<36> ウェスカ砦到着と、アッシュとエヴァの過去
――11月6日、20時。ウェスカ砦、大広間。
重い空気が張り詰めていた。ヴァレンス砦の大広間よりさらに広いウェスカ砦の大広間は、やはり窓がなく薄暗い魔導ランプの照明に淡く照らされている。
「……そうですか。ホッパー隊が時間を稼いでくれたんですね」
ウィンの説明に、ヤンは視線を落とす。第15隊の兄貴分であるホッパーと、ホッパー隊と呼ばれる気のいい隊員たちの顔が思い浮かぶ。
ホッパー隊はいつだって陽気だった。ヤンが難しい仕事を割り振るたびに、仲間たちで軽口を叩きながら、しっかりとこなしてくれた。街の人に愛されていたホッパー隊。
ヤンは、黙ったまましばらくの間、俯いたままでいた。
ガルシアたちヴァレンス砦から撤退してきた者たちは、18時過ぎには全員がウェスカ砦に入ることができた。皆には食堂で温かい食事が振舞われ、部屋などが割り当てられた。
ようやく人心地つけた者の中には涙する者もおり、張り詰めていた糸が切れてしまったかのようだった。
「帝国軍には、三大将、炎のイヴァースがいた」
ウィンがヤンに伝える。イヴァースは開港祭事変のときに、ポルティガにいた因縁の相手である。
帝国三大将の1人として、大陸にその名が轟いている勇猛な将軍だった。
「炎のイヴァースですか……帝国の本気度がわかりますね。開港祭事変が失敗したから、イヴァースとしては何としても今回の侵攻は成功させたいでしょうね」
「ふざけるんじゃねえっ!!」
ふいに大きな叫び声が響き、ウィンたちは声の方を見る。そこにはガルシアがいて、小柄な文官の衣装を着た男に向かって怒鳴っていた。さらには殴りかかろうとしていたが、他の隊員たちに押さえつけられている。
ウィンたちは急いでガルシアの元に駆け付ける。
「どうしたのですか?」
ヤンが顔から湯気が出そうに興奮しているガルシアと、森で大熊に出会った村人のように青ざめている男を交互に見て尋ねる。
男は光沢感のある青色の文官服に、光を浴びて輝く帽子をかぶっている。小柄なため、帽子がやけに大きく見える。
「こいつが、これでも援軍は出せねえって言いやがるんだ」
ガルシアは、必死に押さえつけている第15隊の隊員を振り払う勢いでそう叫ぶ。
「――トマス・ペレス大臣。援軍を出せないというのは、どうしてですか? 相手は帝国の9,000人の大兵団で、ウェスカ砦は――エルヴィラ隊長、現在このウェスカ砦の兵力は何名ですか?」
ヤンは大臣の隣にいるエルヴィラに向かって訊く。
「ヴァレンス砦から脱出してきた約400人を入れても2,000人といったところだね」
「なるほど。9,000人対2,000人。それでも大臣は援軍を出せないと言うのですか? ウェスカ砦が抜かれたら、ポルト王国が蹂躙されるんですよ? それでも援軍が出せない理由をぜひ教えていただけますか?」
普段よりも丁寧にヤンが言う。慇懃無礼といった印象が正しいのかもしれない。
「い、いまポルト王国では、各地で魔物がきょ、凶暴化しておる。民を守るために騎士隊や兵士たちを各地に回しとるんじゃよ。つまり、ウェスカ砦に割ける人員はないのだ。私も心苦しくはあるのだ。ただ、民を守るためなのだから、仕方がないであろう」
雨に打たれた子犬のように、ペレス大臣が言う。
「ウェスカ砦が陥落したら、魔物の凶暴化どころじゃないことになりますよ。想像力はあるのですか?」
ヤンは重ねて言う。丁寧な物言いが、かえってヤンの怒りを感じさせる。近くにいたダビドは、ヤンの言葉に無言で頷いている。
「このウェスカ砦は頑強な砦だと聞いておる。そ、それに、兵法だと、強固な砦を攻略するには、5倍の兵力が必要だと言うじゃろう。いまは5倍弱の兵力差だから、強固な砦であるウェスカ砦の防衛はギリギリ可能じゃろう。お主たちは、<鉄壁>の第2隊じゃろう?」
「ふざけんなっ!!」
ガルシアが殴りかかろうとして、「隊長っ、やめてください」と押さえられている。
「――どうせ魔物から守る方が民からの覚えがいいし、砦の援軍に来ても、第1功は第2隊になるからうまみがないって、そう思っているだけなんだろう」
アッシュが冷たくそう言い放ち、皆が驚いてアッシュを見る。普段はさわやかで優秀な副隊長といったアッシュに似つかわしくない物言いだったためだ。
「な、何を言う。魔物の討伐は、貴族のじゅ、重要な責務じゃ。だから、各地域の領主たちはそちらに力を入れていて、だから援軍は出せない。中央が決めた決定事項なのじゃ。へ、辺境の騎士はやはり野蛮でならぬ。これ以上は話にならんっ、わ、私は部屋に戻るっ」
ペレス大臣は、そう言い残すと、廊下の奥へ消えていく。
ガルシアは部下たちに押さえつけられ、広間の椅子に座らせられる。
「ふぅ――」
エルヴィラが長い溜息を吐き、手近な椅子を引き寄せ、それに座る。
「ヴァレンス砦では、アンタのところの騎士たちが時間を稼いでくれたと聞いている。すまなかった」
ガルシアはエルヴィラを見て、無言で首を振る。
ホッパー隊の顔を思い浮かべながら。
「……私が昼に先に着いてから、援軍は出せない、そればっかりだ。実際、援軍を出す権限などあの大臣にはないというわけだ」
エルヴィラはペレス大臣が去っていった方を見つめ、忌々し気に言う。
「国の危機だってことがわかってねえ」
ガルシアは怒りを込めたまま椅子に座っている。
「アイツらは、何にも、わかっちゃいない」
アッシュが低く呟く。
「アッシュ……」
エヴァが言う。アッシュは顔を上げて、「義姉さん……」と言い返す。
「ん? いま姉さんと言ったか?」
ウィンが不思議そうに問いかける。
「あ、そう言えばウィンは知らなかったかしら?」
「ああ、今まで知らなかった。だからいまとても驚いている」
エヴァはウィンを見て微笑むと、アッシュを見て、「いい?」と聞く。アッシュが無言で頷き、エヴァは口を開く。
「姉と言っても、義理の姉ね。アッシュは、ワタシの妹イブの旦那だったの」
その思いがけない告白に、ウィンは息を呑む。
「でも、確かエヴァの妹さんは……」
同期で事情を知っているヤンが言う。
「ええ、そうよ。イブは5年前にある病で亡くなったわ……」
エヴァは辛そうな表情で言う。エヴァはよくお酒を飲んでいるが、たまにとても辛そうな表情をしているときがある。その時の表情に似ているとウィンは思う。
「イブは貴族のせいで死んだんだっ!」
アッシュが強い口調でテーブルを叩く。
皆がアッシュを見る。
「……当時、俺は別の隊に所属していて、ポルティガの街の警備を担当していた。ある事件で不正を働いていた貴族を摘発したが、そいつは同じ派閥のより上の貴族に泣きついて無罪放免になった。それから俺を目の敵にするようになり、イブがある病になったときに、必要な薬を買い占めやがったんだ」
エヴァが視線を落とし、当時を思い出すように少しだけ目を閉じる。
「その薬を手に入れられなかったせいで、イブは死んだ……俺はそいつを半殺しにして、この辺境にやってきたんだよ」
それだけ一気にまくしたてるように言うと、アッシュはうつむく。アッシュの右手は、血が出るのではないかというくらいに強く握られていた。
ガルシアも、ヤンも、そこにいる誰もが黙っていた。エルヴィラとダビドは元から知っていたのだろう。
「……ワタシがお酒を飲むようになったのも、その事件の後よ。昼間っからアルコールの臭いをさせて使い物にならなかったから、それで元いた隊を除籍されたの。で、ガルシア隊長に拾ってもらったってわけ」
エヴァは自嘲気味に言う。
「……そんなこと、言ってなかったな」
ガルシアがエヴァを見る。
「言えるわけないじゃない。言って同情で採用してもらっても嬉しくないもの。ただの酔っぱらいでも、仲間に入れてくれて感謝してるのよ。だってその方が気楽に皆と接することができるでしょう?」
エヴァは言った。どこか哀しげな笑いだった。
「エヴァも大人の深みが……あったんだな。心の底からただの酒好きなんだと思っていたよ。飲めば飲むほど強くなるって、何言ってんだって思ってたよ」
ウィンがそう軽口を叩くと、エヴァが笑う。
「ま、ただの酒好きも本当よ。お酒の美味しさにも目覚めたしね」
エルヴィラはそんな第15隊のやりとりを、優しげな表情で見つめていた。そして、アッシュを見る。アッシュは過去の影から離れられていない。
長く昏い影が、いまも過去からずっとアッシュをどこかに引き込もうとしているように見える。
「でも、ペレス大臣の言うように本当に援軍が来ないとなると、まずは籠城戦ですね。とにかく大亀のように、徹底的に籠城しましょう」
ヤンは静かにそう断言する。
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