?…」
「…だって、今、ナオキと私、二人きりでしょ? ジュン君もいない…まるで、遅い新婚生活を、送っているみたいで…」
私が、告白すると、ナオキは、呆れ果てたようだ…
それから、笑った…
実に、楽しそうに、笑った…
「…ポジティブ…実に、ポジティブだ…」
と、言って、笑った…
私は、その言葉に、
「…そういうナオキだって、同じよ…」
と、返した…
「…同じ? なにが、同じなの?…」
「…ナオキ、アナタも、私と同じ楽天家…」
「…ボクが楽天家? どうして、楽天家なの?…」
「…だって、楽天家じゃなければ、会社を創業しないでしょ? 普通に会社員だったり、公務員だったり、どこかに、勤めるでしょ?
成功するか、どうか、わからないことに、人生をかけられないでしょ?…」
私が、言うと、ナオキが、苦笑した…
「…そりゃ、そうだ…」
と、言って、苦笑した…
「…でも、それは、若かったからだよ…今は、もう…」
「…もう…なに?…」
「…オジサンだ…夢も希望もないオジサンだ…」
「…だったら、ナオキ…これから、ベッドに行って、まだまだ、オジサンじゃないことを、証明して、見せる?…」
私が、言うと、ナオキが、
「…ぷっ!…」
と、吹き出した…
「…正気? 綾乃さん?…」
と、笑いながら、言って、吹き出した…
「…正気よ…これから、ベッドの上で、子作りする?…」
言いながら、自分でも、吹き出しそうになった(爆笑)…
自分でも、自分の言葉に、吹き出しそうになった…
が、
今さら、引けない…
一度発した言葉は、引けなかった…
綸言汗のごとしだ(苦笑)…
私は、偉くも、なんともなかったが、美人だから、引けなかった…
今さら、引けなかった…
そして、ナオキは、あっさりと、私の誘いを断った…
「…子作りより、諏訪野さんの話をしよう…」
と、断った…
ナオキが、本題に入った…
いきなり、本題に入った…
私が、わざと、話をそらそうとした、本題に入った…
「…今日、マミさんから、電話があった…」
と、本題に入った…
「…今度の週末、諏訪野さんの、見舞いに行こう…」
ナオキが、言った…
いずれ、話すことになることについて、言った…




