寿綾乃という女 第4部 166
私が、そう思っていると、
「…綾乃さん、大丈夫?…」
と、ナオキが、心配そうに、聞いた…
私は、ナオキの声で、ハッと、我に返った…
「…綾乃さん、顔色が、悪いよ…」
ナオキが、心配そうに、聞く…
「…大丈夫?…」
と、続けた…
私は、即座に、
「…大丈夫よ…」
と、返した…
が、
ナオキは、納得しなかった…
「…綾乃さんの大丈夫は、全然、大丈夫じゃないよ…」
「…ちょっと、それって、どういう意味?…」
思わず、聞いた…
聞かざるを得なかった…
「…綾乃さんは、いつも、自分で、しょいこむから…」
「…えっ? しょいこむ?…」
「…自分で、解決しようとする…他人を頼らない…」
「…」
「…綾乃さんに、こう言っちゃ、すまないが、綾乃さんが、他人を信用しないのは、もしかしたら、生まれのせい? 育った家庭環境に、原因が、あるの?…」
ナオキが、言った…
真顔で、言った…
これまで、十五年、付き合ってきたにも、かかわらず、一度も言ったことのないことを、言った…
私は、絶句した…
文字通り、絶句して、答えられなかった…
おそらく、その通り…
ナオキの言う通りだろう…
私は、母と、二人っきり…
シングルマザーの母と、二人っきりで、生きて来た…
頼るものも、いない…
それゆえ、いつも、自分で、決めた…
なにを、するのも、自分で、決めた…
頼るひともいないからだ…
唯一、頼るのは、母だったが、母は、私と母自身が、生きるのが、精一杯…
とても、頼れる状況では、なかった…
なにより、母に心配をかけたくなかった…
一ミリも、心配をかけたくなかった…
その結果、私は、ひとに頼ることなく、自分で、解決した…
すべて、ひとりで、やった…
だから、今、考えれば、そのせいで、大人になっても、基本、ひとに頼らない…
そんな可愛げのない性格になったのかも、しれない(苦笑)…
しかし、そんなことは、言われたことがなかったから、驚いた…
実に、驚いた…
そして、そんな驚いた顔の私を見て、ナオキが、
「…綾乃さん、具合が、悪いなら、早く寝た方が、いいよ…」
と、優しく、声をかけた…
「…顔色が、悪いよ…」
…ウソ!…
と、内心、思ったが、言われてみれば、その通り…
その通りかも、しれなかった…
なにしろ、昼間、倒れたのだ…
脳梗塞で、倒れたのだ…
そして、その後、寝ていた…
ベッドで、寝ていた…
そんな私が、顔色が、いいわけはない…
当たり前だった…
が、
それでも、寝たくは、なかった…
今すぐ、寝たくは、なかった…
なにしろ、今、起きてきたばかりなのだ…
寝たくは、なかった…
が、
ここにいたくもない…
正直、今のナオキを見ているのが、痛々しかったからだ…
こんなに、凹んだナオキを見るのが、痛々しかったからだ…
それゆえ、
「…ナオキ…アナタの言う通りに、するわ…」
と、言って、寝室に、戻った…
無論、寝たくは、ない…
まだ、寝たくは、ない…
さりとて、ナオキの顔を見るのは、辛い…
それゆえ、逃げるしか、なかった…
ナオキの前から、逃げるしか、なかった…
寝室に、戻った私は、一番、最初に、鏡で、自分の顔を見た…
が、
ナオキが、言うように、悪くは、なかった…
そんなに、顔色が、悪くなかった…
それゆえ、考えた…
なぜ、ナオキが、私が、顔色が悪いと、言ったのか?
考えた…
おそらくは、私が、脳梗塞で、倒れたと、告白したから?
それだからに違いない…
なにより、ナオキが、このマンションに、帰って来ていて、私が、ベッドで、横になって寝ていることはない…
普通はない…
それゆえ、
…なにか、あった!…
と、考えるのが、普通…
私の場合は、癌持ちでも、あるため、余計に、体調を崩したと、思うのが、普通だ…
だから、ナオキは、私に言った…
私の顔色が、さして、悪くなにも、かかわらず、あえて言った…
私の顔色が悪いと、言った…
そうすれば、私が、ベッドで、休むと、思ったのだろう…
そう、考えて、あらためて、ナオキの優しさが、わかった…
身に染みて、わかった…
私は、恵まれている…
実に、恵まれている…
あらためて、思った…
心の底から、思った…
たしかに、カラダは、悪い…
しかし、人間には、恵まれた…
男には、恵まれた(爆笑)…
そう、思った…
私は、天涯孤独の身…
ひとりぼっちだ…
私の身を心配する身内は、誰もいない…
それにも、かかわらず、赤の他人でも、私の身を心配してくれるものが、いる…
私の近くにいる…
これが、幸運でなくて、なんというのか?
男も女も、星の数ほど、いる…
仮に、夫婦になっても、別れる数もまた、星の数ほど、いる…
その中にあって、自分の身を、本気になって、心配してくれるものが、どれだけ、いるだろうか?
血が繋がっていないにも、かかわらず、心配する人間が、どれだけ、いるだろうか?
なにしろ、夫婦で、子供もいても、あっさり、別れるものが、星の数ほど、いる時代だ…
それが、ただ、いっしょに、暮らしているだけ…
もはや、夫婦といっても、倦怠期に近い関係の私とナオキ…
にもかかわらず、私の身を心配してくれる…
心の底から、心配してくれる…
そんな男と、巡りあった私の幸運を思った…
心の底から、思った…
翌朝、ナオキより早く起きて、その後、遅く起きた、寝起きのナオキにあった…
「…ナオキ…おはよう…今朝は、早いわね…」
朝、起きてきたばかりのナオキに、そう声を、かけた…
「…綾乃さん、おはよう…」
ナオキが、寝ぼけた顔で、言う…
「…昨夜は、飲み過ぎた…」
「…でしょうね?…顔が、むくんでいるわよ…」
「…ウソ!…」
ナオキは、慌てて、鏡を見に、その場から、離れた…
そして、すぐに、戻ってきて、
「…ひどいな…綾乃さん、ボクの顔、そんなに、むくんでなかったよ…」
と、ぼやいた…
私は、それを、聞いて、
「…昨夜の仕返しよ…」
と、答えた…
「…仕返し? 昨夜、ボク、綾乃さんに、なにか、したっけ?…」
「…したわよ…忘れたの?…」
「…ボクが、なにをしたの?…」
「…私の顔色が、悪いって、言ったじゃない!…」
私が、ぶっきらぼうに、言うと、
「…アレは、綾乃さんを、心配して…」
と、ナオキは、慌てて、言い訳をした…
私は、それを、聞いて、
「…なんと、言い訳しようと、ウソは、ウソ…反省しなさい!…」
と、言うと、ナオキが、苦笑した…
「…やっぱり、綾乃さんだ!…」
と、言って、苦笑した…
「…いつもの、綾乃さんだ…良かった…」
と、喜んだ…
私は、そんなナオキを見て、
「…ナオキ、アナタ、マゾじゃない? 叱られて、喜ぶなんて…」
と、怒った…
が、
効き目が、なにも、なかった…
「…よかった…いつもの綾乃さんに、戻った…」
と、ナオキが、喜んだだけだった…
私は、呆れたが、これも、いつものことだ…
「…ナオキ…さっさと、顔を洗っていらっしゃい…ご飯にするわよ…」
私の一言で、
「…ハイ…」
と、答えて、その場を離れた…
私は、結局、昨夜、あまり、眠れなかった…
昼間、寝すぎたせいだろう…
夜になっても、なかなか、寝付けなかった…
だから、なんとなく、寝たか、寝ないか、よくわからない感じで、朝になった…
それゆえ、いつもより、少しばかり、早く、起きた…
寝られないのに、いつまでも、ベッドに横になっていても、仕方がないからだ…
イライラするだけだからだ…
だから、いつもより、早く起きた…
早く起きて、朝食の用意をした…
と、いっても、たいしたことは、していない…
すでに、いったように、私は、料理が苦手…
不器用だからだ…
だから、苦手…
それでも、今朝は、少しばかり、早く起きたから、いつもよりは、料理に力を入れた…
フライパンを使って、料理をした…
それを、見た、ナオキが、
「…綾乃さん、今朝は、随分、張り切ったね…」
と、笑った…
私は、それを、聞いて、
「…からかわないで…ナオキ…」
と、怒った…
なにしろ、冷蔵庫の中のありあわせの総菜に、少しばかり、手を加えたに、過ぎないからだ…
張り切ったと言われるのが、恥ずかしい…
下手をすれば、皮肉だ…
私は、その恥ずかしさを、押し殺すために、わざと、怒った声で、
「…さっさと、席に座って、食べなさい!…」
と、言った…
もちろん、照れ隠しだ…
それが、ナオキにも、わかったらしい…
急いで、席に着いて、朝食を食べ始めた…
私は、それを、見て、
「…昨夜、飲み過ぎたんじゃない?…」
と、聞いた…
酒を飲み過ぎたなら、そんなに食べられないからだ…
「…事前に、酔い止めの薬を飲んだからね…」
ナオキが、あっさりと、告白した…
「…薬?…」
「…酔っ払いたかったから、事前にね…」
それを、聞いて、あらためて、このナオキは、理系だと、思った…
何事も、計算して、事前に対策を立てる…
ただ、酒を飲んで、酔っ払うだけじゃない…
あらかじめ、酔い過ぎないように、対策を立てる…
もっとも、それゆえに、経営者かも、しれない…
自分の体調を、第一に考えるから、経営者として、適格かも、しれないと、思った…
そして、朝食を食べ始めたナオキは、私に、
「…綾乃さん…今日は、早速、病院に行った方が、いいよ…」
と、念を押した…
「…そんなこと、わかっているわよ…」
私が、言うと、
「…なんらな、今日、送迎用のクルマが、来たら、ボクが、会社に行く代わりに、綾乃さんが、病院まで、乗っていっても、いいよ…」
と、仰天の提案をした…




