第一章 クロエとハルト(二)
僕の手は、真っ赤な血で濡れていた。
「うわっ、うわあああ!なんだこれ!」
思わず叫んでしまった。
(なんで!?さっきまで、世界史の授業を受けていたはずなのに…)
眠くてあくびをして、先生の声を聞きながら、うとうとしていただけだった。
落差に頭がついていかない。
しかも、この血がなんの血なのか、僕には全然わからなかった。
(誰の血だよ!どこから出たんだ!なんで僕の手についてるんだ?)
考えれば考えるほど、背中がぞわぞわして、吐きそうになる。
「お前…その姿は…」
その声にハッとした。今まで気づかなかったけど、離れたところに人間が立っていた。
(誰なんだ…?もしかして、壁際にいるのはみんな人なのか?)
目を凝らすと、ぐるりと周りじゅう人だらけだった。三十人、いや、四十人くらいはいるかもしれない。
年老いた女の人も、若い男もいる。まるでスポーツの試合でも見物するみたいに、みんなが僕を好奇の目で眺めていた。
「どうなっている!」
「儀式は失敗だ!」
ポカンとする僕など視界にも入っていないようだ。民衆たちが口々に叫んだ。
(儀式?今、儀式って言ったのか?)
わけがわからないまま、僕は必死に頭を回した。でも、状況が全然追いつかない。
驚いているのは、僕だけじゃないらしい。というか、僕以上に、この人たちの方が動揺しているように見えた。
(失敗ってことは…僕がここにいるのは、よくない気がする…!)
僕は思わず立ち上がっていた。一刻も早くここから離れたい、その一心で。
でも、それが間違いだったと、すぐに気づいた。
「止まれ!どこへ行く!」
それを見た男たちの顔が、驚きから怒りに変わったからだ。
「お前のような者が、邪魔をしていい儀式ではない!」
「!」
次の瞬間、僕の目の前に刃物が突きつけられていた。
(なんだこれ!)
それを見て、僕は動けなくなってしまった。
「待ってください!僕は何も…!」
「黙れ!」
この人たちにとって大事なのは儀式とやらが失敗したことだけらしかった。
血走った目で僕を睨んでいる。
「お前が責任を取れ!」
「今日のために、我々がどれだけ準備をしてきたと思っている!」
殺気立った声だった。
(なんなんだよ、この人たち!全然話通じないじゃん!)
同じ言葉を喋っているはずなのに、大事にしているものが、根っこから違うみたいだ。
絶望感に、足がすくんだ。
(どうしよう、逃げなきゃ!このままじゃ、本当に…)
頭の中が真っ白になってしまった。足が石みたいに固まって、一歩も動かない。
でも、その時だった。
「動くな!」
怒鳴り声が、神殿いっぱいに反響した。
僕へ向けられたものではなかった。
僕に刃物を突きつけていた男たちが、今度はいっせいに奥の扉の方を振り返る。
「まさか…!」
何十人もの金属のこすれる音が、扉の外から聞こえた。
鎧のがちゃがちゃ鳴る音が、四方八方から重なっている。
「ヴァレンタイン家の私兵だ!」
誰かがそう叫ぶと同時に、扉が開かれて、大勢の兵士が神殿の中へ傾れ込んできた。




