寿綾乃という女 第4部 120
「どこから、話しましょうか?…」
伸明が、言った…
私は、緊張した…
これから、伸明が、どんな話をするか、わからないからだ…
もちろん、五井北東家の話が、中心になるのは、わかる…
が、
話というものは、予想外の展開を見せるものだからだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、伸明が、目の前で、水割りを作ろうとしていた…
私は、それを、見て、慌てて、
「…私が、作ります…」
と、言った…
それから、伸明の手から、グラスを強引に奪った…
そして、用意した氷を、トングーで、グラスに入れた…
それから、ウィスキーを、入れて、かき混ぜる…
しかしながら、不器用…
私は、不器用だった…
なにしろ、料理が、苦手…
大の苦手だ(苦笑)…
ずっと、幼いジュン君と、ナオキの食事を用意していたが、基本は、スーパーのできあいの総菜が、中心…
そんな私だから、今、こうして、水割りを作るのも、苦手…
明らかに、苦手だった…
自分でも、不器用に、水割りを作るのが、わかっている…
それでも、まさか、伸明に作らせるわけには、いかない…
男と女が、水割りを飲んで、まさか、男に作らせるわけには、いかないからだ…
まして、相手は、伸明…
五井家当主だった…
その当主に、水割りを作らせるわけには、いかなかった…
だから、私が、作ったのだが、不器用…
誰が、見ても、不器用だった…
それゆえ、伸明が、苦笑しながら、
「…寿さんって、案外、見かけに、よらず、不器用なんですね…」
と、言った…
私は、穴があったら、入りたい気分だった…
正直、こうなることは、事前にわかっていたが、それでも、やらざるを得なかった…
何度も言うように、伸明と二人きりで、水割りを飲んで、女の私が、水割りを作らざるを得なかったからだ…
私は、なんと答えていいか、わからなかったが、少し、考えて、
「…見かけ倒しです…」
と、言った…
わざと、さっき、伸明が、言った言葉を、言った…
わざと、同じ言葉を繰り返した…
「…器用に見えるだけです…私は、不器用…不器用です…」
私は、言った…
本当のことを、言った…
私は、傍から見れば、頼れて見られるらしい…
頼もしく見られるらしい…
すると、当然ながら、器用…
仕事でも、料理でも。なんでも、器用に、こなせると、思われる…
が、
そんなことは、ない…
まったくない…
現に、私は、不器用…
不器用だからだ…
伸明が、私の言葉をどう受け止めるか、見た…
あるいは、考えた…
伸明は、私の言葉を、聞くと、笑いながら、
「…じゃ、同じですね…」
と、言った…
「…同じ?…」
と、私。
「…あるいは、似た者同士…」
「…似た者同士?…」
「…互いに、見かけ倒し…中身は、空っぽ…」
伸明が、笑う…
私は、それを、見て、
…ひょっとして、今、私を口説いている?…
…この伸明は、今、私を口説いている?…
そう、思った…
そう、思うと、自分でも、自分の顔が、火照ってくるのが、わかった…
一体、いつ以来だろう?
こんな体験は、いつ以来だろう?
目の前に、男がいて、その男を男として、意識する…
男をオスとして、意識する…
そんな体験は、久しぶり…
実に、久しぶりだったからだ…
が、
それは、私だけ…
私だけだった…
伸明に変化は、なかった…
いや、
よく見ると、少しばかりだが、変化は、あった…
わずかだが、私同様顔を赤らめていた…
が、
それは、少し…
ごく少しだ…
おそらくは、訓練…
幼少期から、自分の感情を極力出さないように、自分を制御しているのだろう…
自分自身の感情を抑えるように、訓練しているのだろう…
これは、天皇陛下と同じ…
将来、地位を得るものが、むやみやたらに、自分の感情を爆発させることは、できない…
だから、抑える…
自分の感情を抑える…
その訓練をする…
伸明は、五井家当主の息子として、生を受けた…
それゆえ、将来、五井家の当主になる確率が高い…
だから、そんな教育を受けた…
教育=訓練を受けた…
私は、そう、見た…
私は、そう、睨んだ…
そして、私が、そう、思っていると、伸明が、
「…寿さん…」
と、私に声をかけてきた…
「…ハイ、なんでしょうか?…」
「…まだ、酒を飲んでもないのに、顔が、赤くなっていますよ…」
と、冗談めかして、言った…
私は、なんて、答えていいか、わからなかった…
図星!
図星だからだ…
が、
それを言えば、伸明もまた、わずかだが、私同様、顔を赤らめている…
だから、それを、指摘しようかとも、思ったが、それもまた、大人げない…
普通ならば、指摘できるのだが、それは、相手が、対等の場合…
あるいは、対等でなくても、相手が少しばかり、格上の場合に限る…
これが、伸明のように、私より、遥かに、格上の場合は、指摘でない…
もちろん、指摘できるものも、いるだろう…
が、
それは、もっと、伸明と親しかったり、あるいは、伸明と自分との差が、わからない、おバカさん…
自分と他人の差が、わからない、おバカさんだ…
が、
私もさすがに、そこまで、バカではない…
だから、言えなかった…
伸明が、私同様、少しばかりだが、顔を赤らめた事実を指摘できなかった…
が、
それでも、嬉しいことがある…
それは、明らかに、伸明が、この瞬間、私を異性として、意識したこと…
私を明らかに、女として、意識したことだ…
これまでは、そんな場面は、あまり、なかった…
出会った当初は、ともかく、その後、二人きりになっても、伸明が、私を女として、意識したことは、なかったと、思う…
だから、嬉しかった…
内心、嬉しかったのだ…
私が、そんなことを、考えていると、伸明が、
「…飲みましょう…」
と、突然、言った…
まるで、今、あったことを、隠すように、言った…
これは、もしや、照れ隠し…
そうも、思ったが、何度も言うように、それを追求することは、できない…
それゆえ、私も伸明に合わせて、
「…飲みましょう…」
と、言って、グラスを掲げた…
そして、お互い、グラスをカチッと合わせた…
まるで、儀式…
これから、始まる儀式のようだった…
お互いが、グラスをカチッと合わせてから、グイっと飲んだ…
二人とも、遠慮なく、飲んだ…
一気に、グラスの中身を全部、飲み干した…
実は、私も、当初は、グラスの中身を全部、飲み干すつもりは、なかった…
が、
目の前の伸明を見ると、おいしそうに、ゴクゴク飲んでいる…
それを、見て、私も遠慮なく、飲んだ…
しかしながら、一気にグラスの中身を飲み干した伸明が、笑いながら、
「…ホントは、こんなに、一気飲みする気はなかったんですが、寿さんを見ると、一気飲みするから…」
と、言う…
私は、その言葉を聞いて、仰天した…
同じ…
私と同じだ…
それゆえ、一瞬、言っていいか、どうか、迷ったが、
「…同じです…私も同じ…」
と、言った…
「…同じ…なにが、同じなんですか?…」
と、伸明。
「…私も同じ…伸明さんが、一気飲みされているのを、見て、これは、私も、飲まなければ、ならないと…」
と、私。
それを、聞いた伸明が、爆笑した…
「…同じ…同じです…」
と、爆笑した…
「…二人とも、同じ…同じの負けず嫌い…」
と、笑った…
「…互いに、見栄えは、他人様より、ちょっといいが、中身は、空っぽ…」
と、笑った…
実に、楽しそうに、笑った…
「…要は、二人とも、見かけ倒し…これが、共通している…」
伸明が、笑う…
実に、楽しそうに、笑う…
そして、こんな伸明を見ると、私も、笑えた…
私も、また、楽しくなった…
ホントは、私の悪口を言っているのだが、楽しくなった…
なにより、伸明自身、自分の悪口を言っている…
自分自身を卑下している…
だから、怒るわけには、いかない…
いかに、自分の悪口を言われても、怒るわけには、いかなかった…
伸明は、笑いながら、私を見た…
が、
やはりというか…
心の底から笑っているわけでは、ない…
その証拠に、私を値踏みするような視線を、一瞬だが、することが、あった…
私は、その視線を見て、おおげさに、言えば、背筋が、凍った…
こんな場面にも、かかわらず、
いや、
こんな場面だからだろう…
自らが、ピエロとなって、自分自身を笑いものにしながら、相手が、どういう態度を見せるか、調べている…
そう、思ったからだ…
さすがに、油断できない…
この諏訪野伸明は、油断できない…
あらためて、思った…
思ったのだ…




