寿綾乃という女 第4部 126
私は、伸明を見た…
あらためて、見た…
この五井の若き当主を、見た…
目の前の、若い五井の当主は、酒に酔っている…
泥酔の一歩手前のようにも、見える…
が、
それは、おそらく、演技…
そう、見せているだけだ…
なぜなら、ときおり、私を見る目が、探るように、見る…
要するに、泥酔しているように、見せかけているだけ…
演技しているだけだ…
私は、それに、気付くと、
「…伸明さん…」
と、声をかけた…
「…なんですか?…」
「…泥酔する姿は、やめて、頂けませんか?…」
私が、ハッキリ言った…
が、
それでも、伸明の態度は、変わらない…
それゆえ、私は、引き続き、
「…なにが、目的か、知りませんが、酔ったフリをするのは、やめて下さい!…」
と、言った…
声を大にして、言った…
それを、聞くと、伸明は、最初、驚いたフリをしたが、すぐに、
「…気付きました?…」
と、笑った…
少し照れくさそうに、笑った…
私は、それを見て、すぐに、
「…それは、女のやり口ですよ…」
と、釘を刺した…
「…女のやり口?…」
「…女が、酔ったフリをして、男をホテルに誘う…酔ったフリをして、男のカラダに、寄りかかり、誘う…違いますか?…」
私が、言うと、伸明は、最初、呆気に取られた顔をした…
次いで、すぐに、笑った…
文字通り、爆笑した…
「…まったく、これだから、寿さんは…」
と、言って爆笑した…
「…なにが、目的です?…」
私は、舌鋒鋭く、言った…
「…目的?…」
「…私の前で、酔ったフリをした目的です…」
「…試したんですよ…」
「…試した? なにを、試したんですか?…」
「…団郁馬に対抗できるか、どうか、試したんです…」
「…団郁馬に対抗?…」
「…そうです…」
「…」
「…あの団郁馬は、寿さんに近付きます…」
「…どうして、それが、わかるんですか?…」
「…寿さんは、ボクの周囲にいる、数少ない友人だからです…」
「…」
「…誰もが、同じ…将を射んとする者はまず馬を射よ、のことわざでは、ありませんが、ターゲットに、決めた相手の近くにいる人間たちを、標的にする…」
「…どうして、するんですか?…」
「…ターゲット本人が、動揺するからです…あるいは、その周囲の人物にうまく取り入った上で、ターゲット本人に近付いたり、洗脳したりすることができる…」
「…洗脳?…」
「…まあ、洗脳というと、おおげさ過ぎるかも、しれませんが、それとなく、ターゲット本人に、仲のいい人間が、アレコレ、話す…こうすれば、いいと、自分の都合のいいように、話す…その結果、ターゲット本人が、その気になる…仲のいい人間の影響を受けるわけです…」
「…」
「…だから、寿さんは、団郁馬に狙われた…」
「…えっ?…」
「…ボクは、プライベートで、仲の良いひとたちは、少ない…せいぜい、片手以上、両手未満の数…」
「…」
「…それは、今、言った危険があるからです…だから、友達が少ない…」
「…ウソ?…」
「…ホントです…」
伸明が、笑う…
「…もちろん、知り合いは、います…ビジネスで、知り合った人間は、大勢います…それこそ、百人や二百人では、きかないほど、大勢います…でも、友達と呼べる人間は、いない…ほとんど、いない…」
「…」
「…芸能人が、いい例ですよ…」
「…芸能人?…」
意外だった…
まさか、この場で、芸能人の話題が、出るとは、思わなかったからだ(苦笑)…
「…なにが、いい例なんですか?…」
「…今、ボクが言った友達…」
「…友達?…」
「…売れっ子の芸能人が、薬物で捕まったり、するでしょ?…」
「…」
「…そして、引退する…その後、インタビューを受けて、話すと、芸能人の友人で、今も、付き合っている人間は、いないと、大半の人間が、答える…それと、同じです…」
「…同じ?…」
「…要するに、大半は、ビジネス友達…これは、一般のひとも、大抵は、同じ…同じ会社や、同じ職場で、いっしょに働いているから、仲良くしている…」
「…」
「…しかしながら、大半が、その会社を辞めれば、それまでの繋がりが、一瞬で切れる…これは、芸能人と大差ない…」
「…」
「…だから、大抵は、どんな人間も、友達と呼べる人間は、多くは、いない…そして、付き合いがあるとすれば、学生時代の友人たち…」
「…学生時代の友人たち? どうしてですか?…」
「…利害関係がないからですよ…大抵が、好きだから、付き合っている…気が合うから、付き合っている…それが、会社や芸能界との違い…ビジネスが入らない…」
「…」
「…ですが、その学生時代の友人たちも、年々少なくなってくる…高校や大学を卒業した当初なら、付き合うが、十年もすると、大半が、付き合わなくなる…それが、現実です…」
「…現実…」
「…話が、少々長くなりましたが、要するに、ボクに限らず、大抵は、この年齢になると、会社など、職場を除けば、付き合っている人間は、いないのが、大半です…それゆえ、団郁馬は、寿さんに、接触する可能性が、高い…」
「…私に接触する可能性…」
「…そうです…」
「…だったら、もう、しました…」
「…した?…」
伸明が、素っ頓狂な声を上げた…
「…ハイ…」
「…いつですか? どういうシチュエーションで?…」
「…自宅近くのコンビニのセルフレジで…」
「…コンビニのセルフレジ?…」
「…子供が、お金が足りなくて、その子供のお金を、団郁馬さんが、払っていたんです…ちょうど、私の目の前で…」
「…それで、どうしたんですか?…」
「…別に、どうということも…」
「…なにも、なかった?…」
「…ただ、その後、コンビニを出て、二、三、立ち話をしました…」
「…立ち話?…」
「…私は、ちょうど、散歩の途中だったんです…」
「…散歩?…」
「…っていうか、ウオーキングの最中で、コンビニで、お茶を買って、店の外で飲んで、一休みしていたんです…そこで、二、三、立ち話をして…」
「…それが、どうして、団郁馬だと、わかったんですか?…」
「…マミさんです…」
「…マミさん?…」
「…彼女が、気を付けるようにと、団郁馬さんの顔写真を送ってくれて…」
「…そういうことでしたか?…」
伸明は、納得したようだ…
「…ということは、団郁馬は、寿さんに、ファーストコンタクトは、すんだわけですか?…」
「…ファーストコンタクト?…」
「…初めての接触です…」
「…」
「…団郁馬は、寿さんに、接触済み…後は、距離を縮めるだけ…」
「…距離を縮めるって、男女の交際じゃ、ないんですから…」
「…同じですよ…」
「…同じ?…」
「…下心があろうとなかろうと、距離を縮めて、相手の懐に入る…同じです…」
「…」
「…つまり、団郁馬は、寿さんと知り合った…後は、距離を縮めてきます…」
「…」
「…だから、十分、用心することです…今日は、それを、伝えたかった…」
伸明が、ようやく、今日、私をこのお屋敷に招いた目的を、口にした…
今日、伸明が、なぜ、私を、このお屋敷に招いたのか、その目的を話した…
私は、それを、聞いて、納得した…
実に、納得した…
なぜなら、辻褄が合う…
伸明の言うことの辻褄が合うからだ…
辻褄が合わない話は、納得できない…
この伸明が、今、言った話…
この私が、伸明の数少ない友人だから、あの団郁馬が、私を狙ってくる…
そう、言われると、納得する…
実に、納得する…
これは、例えば、結婚していたりすれば、奥様に、接触したりするのと、同じ…
同じだ…
奥様に接触して、言葉は悪いが、うまく丸め込む…
自分の思い通りにする…
自分と、同じ意見にする…
それで、次は、奥様が、主人を説得する…
これは、例えば、家の購入でもいいし、クルマの購入でも、株の購入でも、なんでもいい…
とにかく、狙ったターゲットの近くにいる人間に取り入り、自分の意見と同じ意見にする…
そして、間接的に、ターゲット本人に、自分の考え通りに、行動させることが、できるからだ…
そこまで、考えて、思ったのは、この伸明の友人…
この五井家の若き当主の友人、知人は、そんなに、少ないのかと、言う事実だった…
私をターゲットにするほど、少ないのか?
と、思ったのだ…
が、
少し考えれば、納得する…
実に、納得する…
さっき、この伸明が言ったように、ビジネスでは、友人、知人が、いっぱいいる…
数えきれないほど、いっぱいいる…
しかしながら、プライベートでは、皆無…
誰もいないと、言うのは、歳を取れば、珍しい話でも、なんでもない…
まだ、二十代と若ければ、会社の同僚たちと、いっしょに、どこかに旅行に行ったり、休みの日に、近所で、バーベキューをしたりすることは、ある…
しかしながら、歳を取れば、だんだんと、それもなくなる…
それは、なぜか?
それは、まだ二十代のときは、独身者が、大半だから…
それが、三十代にでも、なれば、既婚者が、増える…
そうなると、どうしても、プライベートを優先する…
家族を優先となる…
また、会社の同僚と、社外で、付き合うと、ぶっちゃけ、お金もかかる…
だから、余計に付き合わなくなる…
お金を、使うならば、会社の同僚たちとの付き合いではなく、家族のために、使うからだ…
それゆえ、同じ会社にいても、歳を取れば、取るほど、付き合いが、なくなる…
そういうことだ…
そして、おそらく、それは、この伸明も、同じ…
同じに違いない…
若き五井の当主も、同じに違いない…
私のような平民と同じに違いない…
そして、そう思うと、なんだか、ショックだった…
この伸明には、申し訳ないが、これほどのお金持ちと、私が、大差ないのが、ショックだった(苦笑)…
そして、それを、思えば、今、このとき…
この伸明といっしょにいる、今、現在…
今、現在も、正直に言って、この伸明と私の違い…
これを、明確に見出すことが、できない…
おそらく、この差は、お金持ちの家庭に生まれるか、否か…
それだけの差に過ぎない…
そして、それに気付くと、この伸明には、申し訳ないが、少々、幻滅した…
やはり、この伸明のように、お金持ちは、私と違って欲しい…
私のような平民とは、違って欲しいからだ…
自分勝手な願いだが、そう、思った…
心の底から、そう、思った…
思ったのだ…




