第一章 クロエとハルト(一)
視界が二重になって、それから三重になった。
黒板の文字がぐにゃっと揺れて、三つに分裂する。
(うわあ、やばい…)
そう思ったけど、もう止められなかった。
ここは、自分が通っている高校の教室。今は、お昼休み前の世界史の授業だ。
先生の声が遠くの方で聞こえる。中世ヨーロッパがどうとか、封建制度がどうとか。
でも、聞こえてはいるけど、全然頭に入ってこない。
(そりゃ、真面目に聞きたいよ。聞きたいけど…)
眠さには勝てなかった。昨日の夜、ちょっと夜更かしをしてしまったのだ。
(昨日は、クラスのメンバーと遊びに行って、そのあとはファミレスでだべって。楽しかったなあ。みんなで撮った写真も、なかなかいい感じに撮れてたし。)
で、僕はそれをSNSに載せようと思ったんだ。
「えっと、衛藤と佐々木に確認しなきゃ…」
関係者全員にメッセージを送らなきゃいけない。一人一人に。
みんなの顔が、ぼんやり浮かんでは消える。
「真壁くんってば真面目すぎ、勝手に載せればいいじゃんww」
「遥斗って細かいよな!誰も見てないから気にしないって!」
遅くまで連絡したのに、返ってきたのはそんな返事ばかりだった。
(そんなズレてること、言ってるかな)
僕はいつもそんな感じだ。
言われるたびに、なんだかモヤモヤする。
(別に、当たり前のことをしてるだけなのに…)
むくれながらも、でも、それだけは譲れなかった。
(やっぱりちゃんと許可を取らないとダメだろ。誰かが嫌な思いをするかもしれないし…)
そんなことを思っていると、周りの音が、ゆっくりと遠ざかっていった。
先生の声がうっすらとしか聞こえない。チョークの音が遠くから聞こえる。
うとうとして、頭がぼーっとして。
そして。
「…は?」
目を開けた瞬間、そこは見たこともない場所だった。
(なんだ、ここ!?)
高い天井。首が痛くなるくらい見上げても、薄暗くてとても見えない。
周りには、太い石の柱が何本も並んでいる。そのどれもに、細かい文字みたいな模様が刻まれていた。
正面には祭壇みたいなものがある。どこかで見たな、と思った。教科書だ。
(世界史の教科書に載ってた、古い神殿。あれにそっくりだ。)
僕は地面にへたり込んでいた。腰が抜けたみたいに石の床にぺたんと座り込んでいる。
手をついて体を起こそうとして気づいた。
(手のひらが濡れてる?)
なんだろう、と思って、そっと手を持ち上げた。指の間から、赤いものがしたたり落ちた。
血だった。
僕の手は、真っ赤な血で濡れていた。




