寿綾乃という女 第4部 118
伸明に呼ばれて、伸明の自宅に行ったのは、それから、まもなくだった…
伸明から、自宅に、招待された…
正直、内心、躊躇した…
あんなお屋敷には、もう一歩も、足を踏み入れたくなかった…
それは、なぜか?
それは、率直に言って、身分差…
身分差を痛感するからだ…
江戸時代でも、なんでもないのだから、身分差と言えば、大げさ過ぎると、考えるものも、いるかも、しれないが、まるで、江戸時代の大名屋敷ではないが、あまりにも、大きな家を見ると、自分との身分差を痛感する…
嫌というほど、痛感する…
なにしろ、私は、貧乏…
子供時代は、貧乏だった…
シングルマザーの母と二人きりだったのだから、当たり前だ…
シングルマザーで、恵まれた生活をしているものなど、普通は、いないだろう…
どうしても、年収は、同世代の男より、劣る…
女だから、劣る…
それが、一家の大黒柱なんだから、当然、他人様より、収入が少ない…
それでは、他人様より、良い暮らしが、できるはずが、ないからだ…
そして、当時は、そんなことは、考えなかった…
これっぽっちも、考えなかった…
が、
大人になって、豪邸を目の前にすると、つくづく考える…
自分の生まれを考える…
そして、身分の違いを考える…
普通、誰もが、そういうものだ…
もし、こんな大豪邸を見て、なにも、感じなければ、それは、おかしい…
なにも、感じない人間の方が、おかしい…
それを、思えば、ずっと、以前、まだ会社が、小さなとき…
FK興産が、小さかったとき…
学歴の低いものが、入ってきたことがある…
まだ、会社が、小さかったから、学歴が、低くても、入れたからだ…
高卒で、偏差値も低い高校からも、入れたからだ…
そして、そのひとは、自分より、偏差値が、高いひとたちと、いっしょに仕事をしても、自分が、劣っているとは、考えなかった…
これっぽっちも、考えなかった…
それは、当人が口にせずとも、傍から見れば、わかる…
第三者でも、わかる…
理由は、単純…
頭を使う仕事ではなかったからだ(苦笑)…
だから、自分が、周囲の人間と比べて、劣っていることが、わからない…
ここで、なにを、言いたいかと言えば、比較…
例えば、街中で、お金持ちの伸明といっしょにいても、自分は、伸明に比べて、劣っているとは、思わない…
伸明は、長身のイケメンだが、私も、ルックスに自信があるからだ…
だから、負けているとは、思わない(爆笑)…
しかしながら、伸明の実家を見れば、完敗…
あっけなく完敗する…
私の育った家と、比較する対象ではないからだ…
それと、同じで、さっき、例に挙げた高卒のひと…
いっしょに、仕事をする限り、コンプレックスを感じることは、ないかも、しれない…
が、
やがて、歳を取り、周囲の状況が、少しは、見えるようになれば、大抵は、自分から、辞めてしまう…
周囲が、高学歴ばかりになると、仕事は、ともかく、話についていけない…
周囲の人間との雑談についていけない…
話題が、異なるからだ…
例えば、偏差値65の高校に通った者と、偏差値40の高校に通った者が、仲良くできるかと、言えば、正直、難しい…
頭が、違うから、話す話題が、違う…
興味のあることが、違う…
だから、話が合わない…
そういうことだからだ…
現に、さきほど、言った高卒のひとも、いつのまにか、いなくなった…
会社が、大きくなり、周囲の人間が、偏差著の高い大学出身者ばかりになると、話が、合わなくなる…
会社が、小さなときは、同じように、偏差値の低い、高卒のひともいたが、会社が大きくなるにつけ、周囲が、偏差値の高い大卒ばかりになる…
それでは、周囲の人間と話が、合わないし、将来の展望も、開けない…
結果的に、自分から、辞めてゆく…
それが、大半だ…
まあ、自分から、辞めなくても、大抵は、今度は、会社の方から、リストラ宣告される…
だから、ハッキリ言えば、自分から、辞めるか? 会社から、クビ宣告されるのかの、どちらか?
卵が先か、鶏が先かの、議論と、同じだ…
私は、そんなことを、考えた…
伸明の住む、豪邸を見ながら、なぜか、そんなことを、考えた…
理由は、簡単…
ただのコンプレックスだ…
伸明といっしょにいるときは、感じないが、伸明の住む、この豪邸を見ると、感じる…
当たり前のことだ…
だから、それは、今、例に挙げた、高卒のひとと、大卒のひととの差と同じ…
同じだ…
そして、同時に、考えた…
今日、もしかしたら、伸明が、私を自宅に招いたのは、私と伸明の差を見せつけるため?
そう、思った…
まさかとは、思うが、そう、思った…
…こんな、大豪邸に住む、ボクが、アンタを口説いているのに、少しも、なびかない…
そう、言いたいのかも、しれない…
要するに、男が、女を口説くのに、良いクルマや、良い家を見せて、口説く…
バブル時代のやり口だ(爆笑)…
非常に、わかりやすい、やり口だ…
私は、伸明から、送迎用に派遣された、クルマから、降りながら、考えた…
そんなバカなことを、考えた…
なにより、今日、伸明から、この大豪邸に、招待されても、当然、自宅には、伸明ひとりではない…
数人のお手伝いさんが、いる…
通いか、この豪邸に住んでいるのかは、わからない…
しかしながら、誰が、考えても、伸明ひとりでは、この大豪邸を、掃除するのも、無理だろう…
ひとりでは、とても無理…
だから、数人の家政婦がいる…
それでも、昔に比べれば、小規模…
昔のお金持ちに比べれば、規模が、小さい…
戦前の岩崎家…
三菱の岩崎家の屋敷をネットで、写真を、見たことがあるが、まるで、今の博物館のような建物に、住んでいた…
しかも、驚愕するのは、そこに、住んでいるのは、二十名を超える人数…
しかも、
しかも、だ…
肝心の岩崎家の家族は、4人だけ…
にもかかわらず、総勢、二十名を超える人数が、その博物館のようなお屋敷で、生活している…
今では、ありえない話…
ソフトバンクの孫や、楽天の三木谷も、まさか、そんな生活は、していまい…
まさに、時代…
時代だ…
戦前は、そんな金持ちが、それなりにいたのだろう…
明治、大正、昭和の前期は、そんなお金持ちが、いたのだろう…
が、
今は、皆無…
誰もいない…
おそらくは、税制…
戦前の日本と、今の日本では、税制が、異なって、お金持ちといえども、多額の税金が、取られて、戦前のような生活ができないのだろう…
それが、差…
戦前と、令和の今との差だ…
私は、思った…
私は、考えた…
そして、そんなことを、考えながら、日本庭園を歩き、お屋敷の玄関に着いた…
そこには、当たり前のように、伸明が、待っていた…
私を、待っていた…
これでは、まるで、お姫様…
私は、お姫様になった気分になった…
当たり前だが、私は、今日、伸明に招待されただけ…
にもかかわらず、ふと脳裏に、そんな言葉が、よぎった…
伸明は、私を迎えながら、
「…寿さん、今日は、わざわざ、来て頂き、ありがとうございます…」
と、私に頭を下げた…
私は、そんな伸明を見て、
…これが、生まれの差かも…
と、思った…
変に、へりくだるわけでもなく、自然と、相手に頭を下げることができる…
これが、生まれの差なのか、と、思う…
正直、私なら、
「…どうだ! オレは、こんな凄い、屋敷に住んでいるんだ! オレって、凄いだろ!…」
と、言葉にはせずとも、態度に出すところだ…
が、
当然、目の前の伸明には、それはない…
あれば、気付く…
簡単に、気付く…
私は、
「…お久しぶりです…今日は、ご自宅に、招いて頂き、ありがとうございます…」
と、丁寧に腰を折って、伸明に挨拶をした…
伸明は、そんな私を見て、
「…いえ、今日、寿さんを、お呼びしたのは、ボクです。こちらこそ、ありがとうございます…」
と、私以上に、腰を深く曲げて、私を迎えた…
おそらくは、これは、生まれ…
生まれの差なんだろう…
丁寧に腰を折って、私を迎える姿の、どこにも、嫌味を感じない…
あくまで、自然…
行動が、自然なのだ…
とてもではないが、私では、こうは、いかない…
行動のどこかに、自慢気な姿が、現れる…
どうだ!
オレって、凄いだろ!
アタシって、凄いだろ!
という態度が現れる…
しかし、伸明にそんな態度は、微塵も見られない…
これが、差…
生まれの差…
伸明と、私と絶望的までの差…
そう、私は、思った…
私は、考えた…
私が、そんなふうに、伸明を見ていると、伸明が、不思議そうに、
「…寿さん、なにを、見ているんですか?…」
と、穏やかに、聞いてきた…
私は、一瞬、悩んだが、
「…こんな、凄い豪邸に、私が、招かれるなんて、まるで、夢のようで…」
と、言った…
わざと、言った…
わざと、おおげさに言った…
それを、受けた伸明が、笑いながら、
「…住んでいる家が、大きなだけで、そこに住む人間は、平凡…まったくの凡人です…」
と、言った…
それゆえ、私は、
「…凡人?…」
と、返した…
あまりにも、意外な言葉だったからだ…
「…大きな家に住む凡人です…」
と、伸明が返した…
次いで、
「…ボクの能力とは、なんの関係もありません…」
と、笑った…
「…いわば、見かけ倒し…寿さんも、それに、気付いているでしょ?…」
そう、言われると、なにも、言えなかった…
文字通り、なにも、言えなかった…
たしかに、伸明は、長身のイケメン…
おまけに、お金持ちだ…
が、
それを、除けば、どうか?
取り立てて、優れたところはないと、言えば、言い過ぎだが、これは、優れていると、感じたこともない…
学歴は、高いのだろうが、普通…
普通だ…
おそらく、それを、言えば、ナオキの方が、優れている…
私の事実上の夫の藤原ナオキの方が、優れている…
それは、なぜか?
それは、ナオキは、ゼロから、会社を立ち上げたから…
目の前の伸明は、ナオキとは、比較にならないほどのお金持ちだが、それは、親から受け継いだもの…
自分の努力では、ないからだ…
自分の成功では、ないからだ…
それゆえ、私が、なんと、言っていいか、悩んでいると、伸明が、笑いながら、
「…これは、返答に困る質問をして、すいません…」
と、詫びた…
同時に、すぐに、お世辞でも、いいから、
「…そんなことは、ありませんよ…」
と、言えない自分に、悔いた…
32歳になっても、そんなお世辞一つ言えない自分に、悔いた…
が、
私の思いとは、真逆に、伸明は、
「…寿さんは、お世辞がないからいい…」
と、笑った…
「…そんなこと、ありませんよ…」
と、誰もが、言うお世辞が、ないから、いいと、笑った…
その言葉を聞いて、
…見抜かれた!…
と、思った…
私の心の内側を見抜かれたと、思った…
私が、伸明の能力を買っていないことを、見抜かれたと、思った…
思ったのだ…
所詮は、お金に惹かれて、ここに来た女だと、見抜かれたと、思った…
が、
それも、また、誤りではない…
だから、率直に、言って、誤解でも、なんでもない…
しかしながら、誤解でも、なんでもないから、困る…
困るのだった…




