第一章 クロエとハルト(三)
「動くな!」
兵隊たちの声が、神殿にビリビリと響いた。
「貴様!ヴァレンタイン家の者か!」
「いかにも!」
先頭にいた、大きな鎧の男が叫んだ。背が高くて、肩幅も広くて、まるで壁みたいな体つきだ。
「クロエ・ヴァレンタイン様の名の下に!全員、その場に降伏しろ!」
「クロエ…?」
僕は、思わずその名前を繰り返していた。
(…少なくとも、日本人の名前じゃない。さっきから飛び交ってる言葉はぜんぶ、わかるのに!僕は、何に巻き込まれてるんだ!)
叫びたかったが必死に堪えた。
でも、さっきまで僕に刃物を突きつけていた男たちはみんな扉の方を向いている。
(チャンスかもしれない!ここから逃げ出せれば…)
そう思った時だった。
ずらりと並んだ兵隊たちの、ちょうど真ん中の隊列が静かに割れた。
兵たちが道を空けて、一人の少女が、ゆっくりと歩み出てきたのだ。
(なんだ…?)
僕は、みんなの視線の先を追って、息を呑んだ。
それは、深紅のドレスを着た少女だった。
(なんだ、あんな子、見たことがない。すごく、綺麗な…)
月の光みたいな、白銀の髪。歳は僕と同じか、少し下くらいだろうか。
陶器みたいに白い肌。瞳は、淡い桃色。見たことのない不思議な色だった。
でも、不思議だった。
彼女はまるで、この場にいないみたいな雰囲気を纏っている。
周りの視線を、まったく気にしていない。
いや、気にしていないというより「どうでもいい」と思っているような。
その無関心さが、かえって彼女を、もっと不思議な存在に見せていた。
「ここで非合法な儀式が行われていると、密告があった」
しんと静まり返った神殿を見渡して、少女が口を開いた。
威圧的な声だった。僕は少しびっくりして、彼女をまじまじと見つめてしまった。
「見たところ、それは合っているようだな。人間の血を使って何をしていた?私の命を蝕む呪いの儀式でも行っていたのか?」
「黙れ!」
沈黙を破ったのは、儀式の中心にいた男だった。
「何が非合法だ!我々のやっていることこそが、正しい行いなのだ!」
男が叫ぶと、それに煽られるように、周りの取り巻きたちも口々に彼女を罵りはじめた。
「ヴァレンタイン家が諸悪の根源なのだ!」
「お前の命さえ奪えれば!この国に、平和が訪れるのだぞ!」
汚い言葉が、彼女に向かって投げつけられる。僕は、思わず身をすくめた。
しかし、それを聞いた彼女の反応は意外なものだった。
桃桃色の瞳がすっと細められ、唇が弧を描く。
(え?わ、笑ってる!?)
僕は息を呑んだ。彼女は男たちを見据えて、笑っていた。
「くだらない。これが大貴族どものすることか」
ゆっくりと周りを見渡して、彼女は鼻で笑った。
「毎回毎回、ご苦労なことだ。お前たちのくだらない企みなんかに、構っている暇はないというのに」
何気ない言葉だった。
でもなぜだか、ひどく疲れたような色が滲んでいて、僕はそこに少しだけ引っかかりを覚えた。
「時間の無駄だ。取り押さえろ」
そう思った僕の考えを遮るように、少女が、すっと右手を上げて、兵隊たちに合図を送った。
兵たちが、いっせいに動く。一斉にその場を制圧しにかかろうとした。その時だった。
ドン、ドン!
鈍い音がして、光が兵たちの体を貫いた。
銃声とも違う。もっと低くて、もっと不気味な音だった。
「うっ…!」
光が触れた瞬間、兵たちは糸の切れた人形みたいに、その場にぐにゃりと崩れ落ちた。
(…なんだ、あれ!)
撃ったのは、儀式の男たちの中の一人だった。その手には、見たことのない道具が握られている。
丸い筒の先っぽが、青白く、不気味に光っていた。
(銃に似てるけど、形が違う!傷もないし、血も流れてない。なのに、体の大きな男たちが、あんなに簡単に…)
物理的に、あり得ない。傷一つつけずに、人が、こんなにあっさり倒れるなんて。
(魔法…?)
もう、そうとしか説明がつかなかった。
教室で、あくびをしながら聞いていた世界史の授業。あの延長線上に、こんなものがあるわけがない。
僕は確信した。ここは自分の知っている世界じゃないんだ。
「クロエ様をお守りしろ!」
少女の護衛らしき男たちが、慌てて前に出る。
腰から長剣を引き抜いて、彼女の盾になるように立ちはだかった。
「そんなものが、通用するか!撃て!」
黒ずくめの男の一人が叫んだ。途端に、あの不気味な光が、いくつも走る。
「魔刻銃だ!」
「きゃああああ!」
「逃げろ!」
もう、神殿の中はパニックだった。
見物していた人たちが、我先にと、出口に向かって走り出す。
誰かが誰かを突き飛ばし、転んだ人が踏まれて、悲鳴と怒号が渦を巻く。
(僕も逃げなきゃ。でも、あの女の子は!?)
僕はクロエと呼ばれた少女の方を見た。
護衛は、彼女を守るように立ち塞がっているが、ほとんど倒れてしまっている。
(何してるんだ! 早く逃げろ!)
クロエ本人は、逃げなかった。黒ずくめの男たちに取り囲まれても、その場に、じっと立ったまま。
動こうともしない。まるで、そうなることを、最初から知っていたみたいに。
「これで終わりだ!クロエ・ヴァレンタイン!」
黒ずくめの男たちが、彼女に近づいていくのが見えた。




