寿綾乃という女 第4部 154
そんな私の気持ちに気付かず、目の前のマミさんは、
「…寿さん、なにを食べる?…」
と、私に聞いてきた…
まあ、レストランにいるのだから、当たり前のことだ…
変な話、私は、今、自分の立場を忘れていた…
今、レストランにいることを、すっかり忘れていた…
ホントなら、ここで、長谷川センセイと食べるはずだった…
ホントなら、今日、ここに訪れたのは、長谷川センセイに会うためだった…
お昼休み、ちょっと前に、この病院にやって来て、長谷川センセイに連絡を取り、呼び出して、昼食を取りながら、この病院に、諏訪野和子が、ホントに入院しているか、どうか、確かめるつもりだった…
それを、すっかり忘れたわけではないが、予想外…
まさに、予想外の展開になった(苦笑)…
そして、なにより、相手が、マミさんだったのが、まずかった…
まずかったというのは、都合が、良すぎたということ…
このマミさんに、会ったことで、長谷川センセイに会う以上のメリットがあった…
だから、おしゃべりに、夢中になり、今、自分が、どういう立場か、すっかり、忘れていた…
情報収集に夢中になり、すっかり忘れていた…
今、自分が、レストランにいることすら、すっかり、忘れていた…
そういうことだ…
マミさんは、
「…私は、お腹が減った…」
と、漏らした…
笑いながら、漏らした…
「…ここにやって来て、お昼を食べるつもりだったから、家では、なんにも食べて来なかった…」
「…そうだったんですか?…」
「…でも、よかった…」
「…よかった? なにが、よかったんですか?…」
「…こうして、寿さんと、食べることが、できてよかった…」
「…えっ?…」
「…いえ、本音を言うと、ひとりで、外で、食事を取るのは、嫌だった…家では、ひとりで、食事をとるのが、普通だけれども、外では、嫌…やっぱり、食事は、気の合うひとと、おしゃべりしながら、楽しく取りたい…」
マミさんが、激白する…
私も、それを聞いて、すぐに相槌を打った…
「…それは、そうですよ…」
と、言って、相槌を打った…
「…私も同じです…家では、ひとりで、食事を取るのも、嫌じゃないですけれど、外で、食事を取るのに、ひとりは、嫌です…プライベートで、外で、ひとりで、食事を取って、周囲から、このひと、友達が、いないのかなと、思われるのが、嫌です…」
私も、マミさん同様激白した…
すると、マミさんは、私の意見に、同意した…
激しく同意した…
「…わかる…」
と、言って、同意した…
「…やっぱり、外で、ひとりで、食べるのって、どうしても、周囲の目が、気になりますよね…」
私は、続ける…
「…そう、すごく気になる…」
マミさんも、続ける…
「…特に、寿さんは、美人だから、こんなきれいなひとが、どうして、ひとりで、食べているんだろ? と、周囲の男は、とりわけ、気になるはずよ…」
「…そんなこと、ありませんよ…」
「…どうして、そう、言えるの?…」
「…だって、私、男のひとから、ナンパされたことは、一度だって、ありませんよ…」
「…えーっ! ウソ!…」
「…ホントです…」
「…どうして、声をかけられないんだろ?…」
「…それは、私に聞いたって、知りませんよ…ただ、男のひとに、言わせれば、私は、男のひとが、声をかけづらいタイプだそうです…」
「…タイプ?…」
「…しっかりし過ぎて、スキがない…」
私が、笑いながら、言うと、マミさんが、
「…」
と、絶句した…
「…まあ、要するに、いくらキレイでも、声を、かけづらいひとは、女の私から、見ても、います…それが、要するに、他人から見た私なんじゃないかと…」
私が、言うと、マミさんが、やはり、絶句した…
「…」
と、絶句して、なにも、言わなかった…
あるいは、言えなかった…
さすがに、言えなかったのが、本音だろう…
さすがに、同意できなかったのが、本音だろう…
さすがに、同意すれば、私に悪いと、思ったのだろう…
私は、そんなマミさんを見て、
「…でも、そんな簡単なことに、気付いたのは、歳を取ってからです…」
と、続けた…
「…歳を取ってから?…」
「…どうしても、若いときは、自分のことが、わからない…自分が、周囲に、どう見られているのか、わからない…」
私が、激白すると、マミさんは、またも、同意した…
私の言葉に、同意した…
「…それは、誰もが、同じ…」
と、同意した…
「…でも、まあ、それが、若さなんだと、思う…周囲が、自分をどう、見ているか、わからない…それが、若さなんだと、思う…」
「…やはり、そう、思いますか?…」
「…それは、思う…」
「…ですよね…」
私は、相槌を打った…
「…でも、それが、わかるのが、遅すぎた…」
「…どうして、遅すぎたの?…」
「…だって、それが、わかれば、もっと、若い頃に、イケメンで、頭のいい、男をゲットできましたよ…もっと、弱い女を、男の前で、演じて…」
私が、笑いながら、言うと、マミさんが、爆笑した…
実に、楽しそうに、爆笑した…
「…寿さんが、そんなことを、言うなんて、思わなかった…」
と、言って、爆笑した…
私は、それを、見て、
「…過ぎたるは猶及ばざるが如し…」
と、続けた…
「…なに、寿さん、いきなり?…」
「…どんなことでも、後になって、わかるものですよ…あのとき、こんなことを、しておけば、よかった…あのとき、あんなことを、してば、よかったって…」
私が、言うと、マミさんが、同意した…
激しく同意した…
「…わかる…」
と、同意した…
それから、マミさんは、慌てて、
「…寿さん、こんな話をいつまでも、続けていちゃ、ダメ! 切りがない…」
と、言って、
「…それより、なにか、注文しよう…さっきも、言ったけれども、私は、もう、お腹ペコペコ…」
と、漏らした…
「…それは、私も、同じです…」
私も、言って、メニューを見た…
「…寿さん、なににする?…」
マミさんが、聞く…
私は、お腹を満たせば、なんでも、いいと思ったが、それでは、さすがに、マズい…
マミさんが、
「…私は、カレーでいいわ…」
と、言ったので、面倒くさいから、
「…私も同じで、いいです…」
と、言った…
「…寿さんも、カレーでいいの?…」
「…別に、いいですよ…」
正直、この言葉にウソはない…
ウソ偽りはない…
私は、基本、貧乏性…
幼いときから、家が、貧しかった…
だから、食べれば、いい…
食べられれば、いいと、思ってしまう…
あれやこれは、後回し…
基本、食事ができれば、いいと、思ってしまう…
子供の頃に、貧しく、大人になり、成功して、お金持ちになって、子供の頃に、贅沢なものを、食べられなかった反動で、少しでも、贅沢なものを、食べたいと、思うものもいる…
その気持ちは、わかるが、私には、それがない…
なんでも、食べられれば、いいと、考える…
これは、やはり、ひとそれぞれ…
ひとそれぞれなんだと、思う…
同じ境遇で、育っても、ひとそれぞれなんだと、思う…
同じ境遇で、育った兄弟姉妹でも、やはり、違うと思う…
それが、個性なんだと、思う…
つくづく、思う…
私が、そんなことを、考えていると、突然、
「…寿さんって、父と、似ている…」
と、マミさんが、言った…
「…私が、建造さんと…」
と、私が、驚いて、言うと、マミさんが、頷いた…
「…似ているって、どこが、似ているんですか?…」
「…受け入れるところ…」
マミさんが、思いもかけないことを、言う…
「…受け入れるところって、なにを受け入れるんですか?…」
「…おおげさに、言えば、運命っていうのかな…」
「…運命?…」
また、おおげさなことを、言ったと、思った…
が、
わからない…
私と、マミさんの父親の建造と、どこが、似ているか、わからない…
だから、率直に、
「…どこが、似ているんですか?…」
と、聞いた…
聞かざるを得なかった…
「…父は、寿さんも知っているように、伸明さんの母の昭子叔母様と、結婚して、すでに昭子叔母様のお腹の中に、父とは、違う男の子供が、できていたのを、知っても、離婚しなかった…」
「…それが、私とどこが、似ているって?…」
「…さっきも、言った、受け入れること…」
「…受け入れること…ですか?…」
「…それを、知れば、普通は、離婚でしょう…また、昭子叔母様は離婚されても、文句は、言えない…もちろん、昭子叔母様の両親の東家も…」
「…」
「…でも、父は、そうしなかった…たぶん、できても、しなかった…」
「…どうして、しなかったんですか?…」
「…五井をまとめるためだと、思う…」
「…」
「…それを、すれば、ゴタゴタする…当時、本家の父の建造と叔父の義春兄弟と結婚できる年齢の五井家の女性は、いなかった…だから、離婚すれば、また、振り出しに戻る…それが、わかっているから、離婚しなかった…我慢した…」
「…」
「…五井は、五井家の人間と結婚するのが、原則…そうしないと、ただでさえ、血が薄くなった一族の結束を保てない…だから、父は、我慢した…あえて、離婚しなかった…」
「…でも、それが、私とどこが、似ているんですか?…」
「…運命に抗わないこと…」
「…運命に抗わないこと?…」
「…だって、寿さん、その気になれば、伸明さんと、いつでも、結婚できるわよ…」
「…えっ? ウソ?…」
「…ホント…」
「…どうして、できるんですか?…」
「…父の恩…」
「…建造さんの恩?…」
「…伸明さんは、父に感謝している…そもそも、伸明さんの母である、昭子叔母様が、父と離婚すれば、伸明さんは、当主になれなかった…」
「…」
「…なにより、伸明さんは、父に可愛がられた…父に溺愛された…だから、父に愛着がある…父を尊敬している…」
「…」
「…そんな伸明さんだから、私もまた伸明さんを好きでいられる…私の父の建造を、血が繋がっていないにも、かかわらず、尊敬している伸明さんだから、好きでいられる…」
マミさんが、言った…
これまで、聞いたことのない胸の内を、私にさらけ出した…




