寿綾乃という女 第4部 156
「…条件…ですか?…」
私が、声をあげる…
「…うん、条件と言うと、おかしいかも、しれないけれど、交換条件というのかな…なにかをあげるから、代わりに、北東家の持つ、東都新聞の株の20%を譲るとでも、したんじゃないかな…」
「…」
「…まあ、あくまで、これは、私の推測…推測よ…」
マミさんが、慌てて言う…
それから、
「…それより、寿さん、早く食べよう…私、お腹すいちゃった…」
そう、言って、目の前のテーブルに、置いたカレーを食べ始めた…
私も、それを、見て、
「…頂きます…」
と、言って、食べ始めた…
私が、食べ始めると、マミさんが、
「…私、今、頂きますって、言うのを、忘れちゃった…」
と、言って、苦笑した…
私は、それを、聞いて、
「…私だって、ひとりでは、言いませんよ…もちろん、家では、言いますよ…でも、外で、ひとりで、食べるときに、頂きますと言っても、まるで、空気に言うみたいじゃないですか?…」
と、言った…
「…空気?…」
「…そう、空気ですよ…外で、ひとりで、食べて、知り合いも、誰も、いないのに、頂きますなんて、言うと、このひと、変なひとと、周囲から、見られかねませんよ…」
私が、笑いながら、言うと、マミさんが、
「…寿さん、そんなこと言うと、井之頭五郎に、叱られるわよ…」
と、言った…
「…井之頭五郎? 誰ですか? それ?…」
「…テレ東の孤独のグルメっていう番組の主人公の名前…寿さん、知らない?…」
「…知りません…テレビは、基本、見ないんで…で、その井之頭なにがしが、どうか、したんですか?…」
「…その番組が、孤独のグルメというタイトル通り、主人公が、外で、ひとりで、食事をするの…」
「…ひとりで、食事ですか?…」
「…それと、今の話と、どういうつながりが?…」
「…主人公が、ひとりで、食事をするときに、必ず、頂きますと、口にするの…」
そういうことか?
ようやく、わかった(苦笑)…
だから、今、私が、ひとりでは、頂きますなんて、言わないって、言ったから、そう、言ったんだ…
たしかに、そう、言われれば、わかる…
ホントは、外で、ひとりで、食事をしていても、頂きますと、言わなければ、おかしいのかも、しれない…
でも、私は、やはり、恥ずかしい…
ひとりで、外で、食事を取るのに、
「…頂きます…」
と、言うのは、恥ずかしい…
勇気がいる…
それゆえ、
「…私は、ちょっと…」
と、言った…
「…どうして、ちょっとなの?…」
「…やっぱり、外で、一人で、食べるのに、頂きますって、言うのは、恥ずかしいですよ…」
私が、笑いながら、言うと、
「…それは、わかる…」
と、マミさんも、納得した…
「…今のように、誰かといっしょにいるのなら、頂きますって言うけれど、私も一人では、恥ずかしい…」
「…ですよね…」
二人は、そう、言って、笑った…
それから、マミさんが、
「…おしゃべりは、これぐらいにして、さっさと、食べよう…」
と、言って、再び、カレーを食べ始めた…
私も同じく、カレーを食べるのを、再開した…
そして、二人とも、無言で、カレーを食べた…
カレーを食べ終わると、今度は、アイスコーヒーを片手に、たわいもない話をした…
女同士、たわいもない話をした…
結婚の話をした…
「…寿さんは、藤原さんと、結婚しないの?…」
と、マミさんが、あっさりと、私に聞いた…
私は、笑いながら、
「…なに、言ってるんですか?…」
と、マミさんに、返した…
「…ナオキは、この前、ハルカさんと結婚発表したばかりですよ…」
私が、笑いながら、言うと、マミさんの顔が、真剣になった…
真剣な表情で、
「…それって、もしかしたら、さっき、言った北東家の団郁馬が、伸明さんに、屈したことと、なにか、関係があるのかしら?…」
と、聞いた…
あるいは、呟いた…
まるで、独り言のように、呟いた…
私は、思わず、
「…えっ?…」
と、言って、しまった…
まさか、そんなことは、考えなかった…
夢にも、考えなかった…
私は、ただ、ナオキが、ハルカと決婚会見をした…
偽りの結婚会見をした…
それを、このマミさんは、知っているか、どうか、わからない…
だから、言葉は悪いが、マミさんをからかうというか…
わざと、ナオキが、結婚会見をしたことを、言った…
それを、聞いて、マミさんが、どういう反応をするか、知りたかったからだ…
それが、まさか、こんな反応をするとは、思わなかった…
まったく、思わなかった…
だから、驚いた…
だから、仰天した…
私が、驚いたのを、見て、マミさんが、不思議そうに、私を見た…
それゆえ、私は、マミさんに、
「…ナオキが…藤原ナオキが、あのハルカさんと、結婚会見をしたのを、マミさんは、知らないんですか?…」
と、聞いた…
マミさんは、
「…それは、知っているわよ…」
と、こともなげに、聞いた…
「…どうせ、ウソ…お芝居でしょ?…」
と、これも、こともなげに、言った…
「…お芝居? どうして、お芝居だと、わかるんですか?…」
「…藤原さんは、寿さんを裏切らない…」
「…えっ? 私を裏切らない?…どうして、わかるんですか?…」
「…そりゃ、男だから、別の女に、手を出すことは、あると、思う…女遊びは、あると、思う…でも、それは、遊び…本気じゃない…」
「…本気じゃない?…」
「…私の見るところ、藤原さんは、寿さんを頼りにしている…だから、藤原さんは、寿さんから、離れられない…」
「…」
「…もし、寿さんから、離れるとしたら…」
「…したら?…」
「…寿さんに、代わる…誰か、頼れるひとを、見つけた時だと、思う…」
マミさんが、喝破した…
これまで、私が、薄々、気付いていたことを、喝破した…
ナオキが、私を必要とするのは、私が、頼れるから…
頼りがいがあるから…
それに、尽きる…
究極のところ、それに尽きる…
しかし、それを、ハッキリと、指摘されるとは、思わなかった…
マミさんに、ハッキリと指摘されるとは、思わなかった…
私は、それを、指摘され、なにも、言えなかった…
文字通り、なにも、言えなかった…
そして、そんな私の反応を見て、マミさんが、
「…誤解しないで、寿さん…」
と、声をかけた…
「…誤解?…」
「…なにも、藤原さんが、男として、頼りないから、寿さんを頼っているわけじゃないと、思う…」
「…じゃ、どうして?…」
「…経営者だから…」
「…経営者?…」
「…私も会社を経営しているから、わかるけど、経営者って、孤独なのよ…」
「…孤独?…」
「…会社の経営って、なにが、正しいのか、わからないじゃない…どうすれば、売り上げを上げられるか、わからないじゃない…だから、悩む…悶々と悩む…」
「…」
「…そんなときに、身近に頼れる人間が、いるのは、心強い…まして、藤原さんは、男だから、女の方が、心強い…できれば、若い女の方が、もっといい…恋人になれる…夫婦になれる…それで、相談できる…」
マミさんが、激白した…
強い口調で、激白した…
私は、それを、聞いて、
…そういうものか!…
と、思った…
あらためて、思った…
経営者の孤独をあらためて、思った…
マミさんも、経営者…
だから、ナオキの気持ちが、わかるのだろう…
痛いほど、わかるのだろう…
そして、それを、聞いて、思い出したのは、昔、聞いた、プロ野球の選手の妻…
年上が、多いと、聞いた…
それは、なぜか?
それは、年上の方が、頼れるから…
だから、若い選手は、姉さん女房を得る…
それと、同じだ…
そして、それは、おそらく、あの伸明も、同じ…
ナオキと、同じだろう…
伸明は、五井家当主…
ナオキとは、比べ物にならないくらい責任ある立場だ…
それゆえ、ナオキと同じように、頼れる女性を求める…
無意識に求める…
あるいは、自分が、安心できる女性を求める…
癒し…
その一言だろう…
仕事で、どうしていいか、散々、悩んだ男が、求めるのは、美女ではない…
若い女でもない…
自分を癒してくれる女…
自分を優しく、見守ってくれる女だからだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、マミさんが、
「…だから、ちょっと、怖い…」
と、漏らした…
「…怖い? なにが、怖いんですか?…」
「…あのハルカさん…彼女は、頼れる…だから、怖い…ウソが、ホントになったら、怖い…」
マミさんが、言った…
真剣な表情で、言った…




