寿綾乃という女 第4部 138
目が覚めると、いつものままだった…
ひとりぼっち…
私は、ベッドの上で、ひとりぼっちだった…
それゆえ、リビングにナオキがいることを、すっかり忘れていた…
私は、それを、思い出すと、急いで、リビングに行った…
ナオキが、どうしているか、気になったからだ…
ナオキは、ひとりで、チビチビと、酒を飲んでいた…
といっても、この家には、酒といっても、ウイスキーも、日本酒もない…
あるのは、ビールや、チューハイ、それに、ハイボールぐらい…
すべて、缶…
缶に入っている…
350mlの缶に入っている…
それが、冷蔵庫に入っている…
ナオキは、冷蔵庫から、ハイボールの缶を取り出して、チビチビと飲んでいた…
私は、それを、見て、
「…ナオキ…私を起こしてくれたら、よかったのに…」
と、言った…
「…ひとりで、飲んでも、つまらないでしょ?…」
私が部屋に入って来たのを、見て、ナオキは、
「…さすがに、それは、できないよ…」
と、答えた…
「…どうして、できないの?…」
「…綾乃さんの、あんな可愛い寝顔を見てはね…」
ナオキが、茶目っ気たっぷりに、言う…
私は、それを、聞いて、
「…ナオキ、お世辞は、いいわ…」
と、言った…
わざと、不機嫌に、言った…
それから、
「…でも、ナオキが、お世辞を言うのも、久しぶりね…」
と、言い直した…
ナオキは、苦笑した…
「…さすがに、この歳になると、お世辞も、慣れて来る…」
と、苦笑した…
私は、それを、聞いて、
「…やっぱり、お世辞だったの!…」
と、わざと、怒って見せた…
そんな私の姿を見て、ナオキが、
「…綾乃さん、座ったら…」
と、言って、私にソファに座ることを提案した…
私は、ナオキの言葉に、従った…
素直に、従った…
外は、まだ、夜にも、なっていない…
まだ、暗くなっていない…
完全には、暗くなっていない…
今の時間は、まだ、夕方の六時くらい…
なにしろ、昼間の午後、あのハルカと、会って、話して、家に戻って来たら、ナオキが、いた…
それで、すぐに、二人とも、寝てしまった…
だから、まだ、それほど、遅くない…
当たり前だった…
私は、ナオキを見て、
「…ナオキ…お風呂は?…」
と、言った…
「…まだ、入っていない…」
ナオキが、即答する…
私は、それを、聞いて、
「…でしょうね…」
と、すぐに、言った…
なにしろ、ナオキは、さっき、帰ってきたまま、服も着替えていない…
ただ、上着を脱いで、ネクタイをはずしただけ…
それだけだ…
その姿で、ソファに、横たわって、ハイボールを飲んでいる…
まさか、それを、見て、お風呂に入ったようには、誰が、見ても、思わなかった…
そして、私が、そう、思っていると、
「…そういう綾乃さんは、どうなの?…」
と、ナオキが、返した…
これは、痛かった…
私も、ナオキと、同じ…
さっき、玄関で、ナオキと、会ったときのまま…
同じ姿で、ベッドで、ウトウトしていたからだ…
だから、それを、見て、ナオキは、言ったのだろう…
そして、私が、返答する間もなく、
「…綾乃さんこそ、さっさと、お風呂に入ったら…」
と、返された…
これは、
…やられた!…
と、思った…
完敗!
まさに、私の完敗だ!
私は、ぐーの音も、出なかった…
それゆえ、
「…ナオキ、アナタの言うように、なったわね…」
と、言った…
負け惜しみ…
負け惜しみだ…
負け惜しみに、他ならない…
私は、思った…
私は、考えた…
同時に、思った…
このナオキは、こんなに、疲れた表情をしていたが、それは、どうしてだろう?
どうして、こんなに、疲れた表情をしていたんだろ?
今は、さすがに、ひと眠りした後だから、それほどでもないが、さっき、会ったときは、誰が、見ても、疲労困憊状態だった…
それゆえ、一瞬、私もお風呂を先に、入ろうと思ったが、それをやめて、ナオキに、
「…さっき疲れた顔をしていたけれど、なにが、あったの?…」
と、直球で、聞いた…
当たり前だった…
ナオキは、私の質問に、
「…そりゃ、なにか、あったさ…」
と、苦笑いを浮かべた…
「…でしょうね…」
私も、相槌を打つ…
「…で、そのなにかって、なに?…」
「…それは、言えないさ…」
「…言えない? どうして?…」
「…企業秘密…」
「…企業秘密?…」
「…だから、言えない…」
「…どうせ、五井から、なにか、言われているか、頼まれているんでしょ?…」
「…それも、言えない…」
「…私でも…」
「…綾乃さんでも…」
「…わかった…」
そう、言って、ソファから、立ち上がった…
それを、見て、
「…綾乃さん、怒った?…」
と、ナオキが、聞いた…
「…怒ってなんか、ないわよ…」
私は、言った…
「…ただ、お風呂に入ろうと、思っただけ…」
私が、言うと、
「…やっぱり、怒っている!…」
と、ナオキが、返す…
「…怒ってない!…」
「…いや、怒っている!…」
「…怒ってなんかない!…」
私は、大声を出した…
すると、さすがに、呆れたのか?
ナオキが、ソファから、立ち上がった…
そして、いきなり、私の上に覆いかぶさり、私の唇を塞いだ…
私に、キスをしたのだ…
そんなことは、滅多にないことなので、驚いた…
キスは、続いた…
思ったより、長く続いた…
ナオキが、ようやく、唇を離したときに、私は、すかさず、
「…ナオキ…アナタ、酔い過ぎ…」
と、文句を言った…
「…お酒の飲みすぎ…」
私が、言うと、ナオキが、照れた…
照れた表情に、なった…
私は、そんなナオキを見て、なんと言っていいのか、わからなかった…
キスをするのは、いい…
でも、酔ってキスをしてくるのは、ゴメン…
まして、酔って押し倒されでも、したら、最悪…
これ以上、ないくらい最悪だ(苦笑)…
だから、まあ、押し倒されなかっただけでも、いいか?
そう、思った…
そう、思ったのだ…
それゆえ、
「…とにかく、お風呂に入って来るわ…」
と、言って、ナオキの前から、去った…
私は、基本、キレイ好き…
つい、さっきまで、あのハルカと会って、家に帰って来て、ベッドの上で、ウトウトとして、眠ってしまったが、ホントなら、そんなことは、しない…
それは、私が、癌持ちの身だから…
体力が、衰えているから、そんなことをした…
私は、会社員時代は、夕方、家に帰って来ると、真っ先に、お風呂に入った…
外から、帰って来て、自分のカラダが、汗まみれに、なっているのが、嫌なのだ…
もちろん、生きているのだから、誰でも、汗はかく…
一日中、家の中にいても、汗はかく…
しかしながら、外で、働いて、帰って来るのとは、違う…
もちろん、外で、働いたからと、言って、汗まみれになっているわけでも、なんでもないが、これは、感覚的なもの…
たぶん、自分が、そう、思っているだけのもの…
ただ、気分的なものに、他ならない…
お風呂に入って、湯船に浸かると、ホッとした…
心の底から、ホッとした…
一日の疲れが、取れる気がした…
働いても、いないのに、そう、思った…
これは、私が僭越…
僭越な気持ちなのだろうか?
それとも、コンプレックス?
後ろめたい…
働いても、いないのに、そう感じるのが、後ろめたい…
そうも、思った…
そして、ナオキのことを、考えた…
ナオキは、疲労困憊していた…
誰が、見ても、グロッキー寸前だった…
一体、ナオキは、どうして、あんなに疲れているのだろう?
もちろん、五井との関係で、なにか、あったのは、わかる…
五井は、今、FK興産の大株主…
経営危機に陥った際に、資本提携をして、助けて、もらった…
それゆえ、五井から、なにか、言われれば、断ることは、できない…
主人と、奴隷ではないが、そういう関係…
よほどのことがない限り、断ることは、できない…
そして、五井=伸明だ…
だから、伸明に頼まれて、ナオキは、あのハルカと、結婚会見をした…
偽の結婚会見をした…
ナオキに、断るという選択肢は、あり得なかったのだろう…
ナオキは、伸明に首根っこを押さえつけられている…
もちろん、表情上は、そうは、見えない…
伸明と、ナオキは、気の合う友人…
誰が、見ても、そう、見える…
しかしながら、それは、他人の目から、見ての話…
ナオキが、どう思っているか、わからないし、伸明も、また、どう、思っているか、わからない…
本音では、互いに、嫌っているとまでは、言わないが、それほど、好きではないことも、多々ある…
ハッキリ言えば、ビジネス友達…
互いが、メリットがあるから、付き合っている…
これは、ある意味、会社の同僚と、同じ…
同じ会社、同じ職場で、働いているから、うまくやろうと、思う…
かつて、いみじくも、
…会社で、仲の良い、同僚は、いるが、それは、友達とは、違う…
と、言った、知人が、いたが、それは、まさに、そう…
いっしょに、働いているから、誰もが、うまくやろうと、思う…
トラブルを起こさなかろうと、思う…
しかしながら、会社を退職すれば、その限りではない…
だから、付き合わない…
会社を辞めれば、付き合わない…
当たり前のことだ…
ナオキと伸明の関係も、それと、近いかも、と、思った…
考えた…
そして、そんなことを、考えながら、お風呂で、カラダを洗い、再び、湯船に浸かって、お風呂から出た…
その私を、ナオキが、待っていた…
落ち込んだ表情で、待っていた…




