プロローグ
「その時は、私を——してくれないか?」
最後のところが聞こえなくて、僕は思わず振り返った。風のせいかもしれない。それとも、僕の耳が悪かったのかもしれない。
でも、「なんて言ったの?」と聞き返そうとして、なんとなく言葉に詰まってしまった。クロエがわざと、そこだけ声を小さくした気がしたからだ。
(なんか、そういうところあるよな。)
付き合いはまだ短いけど、僕にも段々わかってきていた。彼女はわざとこっちが困るようなことを言って、様子を伺うのだ。僕はじっと彼女の顔を見た。
雪みたいな、きれいな銀の髪。長さはバラバラで、毛先が軽くはねてる。現代風に言うなら、ウルフカットっていうのかな。瞳は桃色だった。こんな色の目、僕は生まれて初めて見た。この世界ではこれは普通なのかもしれない。
「ごめん、聞こえなくて。今なんて言ったの?」
「…いや」
クロエは満足そうに笑って、僕を見上げた。ちょっと勝ち誇ったような、悲しそうな、複雑そうな顔だった。彼女の背は小さい。僕より頭ひとつぶんくらい低い。たぶん十四歳くらいだと思うんだけど、そのわりに妙に大人びていて、子どもっぽさがない。
「なんでもない。またこの話は、改めてしよう」
僕が何かを言う前に、彼女はそう言って、部屋の中へ帰っていった。ドレスの裾が揺れて、扉の向こうに消える。広いバルコニーに、僕だけが残されてしまった。
(なんだよ、いつも思わせぶりなことばっかり言って)
夜の風が、冷たく吹きつけてくる。さっきまで二人でここに立って話してたのに、急に一人にされると、やっぱりちょっと寒い。
公爵家っていうだけあって、この家はとにかく広すぎる。バルコニーだけでも、うちの学校の教室くらいある。まだ全然慣れないな、と僕は思った。
そして、ぼんやりと思い出す。なんの変哲もない、日本の高校生だった僕がこの世界に来た、あの日のことを。




