寿綾乃という女 第4部 172
「…私を好き?…」
反射的に、漏らした…
つい、漏らした…
つい、反応した…
そう、言いながらも、そんなわけはないと、自分自身に言い聞かせた…
自分自身に、納得するように、言い聞かした…
まさか、そんなはずはないが、本気で、受け取ってしまうと、マズいからだ…
本気で受け取ってしまうと、調子に乗ってしまうからだ…
それゆえ、自分を抑えるべきだと、思った…
なにが、なんでも、自分を抑えるべきだと、思った…
私の漏らした言葉に。
「…そうよ…」
と、昭子が、短く、答えた…
私は、それを、聞いて、
「…そんなわけは…」
と、漏らした…
つい、漏らした…
それを、聞いた昭子は、
「…まずは、食事をすませましょう…」
と、提案した…
「…まずは、寿さんも、サンドイッチを食べて…話は、それからにしましょう…」
と、言って、昭子は、さっき、食べかけて、途中で、食べるのを止めた、サンドイッチを再び、食べ始めた…
私も、昭子に倣って、サンドイッチを食べ始めた…
お腹が、空いていたので、おいしかった…
そして、食べながら、さっき、この昭子が言ったことを、考えた…
他人様に見られるということを、考えた…
私も、和子同様、他人様に、見られる立場だった…
和子とは、違って、お金持ちでも、なんでもないが、美人だから、見られる立場だった(苦笑)…
世の中に、美人は、少ない…
だから、目立つ…
だから、どこに行っても、緊張する…
常に、他人様に見られるからだ…
常に他人様の注目を浴びるからだ…
まるで、芸能人…
一般人にも、かかわらず、芸能人のように、目立つからだ…
が、
その一方で、美人でいられるのも、時間の問題だと、わかっている…
若さが、なくなれば、いくら美人といっても、注目されない…
私は、今、32歳…
どんなに、遅くても、十年後は、注目されないだろう…
若さが、なくなるからだ…
それが、芸能人と、一般人の私の違い…
芸能人であれば、若さが、なくなっても、有名であれば、注目される…
しかしながら、一般人は、そうは、いかない…
あくまで、若くて、美人だから、注目される…
若さがなくなれば、美人であっても、注目されない…
当たり前だった…
私が、そんなことを、考えていると、昭子が、
「…たぶん、伸明が、寿さんに惹かれるのは、寿さんの生い立ちね…」
と、突然、言った…
「…私の生い立ち?…」
「…要するに、生まれ育った環境が、違う…それが、一番かも、しれない…」
「…生まれ育った環境が、違う?…」
「…ほら、誰でも、あるでしょ? 背の低い男が、モデルのように、背の高い女に憧れる…あるいは、偏差値の低い大学を出たひとが、偏差値の高い大学を出たひとに、憧れる…要するに、自分にないものを、持っているひとに憧れる…あるいは、惹かれる…それね…」
「…」
「…率直に、言って、伸明が、寿さんに、憧れるのは、それが、大きい…」
「…」
「…あとは、寿さんが、伸明になびかないこと…」
「…なびかないこと?…」
「…誰でも、簡単になびけば、興味がなくなるでしょ? 誰でも、簡単に手に入れば、興味が、なくなるでしょ?…」
「…」
「…だから、この前、寿さんに、会ったとき、私は、言ったの…寿さん、まだ、伸明と寝ていないんでしょ? と、聞いたの…」
昭子が、説明した…
前回、なぜ、私に、
「…寿さん、アナタ、まだ、伸明と寝ていないんでしょ?…」
と、聞いた言葉の意図を説明した…
たしかに、そう言われれば、わかる…
そう、説明されれば、わかる…
伸明が、私に執着する理由が、わかる…
だったら、真逆に、私が、伸明と寝れば、どうだろうか?
伸明は、もう、私に執着しないのだろうか?
もう、私を好きで、なくなるのだろうか?
私と寝れば、ゲームではないが、目的を達したと、思うのだろうか?
それが、疑問だった…
それゆえ、その疑問の答えを、この昭子に、聞いてみたくなった…
ぜひ、聞いてみたくなった…
それゆえ、
「…だったら、私が、伸明さんと寝れば、伸明さんは、私を、もう好きでなくなると、思いますか?…」
と、聞いた…
直球で、聞いた…
が、
昭子は、あっさりと、
「…それは、わからない…」
と、答えた…
「…私は、伸明じゃないのだから、わからない…」
と、答えた…
そして、
「…それは、たぶん、伸明にも、わからないと思う…」
と、付け足した…
「…わからない? どうして、わからないんですか?…」
「…それは、伸明の心境の変化…それは、寿さんと、寝れば、変わるのか、変わらないのか? 自分でも、わからないと、思う…」
「…」
「…でも、一夜を共にしただけで、関係が、終わるなら、そんな男と、付き合っちゃ、ダメよ…寿さん…」
と、言って、昭子が笑った…
「…もし、伸明が、そんな男なら、伸明と、関わっちゃ、ダメ!…」
昭子が、忠告した…
まるで、私を自分の娘のように、忠告した…
これでは、昭子が、どっちの肩を持っているのか、わからない(苦笑)…
私の肩を持っているのか?
伸明の肩を持っているのか?
わからない…
つい、苦笑したくなるほど、わからない…
そして、その通り、苦笑したのだろう…
昭子が、
「…寿さん、ここは、笑うところじゃないわ!…」
と、私に言った…
厳しい口調で、私に言った…
「…スイマセン…」
反射的に、私は、謝った…
同時に、気付いた…
この昭子が、いかに、伸明を心配しているのか、気付いた…
あらためて、気付いた…
そうでなければ、わざわざ、私に会いには、来ない…
妹の和子になりすまして、私に会いには、来ない…
当たり前だった…
そして、それに、気付くと、今度は、和子のことを、考えた…
この昭子が、なりすました和子のことを、考えた…
和子の容態は、どうなんだろう?
あらためて、考えた…
だから、聞いた…
直球で、聞いた…
「…あの和子さんは…」
と、聞いた…
「…大丈夫よ…」
と、昭子は、笑った…
「…和子と私は、一卵性双生児…同じカラダを持っている…私が、こんなに、丈夫なんだから、和子も大丈夫…」
昭子が、言う…
が、
それが、本当か、どうかは、わからなかった…
この昭子が、本当のことを、言ったのか、どうかは、わからなかった…
しかしながら、問い詰めることは、できない…
また、それよりも、ナオキ…
ナオキの方が、大事だった…
伸明は、ホントに、FK興産を買収して、完全に、五井の配下に、組み込み、五井傘下のIT企業数社と、合併させて、その社長に、ナオキを抜擢するのだろうか?
その方が、大事だった…
その方が、聞きたかった…
それゆえ、この昭子に、
「…伸明さんが、FK興産を買収しようと、しているのを、ご存じですか?…」
と、聞いた…
直球で、聞いた…
和子は、即座に、
「…知らない…」
と、答えた…
「…FK興産って、寿さんが、いた会社ね?…」
「…ハイ…」
「…それを、伸明が、買収するということは、五井の傘下に入るということ?…」
「…ハイ…」
「…それは、心配するわね…」
昭子が、同情した…
「…でも、申し訳ないけれど、私には、わからない…伸明が、なにを、考えているのか、わからない…」
「…」
「…現に、団郁馬を五井から、追放すると、伸明が、宣告したと、聞いたときは、仰天したわ…伸明の立場から、考えると、当然の行動だけれども、子供の頃から、知っている団郁馬に、そう宣告することは、なかなか、できることじゃない…」
「…」
「…だから、わからない…申し訳ないけれども、私には、わからない…」
昭子は、繰り返した…
そして、私は、その言葉を信じた…
いくら、親でも、自分の血を分けた息子が、なにを、考えているか、わかるはずがない…
親と息子は、別の人格…
考えることが、違うからだ…
当たり前だった…
それから、私と昭子は、当たり障りのない世間話をした…
世間話に終始した…
この方が、無難…
無難だった…
よく世間では、会ったことのない、芸能人の結婚や、離婚の話をするが、その方が、無難だからだ…
自分とは、なんの関係もないひとたち…
初対面のひとや、あまり、関係が、深くないひとたちと、一定の時間を共有するのに、最適だからだ…
最適の話題だからだ…
自分とは、なんの関係もないひとたちの話題だからだ…
それゆえ、私も、その通りにした…
芸能人や政治の話をした…
自分とは、直接、なんの関係もない話をした…
それから、三十分ぐらい話してから、別れた…
和子と、別れた…
別れ際に、
「…寿さん、カラダに気をつけて…」
と、和子が、親身になって、私に語り掛けた…
私は、
「…ありがとうございます…」
と、丁寧に、腰を折って、礼を言った…
すると、和子が、笑いながら、
「…寿さんは、もしかしたら、伸明と結婚するかも、しれないから、寿さんを、心配するのは、当たり前よ…」
と、笑った…
私は、思わず、
「…そんな…」
と、漏らした…
和子は、そんな私の言葉尻を捕えて、
「…そんなも、こんなもない…人生なんて、一寸先は、闇…どうなるかなんて、誰にも、わからない…」
と、真顔で、言った…
「…団郁馬が、いい例よ…」
伸明に、これ以上、逆らえば、五井を追放すると、言われた、団郁馬を例に出した…
「…まあ、団郁馬は、悪い例だけれども…」
と、笑いながら、付け加えた…
さらには、
「…寿さんも、体調に気をつけて、よい子を産んで…私も、そろそろ、孫の顔を見たいわ…」
と、言った…
「…孫?…」
と、これも、思わず、口走ってしまった…
「…そうよ…この歳だから、昔からの友達も、孫のいるひとが、多いの…」
そう、言われると、なにも、言えなかった…
この和子も、六十代後半だろう…
その年齢なら、孫が、いても、当然だからだ…
しかしながら、私が、和子の孫を産むとなると、話が、違うというか…
正直、面食らった…
今まで、誰にも、言われたことのない言葉だったから、面食らった…
そして、私が、動揺しているのを、尻目に、和子は、歩いて行った…
私を振り返ることなく、歩いて行った…
私は、和子の背中を見ながら、
…これこそ、お嬢様だ!…
と、思った…
ある意味、ひとを、気遣うことなく、自分勝手に、生きている…
いや、
生きることができる…
普通なら、もう少し、私に気遣いするところだ…
もっとも、それが、生まれの違いだと、思った…
金持ちと、一般人の違いだと、思った…
私は、和子の背中を見ながら、思った…
思ったのだ…




