<22> ジェイド最後の夜、酒場に流れる悲恋の歌
「乾杯――っ!!」
エヴァが冷えたエールのジョッキを掲げ、嬉しそうに乾杯を宣言する。
第15隊の面々は、明日の行軍の準備を終え、夕方になってから騎士館の近くにある飲み屋に集まった。
店の外はまだ透明な淡い青色の空気に包まれており、完全には夜になっていない。少し早めに点灯した通り沿いの魔導街灯が、光の輪をぼんやりと周囲に投げかけている。
「ホッパーは相変わらずでかいな」
ウィンが感心したように言う。
「まあ、鍛えてるからな」
筋肉お化けと周囲から恐れられる巨体を揺らし、ホッパーはエールのジョッキをゴクゴクと飲み干してテーブルの上にドンと置く。
「あら、いい飲みっぷりじゃない」
すでに目が据わりはじめているエヴァが歩いてきて、右手に持っていたワインをテーブルの上に置く。
「ブルゴス地方名物の赤ワインよ。甘酸っぱくって、癖になる味だわ」
「ワインにいくの早すぎないか?」
「何言ってるのよウィン。明日から私たちは気軽なお酒とは縁遠い場所に行くのよ。下界にいるのは今夜が最後なんだから、今日はもう最初からドンドン行くわよ」
「今日じゃなくても行っている気もするが……」
ウィンはそう言うが、エヴァは気にする素振りも見せずに他のテーブルに向かっていく。
「それにしても、帝国が攻めてくるとはな」
おかわりのジョッキも一気に半分近く飲み干しながら、ホッパーが言う。よく見るとホッパーのジョッキは、ウィンのものよりも倍近くある。
「本当はあの開港祭事変で、もっとポルト王国を弱らせてから侵攻するつもりだったんだろうな」
ホッパーはそう言うと、店の中を見回す。ほとんど貸し切りになっている店内では、第15隊の面々が陽気に騒いでいる。
奥のテーブルではガルシア隊長が皆に囲まれて、大きな声で笑っている。
掃き溜めと言われる第15隊の、父親のようなガルシア。
(それにしても、とても明日から戦場に行くとは思えない盛り上がりだな……)
明日から戦場だというのに、しばらく飲めないからまとめて飲んでおこうとバカ騒ぎをする。そんな第15隊の連中が、ウィンは嫌いではなかった。
「ニアは来てないんだな?」
ウィンは店内を見て言う。
「ニアは騎士館で、地図と格闘している。さっきちらっと見たが、各班の情報から、様々な線を書き込んでいて、相当集中していたぞ」
同じテーブルにいるアンナが言う。地図狂いのニアの独自魔法『ホールマッピング』は、空間把握に様々な効果を持っている。
ニアのことだから、夜通し地図と首っ引きになるのかもしれない。
「でもよ、広大なポルト王国のどこかにいる<メルバスの笛>を吹いている奴を特定するなんて、砂浜で指輪を探すようなもんじゃねえかよ」
ホッパーが太い腕を組んで言う。
「そうだな。確かに簡単じゃないだろうな。だから、明日から私たちはどこで魔物が出ているのかの情報を馬に乗ってかき集めて、ニアのもとに届けることになっている」
「移動しながら、当たりをつけていくってことか……難しいな」
ウィンは、先ほど見た広大な地図を思い出す。
「それでもやらなければならない」
アンナは決意表明をするように言う。
「魔物がポルト王国内で暴れ続ける限り、戦力は分散する。ウィンやホッパー、お前たちが砦で戦っている後ろを、魔物たちに襲わせるわけにはいかないからな」
「いつものように後ろは頼むぞ」
「ああ……努力する」
アンナが言う。頑なで真面目なアンナは、責任感が強い。自分に与えられた役目を果たすためにベストを尽くす。まだ若手ながら優秀な騎士で、先輩たちも一目置いている。
だからこそヤンが別動隊のリーダーとして指名したのだった。
「無理はしなきゃいけない局面だが、無理はしすぎるなよ」
「まあ……善処する」
アンナはそう言うと、任務の重さを打ち消そうとするかのようにジョッキをごくごくと飲む。
「おう、いい飲みっぷりじゃねえか、アンナ」
ホッパーが嬉しそうに言い、にっと笑顔を見せて、アンナとジョッキを合わせる。カランと乾いた音が小さく響く。
ふいに、気怠げな歌声が聴こえはじめる。
横を見ると、店の奥のステージで、赤いシンプルなドレスを着た女性歌手が歌いはじめたところだった。
情熱的なピアノ演奏に合わせて、女はポルト王国に昔から伝わる悲恋の歌を艷やかに歌いはじめた。
とても上手な、情感のこもった歌い方だった。
「……いい歌だな」
ホッパーがしみじみと言う。
「ああ、そうだな……」
ウィンも言う。
「こういう日常を守らなきゃならねえんだよな……それに、あいつらみたいな若い奴の未来もよ」
そう言ってホッパーは、エヴァにワインを飲まされて真っ赤になっているフィオナや、すでに机に突っ伏して寝ているアレンを、まるで年の離れた弟妹を見るような目で見つめる。
ホッパーの目は少し潤んでいる。涙もろく、街の親孝行な子供の話を聞いたりして酒を飲みながら号泣していることもある。
気のいい兄貴分で、ウィンもホッパーのことを本当の兄のように慕っていた。一緒に身体を鍛えているホッパー隊がいるのも、その人望だったのだろう。
「ああ――そのために俺たちはヴァレンス砦に向かって、帝国の侵攻を食い止める」
気が付くと、他のテーブルの面々もその女性歌手の歌に聴き入っている。
歌が終わり、隊員たちが大きく拍手をする。店内は再び喧騒に包まれる。
(上手な歌だったな……)
そんなふうに黄昏れていたウィンの横に、急にドスンと座る者がいた。
「……ん? フィオナ? どうした?」
ウィンが声をかけると、うつむいていたフィオナが顔を上げる。その目はとろんとしており、白い頬が赤く染まっている。
少し離れた席から、エヴァがワイングラスを片手に「あらあら」と楽しそうにこちらを見ていた。
「ごめんなさいねウィン。新人たちにもせっかくだからってジェイド名物のワイン勧めてみたら、フィオナちゃんちょっと酔っ払っちゃったみたいで。アレン君なんて眠っちゃったし」
エヴァは目の前で突っ伏して眠っているアレンを指差して、ケラケラと笑っている。
「おいエヴァ。明日は早朝出発なんだぞ。新人に変なもの飲ませるなよ……うおっ!?」
ウィンが文句を言おうとした瞬間、フィオナがウィンの上着の袖をぎゅっと、思いがけない力で掴んできたのである。
「……フィオナ?」
「ウィン……せんぱぁい……」
「フィ、フィオナ? おい、袖が伸びるから放してくれ」
ウィンはフィオナの手を引き剥がそうとするが、フィオナは手を離さない。まるで生まれてはじめて見たものを親だと思ってしがみついているかのようだ。
「新人のお嬢ちゃんは、随分ウィンに懐いているんだな」
ホッパーがニヤニヤしながら言う。
「はいっ、ウィン先輩に、懐いてますっ!」
フィオナは頬を真っ赤にしながら右手を高くまっすぐに上げて、ホッパーを見てそう高らかに宣言する。
なんだなんだと、他の隊員たちも話を止め、好奇の目を向けてくる。
「わたしは、ウィンせんぱぁいが、だいすきなんですっ!」
据わった目で、フィオナがそう続ける。
「ウィン先輩は、ジェイドに来るまでの間、自分だって疲れているはずなのに、毎晩私たちの訓練に付き合ってくれましたっ!」
フィオナはウィンの袖を強く掴みながら、じっと見上げるように言う。
「魔物との戦いのときだって、私たちをずっと見ていてくれて、危ないときにはさりげなく助けてくれましたっ!」
「ほうほう、それで?」
「おい、ホッパーっ」
ホッパーがけしかけ、ウィンが抗議の声をあげる。
「いつも面倒くさいって言いながら、ウィン先輩は誰よりも周りのことを見てくれてるんですっ。そんなウィン先輩のことが私は大好きで……憧れなん、ですぅ……」
フィオナはそう言うと、そのままウィンにもたれかかるようにすやすやと静かな寝息を立てて眠ってしまう。
「……まあ、その、なんだ。新人に慕われるのはいいことだぞ、ウィン」
アンナが笑いをこらえながら頷く。
「いいものを見せてもらったぜ、ウィンせ・ん・ぱ・い。あ~、こりゃエールがより美味くなるな」
ホッパーが茶化したようにエールをごくごくと飲む。
「またこれか……もうフィオナにお酒を飲ませるなよ」
左腕にもたれかかるフィオナの柔らかな温もりを感じながら、起こさないよう、ウィンはやれやれと呟くのだった。
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