寿綾乃という女 第4部 146
そして、私が、そう、思っていると、
「…なにを、考えているの? 綾乃さん?…」
と、伸明が、聞いてきた…
私は、躊躇った…
さすがに、言っていいことを、悪いことがあるからだ…
伸明を疑うことを、ナオキに言っていいのか、どうか、迷った…
ナオキは、伸明と仲がいい…
それだから、ナオキは、ハルカとの偽の決婚会見を開いたわけだからだ…
つまりは、それほど、仲がいいということだ…
普通は、誰が、考えても、そんなことは、しない…
いくら、相手が、五井家の当主でもしない…
もちろん、メリットはある…
伸明と仲良くする、メリットはある…
なにしろ、伸明は、天下の五井家当主だから、ある…
が、
普通は、そこまでは、しない…
いくら、伸明に頼まれても、そこまでは、しない…
偽りの結婚会見までは、しない…
これは、二人が、仲がいいことの証明…
そして、伸明は、ともかく、ナオキ…
眼前の藤原ナオキという人物と、私は、すでに、十五年、付き合っている…
公私ともに、付き合っている…
このナオキは、嫌いな人間と、付き合える人間ではない…
世の中には、嫌いな人間でも、無理をして、付き合う人間が、いるが、このナオキには、それが、できない…
それが、できるほど、器用な人間ではない…
つまりは、このナオキは、一言で、言えば、あの伸明が好き…
それに、尽きるのだ…
だから、頼まれて、偽の結婚会見まで、した…
それが、真実だろう…
そのナオキに、伸明を疑う言葉をかけて、いいものか、どうか?
悩んだ…
実に、悩んのだ…
ナオキは、そんな私を見て、
「…綾乃さん、答えられないなら、答えなくて、いいよ…」
と、笑いながら、言ってくれた…
「…誰だって、答えたくないことの一つや、二つは、あるものだから…」
ナオキが、続ける…
が、
その言葉を聞いて、かえって、言いたくなった…
かえって、話したくなった…
私は、率直に、ナオキに、話した…
「…ねえ、ナオキ…」
と、話しかけた…
「…なに? 綾乃さん?…」
「…ナオキ…この前、あのハルカさんと、偽の決婚会見をしたでしょ?…」
「…それが、どうかしたの? 今も言ったように、そのせいで、今日、会社に出社したら、FK興産が、五井グループ入りするって、社員が、そこかしこで、噂話をしていた…」
「…それは、わかっている…」
「…だったら、なんなの? 綾乃さん?…」
「…そのFK興産の五井グループ入りよ…」
「…それが、どうかしたの?…」
「…今の話じゃ、結局、FK興産は、五井グループ入りする…昨日、言った、ユリコさんの話と、いっしょ?…」
「…それが、どうかしたの?…」
「…だとしたら、今回の件で、得をしたのは、誰かしら?…」
「…誰かしらって? どういう意味? 綾乃さん?…」
「…FK興産が、五井グループ入りすると、したら、誰が得かしら?…」
私の言わんとするところを、ようやく、このナオキは、わかったようだ…
「…まさか、綾乃さん、諏訪野さんを、疑っているの?…」
ナオキが、素っ頓狂な声を上げた…
私は、ウンともスンとも、言わなかった…
ただ、
「…誰が、得をするかで、見れば、色々、見方が、違ってくる…」
と、だけ、言った…
ナオキは、唖然として、私を見た…
唖然として、マジマジと、私の顔を、凝視した…
それから、
「…本気?…」
と、短く聞いた…
「…本気で、諏訪野さんを、疑っているの?…」
私は、ただ、
「…おかしいのよ…」
と、だけ、言った…
「…おかしい? なにが、おかしいの?…」
「…ハルカさん…」
「…ハルカさんのなにが、おかしいの?…」
「…この前、会ったの? ナオキに言ってなかった?…」
「…」
「…そのときは、おとなしかった…でも、前回、伸明さんの見合いの席で、会ったハルカさんは、別人?…」
「…どう、別人なの?…」
「…おとなしいどころか、気の強い自分勝手な性格だった…」
「…ウソ?…」
「…ホント…」
「…だから、別人…まさに、別人だった…」
「…」
「…そして、伸明さんの見合いの席で、見た、ハルカさん…あれは、伸明さんの好みのタイプだったのよ…」
「…諏訪野さんの好みのタイプって?…」
「…気が強くて、男勝り…もちろん、外見が、男っぽいというわけじゃないけれど、中身は、そう…」
私が、言うと、ナオキは、
「…それって、もしや、綾乃さん?…綾乃さん、自分のことを、言っているの?…」
と、突っ込みを入れた…
私は、思わず、
「…今は、冗談を言っているときじゃないの!…」
と、ナオキを叱った…
ナオキは、素直に、
「…ごめん、綾乃さん…」
と、私に詫びた…
「…とにかく、違うのよ…」
と、私は、続けた…
「…違う? あのハルカさんが?…」
「…そうよ…ナオキの会ったハルカさんは、どうだった?…」
「…どうって、普通だったよ…」
「…普通って?…」
「…別に、気が強くもないし、おとなしくもない…とにかく、普通…」
私は、それを、聞いて、
「…まさか、別人?…」
と、聞いた…
ナオキは、あっさりと、
「…そんなわけないだろ!…」
と、私の意見を却下した…
そう、言われると、私としても、言い返せなかった…
自分でも、そう、思ったからだ…
だから、言い返せなかった…
自分でも、伸明の見合いの席で会ったハルカと、後で会ったハルカが、あまりにも、違うので、別人かと、本気で、疑ったからだ…
だから、私が、なにも、言い返せずにいると、ナオキが、
「…要するに、綾乃さんは、諏訪野さんと、あのハルカさんを疑っているわけだ…」
と、私の胸中を察した…
私は、それを、否定しなかった…
さらには、
「…それと、団郁馬さん…」
と、付け加えた…
「…団郁馬…五井北東家の…ボクを伊豆で、幽閉した…」
「…そう…」
「…でも、諏訪野さんは、その団郁馬に対抗するために、今回、色々と…」
「…それは、わかっている…」
「…わかっている? だったら、綾乃さん、なぜ、そんなことを?…」
「…今回、伸明さんは、団郁馬との勝負を口にしていたけれども、勝負は、もう、お父様の建造さんの時代から、始まっていたんじゃないかって、思って…」
「…どうして、綾乃さん、そう、思うの?…」
「…ユリコさんからの電話…」
「…ユリコからの電話?…」
「…だって、ユリコさん、ナオキに電話して、五井グループ内の、情報関連会社と、FK興産を合併して、一つの会社にして、団郁馬の持つ、東都テレビ、東都新聞と、対抗しようとしていると、言ったでしょ? だから、ナオキから、先に、伸明さんに、FK興産の株を売れと、アドバイスしたわけでしょ?…」
「…それは、そうだけれども…」
「…でも、思うのよ…」
「…なにを、思うの?…」
「…FK興産がなくても、五井グループ内の情報関連企業を集めれば、十分に、北東家の持つ、テレビや、新聞などの、オールドメディアに対抗できるはずよ…」
「…それは…」
「…だから、それは、FK興産を手に入れる口実…」
「…口実?…」
「…もっと、言えば、以前、ナオキが、言ったように、FK興産の社員が、欲しいんじゃない?…」
「…どうして、社員が?…」
「…だって、ナオキも前に言ったでしょ? FK興産の社員は、大半が、オタク…だから、天下の五井の情報関連企業にだって、社員の質は、負けてない…プログラミングなどは、基本、オタクの方が、優れているって…」
「…」
「…だから、伸明さんは、それを、狙った可能性がある…」
私が言うと、ナオキが、黙り込んだ…
「…」
と、黙り込んだ…
それから、
「…そんなバカな…」
と、呟いた…
私は、すぐに、
「…私だって、そんなこと、思いたくないわよ…でも…」
と、続けた…
「…でも、なに?…」
「…そうも、考えられる…そう、言いたいわけ…」
私は、力を込める…
「…もちろん、可能性に過ぎない…証拠が、あるわけじゃない…でも、結果を見れば、伸明さんに、有利になっている…」
私が続けると、ナオキが、絶句した…
「…」
と、絶句した…
文字通り、言葉にならなかった…
それから、少し置いて、
「…なんと言っていいのか、わからない…」
と、ナオキが、ぼやいた…
「…たしかに、綾乃さんの言うことは、わかる…綾乃さんの言う可能性は、わかる…でも…」
「…でも、なに?…」
「…諏訪野さんを疑ったことは、ボクは、ない…一度もない…」
「…それは、ナオキが、伸明さんと、仲が、良すぎるからよ…」
「…仲が、良すぎるから、どうなの?…」
「…だから、疑わない…全面的に、信頼している…信用している…」
「…」
「…ナオキは、金持ち、ケンカせずと、思っているんじゃない?…」
「…どういう意味?…」
「…金持ちは、持つもの…お金を持つもの…だから、生活に、余裕がある…だから、他人を騙したり、他人を出し抜いたりしないということ…」
「…それは…」
「…基本的に、善人説をとっている…違う?…」
そう、言うと、ナオキは、なにも、言えなかった…
ただ、
「…綾乃さんの言うことは、わかる…」
と、繰り返した…
ただ、
「…たしかに、このままでは、最終的に、得をするのは、諏訪野さんだ…」
と、繰り返した…
「…でも、ボクには、諏訪野さんが、そんな人間には、見えない…ボクを騙すような人間には、見えない…」
「…たしかにね…」
私は、ナオキに、同意した…
「…でも、だからといって、信用できるとは、限らない…信頼できるとは、限らない…」
「…だったら、ボクは、どうすればいい?…」
ナオキが、戸惑って、聞く…
私は、すかさず、
「…このままでいい…」
と、返した…
「…どうして、このままで、いいの?…」
「…だって、伸明さんを疑って、アレコレ、聞いても、ホントのことを、言うわけないでしょ?…」
「…それは、そうだけれど…」
「…だから、用心すればいい…警戒すれば、いい…」
「…それだけ?…」
「…そう、それだけ…でも、それだけでも、違うでしょ?…」
私が、言うと、ナオキが、考え込んだ…
深く、考え込んだ…
そして、しばらく、考え込んでから、
「…そうする…」
と、宣言した…
「…綾乃さんの言う通りにする…」
と、宣言した…
私は、それを、聞いて、安心した…
私は、ナオキを愛している…
伸明よりも、愛している…
ナオキと伸明のどっちを取るかと、言われれば、ナオキを取る…
それが、決まった瞬間でも、あった…
自分が、誰が、好きか?
あるいは、
自分にとって、誰が大切か?
あらためて、わかった瞬間でも、あった…




