寿綾乃という女 第4部 162
…一体、どれぐらい、時間が、経ったのだろうか?…
ようやく、気付いた…
ようやく、目が覚めた…
そして、目が覚めると、当たりを見回した…
すでに、暗くなっていた…
私は、寝室を出て、なにか、食べようと、思って、キッチンに向かうと、すでに、灯りがついていた…
誰かいる?
すぐに、気付いた…
そして、その誰かは、誰か、すぐに、当たりがついた…
このマンションのカギを持つ人間は、私以外に、ひとりしか、いないからだ…
その人物は、ひとりで、ビールを飲んでいた…
昼間の私同様、缶ビールを飲んでいた…
「…なんだ? ナオキ、帰ってきていたの?…」
私が、ナオキに声をかけると、ナオキが、
「…ウン…」
と、照れくさそうに、返事をした…
「…帰って来たんなら、私を起こせば、いいのに…」
私が、言うと、
「…綾乃さんの、カワイイ寝顔を見たら、とても、起こすことは、できなかったよ…」
と、返した…
私は、思わず、
「…ナオキ、お世辞がうまくなったのね…」
と、言うと、ナオキが、
「…ボクも、もう四十過ぎだから…」
と、笑って、答えた…
「…四十過ぎだから、どうなの?…」
「…お世辞がうまくなった…」
「…だったら、やっぱり、今のは、お世辞なわけ!…」
私は、わざと、怒って、言った…
わざと、怒って、ナオキを叱るふりをした…
が、
ナオキは、乗ってこなかった…
私の挑発に、乗って、来なかった…
ナオキは、缶ビールを飲みながら、ポツンと、
「…諏訪野さんが、綾乃さんに、会いたがっている…」
と、呟いた…
まるで、会社の業務報告のように、呟いた…
私は、それを、聞いて、
「…一体、なんの用事かしら?…」
と、ナオキに、聞いた…
いや、
ナオキに、聞いたというよりは、独り言に、近い感じで、呟いた…
ナオキは、即座に、
「…知らない…」
と、答えた…
それは、
「…知らない…」
と、いう言葉が、文字通り、興味が、ないという言葉に、近かった…
文字通り、その話題自体に、興味が、ない様子だった…
これには、驚いた…
これには、仰天した…
このナオキは、伸明と、仲がいい…
五井の当主、諏訪野伸明と仲がいい…
だから、そんなふうに、興味がないように、答えるとは、思わなかった…
そんなふうに、答えるということは、伸明にも、興味がないというように、聞こえるからだ…
だから、
「…ナオキ…アナタ。どうしたの?…」
と、聞いた…
わざと、ナオキの前に行き、ナオキの顔に、私の顔を近付けて、言った…
ナオキは、それでも、反応しなかった…
ただ、ポツリと、
「…人生は、摩訶不思議…思っても、いないことが、起こる…」
と、呟いた…
「…摩訶不思議…それが、どうしたの?…」
「…人生に、予定調和はない…」
ナオキが、意味深に言う…
「…予定調和って?…」
「…あらかじめ、決められたストーリー…あらかじめ、決められた結末…」
ナオキが、真顔で、言う…
ナオキが、真顔で、言って、缶ビールを一口飲んだ…
私は、ナオキから、顔を離した…
こんな子供じみたことを、しても、意味がないと、気付いたのだ…
それゆえ、
「…FK興産を五井に売るの…」
と、ずばりと、言った…
ずばりと、核心を突いた…
ナオキは、缶ビールを飲むことは、止め、私を見た…
テーブル越しに、真正面に座る、私を見た…
「…雇われ社長…」
と、言って、私を見た…
「…雇われ社長? どういう意味?…」
「…今度、FK興産を買収して、五井の情報関連企業と合併させる…その会社の雇われ社長…」
「…ということは、ナオキ…アナタの持つ、FK興産の株を五井に差し出せって、こと?…」
私が、言うと、ナオキは、なにも、言わなかった…
ただ、
「…五井と、争うことは、できない…」
と、呟いた…
「…象とアリほどの、違いがある…とても、逆らうことなど、できない…」
「…伸明さんが、ナオキに、それを、告げたの?…」
「…いや…」
「…じゃ、誰から?…」
「…人づてに…」
「…人づてって誰から?…」
「…会社のひと…」
「…会社のひとって?…」
「…諏訪野さんも、直接ボクに、言うのは。嫌だったんだろ? だから、ひとに、言わせた…」
ナオキの出した答えだった…
FK興産の創業社長の出した答えだった…
私は、ただ、驚いた…
同時に、内心、来るものが来たとも、思った…
いずれは、来るものが、来たと、思った…
FK興産が、五井の資本提携を受けたと聞いたときから、いずれは、五井に飲み込まれる…
五井グループに、組み込まれる…
諏訪野伸明率いる、五井グループに、飲み込まれる…
そんな予感があった…
誰にも、わかる、そんな予感があった…
そして、そんなことを、考えていると、ナオキが、
「…団郁馬…」
と、ポツリと、呟いた…
「…彼も、同じだそうだ…」
と、ポツリと、呟いた…
「…同じ? なにが、同じなの?…」
「…ボクと、同じ?…」
「…なにが、同じなの?…」
「…五井が、東都新聞のライバルの西都新聞と、提携すると、諏訪野さんが、団郁馬さんを、脅したらしい…」
「…えっ? ウソ?…」
「…ホント…人づてに、聞いた…」
「…」
「…東都新聞を発行する、五井北東家は、当然のことながら、五井グループ…しかし、その五井グループが、今後、総力を挙げて、西都新聞を応援すると、言ったらしい…」
「…総力を挙げてって?…」
「…具体的には、西都新聞の顧客に、五井グループのさまざまな企業、例えば、旅行会社では、西都新聞の読者には、割り引くとか、他の企業も、同じく、割引をする…まるで、五井グループのように、優遇する…」
「…」
「…そして、それが、業界に流れた…その結果、どうなったと、思う?…」
「…どうなったの?…」
「…パニックになった…」
「…パニック?…」
「…五井グループが、東都新聞を見捨てるって…当然、多くの人間が、東都新聞が、五井グループであることは、知っている…にもかかわらず、ライバルの西都新聞を応援するという…これは、五井グループの東都新聞切りに、他ならない…」
「…東都新聞切り?…」
「…その余波は、当然のことながら、東都新聞の系列の東都テレビと、東都ラジオにも、及んだ…」
「…どう及んだの?…」
「…スポンサーが、動揺したんだ…東都テレビも、東都ラジオも、五井グループから、見捨てられたって…」
「…」
「…その結果、番組が、売れなくなった…撤退するスポンサーも現れ、関係者が、必死になって、引き留めても、それまでの価格では、売れなくなった…二割引き、三割引きでないと、売れなくなった…」
「…」
「…それで、団郁馬さんは、泣く泣く、五井の本家に、詫びを入れた…」
「…詫びを入れた?…どう、詫びを入れたの?…」
「…五井北東家が、有する、東都新聞の株、その20%を、五井本家に差し出した…」
ナオキが、言った…
ナオキが、重々しく言った…
私は、それを、聞いて、
…そういうことか!…
と、納得した…
どうして、団郁馬が、本家に、東都新聞の株の20%を差し出したのか?
それが、わからなかった…
その謎が、解けた…
今、溶けた…
そして、なにより、謎が、解けて、良かったのは、どうやって、本家が、五井北東家を屈服させたか?
それが、わかって、よかった…
その謎が、わかって、よかった…
そう、思った…
心の底から、そう、思った…
そして、私が、そう、思っていると、
「…諏訪野さんが、こんなに、恐ろしいひとだとは、思わなかった…」
と、ナオキが、漏らした…
「…恐ろしい? どうして、恐ろしいの?…」
「…だって、そうだろ? まさか、諏訪野さんが、五井グループ全体で、団さんを袋叩きするとは、思わなかった…」
「…袋叩きって?…」
「…綾乃さんも、知っているように、五井は、連合体…本家だけじゃない…各分家がある…」
「…それが、どうしたの?…」
「…今回、五井グループが、グループ全体で、北東家を追い詰めたと、言うことは、各分家が、本家に協力したと、いうこと…」
「…えっ? 協力?…」
「…さっき、例に挙げた、旅行会社…アレは、五井南家の系列だと、聞いている…」
「…南家の系列?…」
「…南家は、造船会社を持っている…その系列で、旅行業界に、進出している…」
「…」
「…つまり、諏訪野さんは、北東家を叩くにあたって、北東家以外の五井の分家すべてを、味方につけて、行動したんだ…」
「…ウソ?…」
「…だから、北東家は、白旗を上げざるを得なかった…さすがに、自分を除く一族全体を敵に回すことは、できないからね…」
「…」
「…そして、噂では、諏訪野さんは、もっと、決定的なことも、考えていたらしい…」
「…もっと、決定的なことって?…」
「…ずばり、北東家の五井家からの追放…」
「…えっ? 追放?…」
「…仮に、それをやられれば、団さんの面子は、崩壊する…」
「…崩壊?…」
「…天下に知られた五井だ…その五井を正式に追放されたら、北東家の面子は、丸つぶれ…地位の低下は、避けられない…」
「…」
「…東都新聞も、東都テレビ、東都ラジオも、ブランドが、崩壊しかねない…だから、本家に、頭を下げるしかない…本家に、詫びを入れるしかない…」
ナオキが、仰天のことを、言った…
まさか、そこまで…
そこまで、やるなんて…
あの伸明が、そこまで、やるなんて…
そう、思うことだった…
まさか、あの伸明が、そこまでする?
そう、思うことだった…




