<9> 魔法研究所の美しき魔法使いと、禍々しい鑑定結果
ポルト王国魔法研究所――
ポルティガ城をめぐる濠の外側に、政治を司る様々な建物が立ち並ぶ一角がある。魔法研究所の建物があるのも、その並びだった。
騎士館のさらに外側であり、徒歩でもそれほど遠くはない。
ウィンはガルシア隊長の部屋を出て、その足で魔法研究所までやってきていた。
塀に囲まれ、刈り揃えられた芝生の庭園の先に、瀟洒な3階建ての建物が静かに佇んでいる。
敷地内に足を踏み入れると、王都では珍しい濃い草の匂いに、少しだけ目を閉じる。
魔法研究所はその性質上、入館のための受付がある。受付があるところは大きなホールになっており、壁には歴代の大魔法使いの肖像画が並んでいる。
受付に行くと、顔なじみの職員が「アリス・フェアフィールド様とのご面会ですね」と勝手を知っている流れで訊いてくれる。
「ウィン・カークライト様がお見えです」
受付の職員は、花が開いたような形状の魔道具に話しかける。
しばらくしてから、「あら、ウィンちゃんが来たのね。いいわ、通してちょうだい」という艶っぽい女性の声が、その花のような魔道具から聞こえてくる。
「どうぞ、中へお入りください」
顔色ひとつ変えずに、受付の職員が言う。ウィンちゃんという言葉は、聞いていないことになっているのだろうか。
「……ありがとうございます」
少しだけ照れ臭さを感じながら、軽く会釈して奥へ進む。
(3か月ぶりくらいだな……)
一階の廊下をまっすぐに進み、突き当りを左に曲がった後、地下に向かう広い階段を降りていく。
魔法研究所の建物は3階建てのよくある外観であるが、施設の大半は地下にある。
魔法というデリケートなものを取り扱う研究所だけあって、多くの部屋が地下に広がっている。
地下1階の窓のない廊下をしばらく歩く。窓がないせいか、自分がどのあたりにいるのかよく分からなくなる。ちょうど中庭の真下あたりだろうか。
アリス・フェアフィールドの研究室の扉の前に立つと、軽く二度ノックをする。しばしの沈黙の後、部屋の向こうから、どうぞ、入ってちょうだいという声が聞こえる。
使い込まれた真鍮のドアノブをかちゃりと回して、部屋の中に入る。
アリス・フェアフィールドは本棚の前に立ち、分厚い魔導書を開いていた。静かに本を閉じ、ゆっくりとこちらを振り返る。肩よりも少し長い茶色の髪が揺れ、知的に光る黒い瞳がウィンを愛しげに捉えた。
「随分と久しぶりね。用事がなくても顔を出しなさいっていつも言っているでしょう」
それほど広くない研究室の中は、乾いた薬草の匂いと名前のわからない花の香水の匂いがする。
アリスのつけている香水の匂いだ。
「……俺も子供じゃないんだ。最近は仕事がまあまあ忙しい」
「あら、昼行灯のウィンちゃんらしくないわね。まあ、もう少しで開港祭だから、さすがのウィンちゃんもさぼれないのかしら」
アリスはそう言うと、ウィンに向かって微笑みかける。
ウィンがまだ<魔の森>でホロウと一緒に暮らしていた頃、ホロウの弟子だったアリスは、何度か<魔の森>の小さな家を訪れることがあった。
ウィンがはじめて会ったのはおそらく5歳くらいの頃だったはずだ。
いまから20年前になる。どうしてなのかわからないが、アリスは幼い頃に出会った時の印象のまま、ほとんど変わっていないように見える。
それがアリスがポルト王国一の魔法使いだからなのか、違う理由なのかウィンにはよくわからない。
聞いてもはぐらかされるし、きっと教えてもらえない。
アリス・フェアフィールドはそんな謎めいた女性だった。
「アリスの部屋はいつも片付いているな」
部屋を見回しながら、ウィンが言う。ウィンが見たことのある他の魔法使いの研究室は、足の踏み場もないほど散らかっていた。
それと比べてアリスの研究室は整然と片付けられており、来客用の4人掛けのテーブルには、花柄のテーブルクロスがかけられている。
「ハーブティー、飲むでしょ」
ウィンの返事を待たずに、アリスは魔導コンロの前に移動している。
すらりと背が高く細いアリスは、他の魔法使いのように体の線の見えないローブを羽織っていない。薄手の生地で体の線がよくわかるワンピースタイプのシンプルなドレスを着ている。アイボリー色の光沢のある生地に、白いレースのシアーな短丈のカーディガンを羽織っている。
その格好のせいか、魔導コンロの前に立ってハーブティーの準備をしてくれる所作は、まるで貴族の奥方であると言われても疑問は抱かなかっただろう。
「忙しいところ悪いな」
「大丈夫よ。ウィンちゃんの訪問はいつでも歓迎。だって、ウィンちゃんの持ってくる案件はいつも興味深いものばかりなんだもの。さあ、今日はどんな素敵な案件を持ってきてくれたのかしら?」
いたずらっぽい少女のような表情で、アリスはゆっくりと微笑んで見せるのだった。
「これを見てほしいんだ」
アリスが淹れてくれたハーブティーを一口飲んだ後、ウィンは軽鎧の内側から、小さな麻袋を取り出す。
麻袋の紐を外して、中から真紅の宝石のついた<赤いネックレス>を取り出す。
微笑みを浮かべながらウィンを見ていたアリスが、一瞬表情を曇らせる。
「……魔道具ね。しかも、随分と年代物」
「これがどんな魔道具なのか調べてほしい」
「出どころは?」
「聖心教会のシスターから預かった」
ウィンの返事に、アリスは目を細める。
「帝国の出先機関と言われているあの聖心教会」
「ああ。だから何の魔道具なのかを調べたいんだ」
ウィンは言う。聖心教会は帝国発祥の教会の宗派の一つで、各国に教会を有している。ポルティガの街にも立派な教会があり、信徒も多い。
ただ、聖心教会と聞いて帝国を思わず連想するくらいには、名の知れた宗派だった。各国の聖心教会には、帝国の諜報部隊が配置されているという噂もまんざら嘘ではなさそうだった。
「ちょっと借りてもいいかしら?」
アリスが手を伸ばし、ウィンはその手にネックレスを置く。アリスの色白の華奢な手の平の中で真紅の宝石が昏く輝き、ウィンの手から冷たい宝石の感触がなくなる。
アリスはゆっくりと手の平を閉じて、ネックレスを手の中で握る。
アリスは何かを呟き、目を閉じる。ウィンはアリスのその動きにどこか見惚れながら、そのまま様子を伺う。
「……これは、大分、厄介な代物だわ」
アリスがその美しい顔を歪めながら言う。
「もちろん、具体的に何を引き起こす魔道具かはわからない。ただ……編み込まれている術式の性質は『破壊』や『干渉』に近いわね。それも、広範囲に影響を及ぼすような……相当高い魔力を有する、禍々しいアーティファクトだわ」
アリスの言葉に、ウィンは天井を仰ぐ。
拉致されそうなシスターを身を挺して助けただけなのに、ソフィアに「何も聞かずにこれを預かってください」と禍々しいアーティファクトを渡された。
(一体、俺が何をしたって言うんだ……)
ウィンはそう小さく呟くと、長いため息を吐く。
アリスは、そんなウィンを年の離れた弟を見るように見つめる。
「さて、ウィンちゃんは、この魔道具をこれからどうするのかしら?」
ウィンは冷めかけたハーブティーを飲み干して、立ち上がった。
「――決まってるだろ。持ち主に話を聞きに行くさ」
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