<7> 深海のような魔力奔流――初めての魔力連携
3人は、エマの部屋の前までやってきた。
ウィンがドアをノックする。返事がない。ウィンは「念のため開けますよ」と叫び、ドアを力任せに開ける。ドアには鍵がかかっておらず、そのまま鈍い音を立てて開く。
部屋の中は薄暗く、少しだけ湿った匂いがした。
「エマばあさん!」
部屋の中央に、エマが倒れていた。ウィンはすぐにエマの元に駆け寄り、胸に顔を近付けて、心臓がまだかろうじて動いているのを確認する。
「フィオナ、窓を開けてくれ」
ウィンはそう指示を出し、エマを抱き上げるとそのまま寝室に行き、静かに寝台に寝かせる。元々小柄なエマは、衰弱しているのか驚くほど軽い。
「アレン、医者を呼んできてくれ」
「は、はいっ」
「フィオナ、水魔法と回復魔法が使えると言ってたな」
「はいっ」
「まず、水魔法であのグラスに純水を作ってくれ」
「は、はいっ」
フィオナは『ピュアウォーター』の魔法を唱える。空気中から純水を作り出すことができる魔法で、この魔法の使い手は、平時の旅行から、有事の戦場まで、様々なところで役に立つと言われている。
「はい、作りました」
「よし、ありがとう」
ウィンはフィオナの作った水をエマに飲ませる。口を無理矢理開いて、少しずつ、グラスを傾けながら飲ませる。
「ん、ん……」
耳を澄ましてようやくほんの少しだけ聞こえるような、本当に微かな声を聞き取ることができる。
「もう大丈夫だ、エマばあさん」
エマは何かを呟いているように見える。うなされているようでもある。
「大丈夫、無理をするな。もう大丈夫だから」
ウィンはそう言って、もう一度フィオナの方を振り返る。近くでまっすぐに見つめられ、フィオナは一瞬驚く。
こんなに真剣な目で、男性に見つめられたことはない気がした。
「フィオナ、回復魔法をエマばあさんにかけてくれ。できるか?」
「は、はい、やってみます」
フィオナはそう返事をすると、エマの寝台のすぐ横にウィンが置いてくれた小さな椅子に座る。
回復魔法の担い手は珍しい。ただ、回復魔法といっても、体の自然治癒する時間を促進するような、そんな回復魔法である。
実際は聖女のように傷をみるみる治すとか、切られた腕をくっつけることができるとか、そういうものではない。
「……『キュアヒール』っ!」
フィオナは騎士学校で習った回復魔法の詠唱を行い、集中してエマに魔法をかける。回復魔法は術者の魔力を相当な速さで奪っていく。
だから、使う加減には気を付けなければならないのが回復魔法だった。
目の前の相手を治そうと、つい自分の限界を顧みずに唱え続けてしまうのだ。
しかも、魔力切れは、場合によっては深刻な後遺症や命にもかかわることもある。だからこそ、魔力切れは危険なものとして最大限の注意を払うよう教えられていたのだった。
「……『キュア、ヒール』」
フィオナは集中して、エマに回復魔法『キュアヒール』をかけ続ける。フィオナの魔力が失われていく代わりにエマの体力が少しずつ戻ってくる、そう信じてかけ続ける。
(回復魔法を本当の病人に使ったことがないから、本当に効いているのかよくわからないよ……)
フィオナは自分でも鼓動が速くなり、焦り出す。目の前のエマはまだ目を覚まさない。ただ、耳を澄ますとか細い呼吸の音だけが聞こえてきて、生きていることだけはわかる。
けれども、自分の中の魔力がどんどん減っていっているのがわかる。砂時計の真ん中が、どんどん太く広がっていき、たくさんの砂が一気に落ちていくような感覚だった。
魔力が根こそぎ奪われていくような気がする。
(――あ、ダメかも)
フィオナは一瞬気が遠くなりそうになる。そのとき、右肩にあたたかい感触があった。
「……ウィン、先輩?」
フィオナは右側から振り返り、ウィンを見る。
「フィオナ、大丈夫だ。よくやっているぞ」
ウィンはフィオナの右肩を押さえたまま言う。
「魔力連携は知っているか?」
「はい、騎士学校で習いました。魔法使い同士が、自分の魔力を相手に分け与えるやつですよね」
「やったことは」
「学校の練習くらいしか……」
「そうか。いまから俺がフィオナに魔力連携をする。右肩に触れた手から魔力を流すから、それを受け入れる扉を開いてくれ」
「扉を、開く?」
フィオナは騎士学校で習ったことを思い出す。相手の魔力を分けてもらう魔力連携は、強大な魔法を使うときや、効果を長く持たせるための維持魔法を使うときに使うことが多い。
扉を開くというのは精神的な意味で、魔力を分けてくれる相手を受け入れ、イメージ上の扉を開くことが大切だという意味だった。
その扉が開かれなければ、魔力が連携しないのだ。騎士学校の同期たちには、最後までその感覚がわからず魔力連携ができない者もいた。
フィオナは練習では成功したが、お互いに学生であり少しの魔力しか連携できず、まあこんなものかと思うくらいだった。
「じゃあいくぞ」
「は、はい……」
フィオナは目を閉じて、ウィンの左手が触れている右肩に意識を集中する。ウィンの手がとても熱いくらいにあたたかく感じられる。
扉の外側で、いまにも扉をこじ開けてこようとしている魔力を感じる。
(ゆっくり、ゆっくりと扉を、開く……)
フィオナは扉が開くイメージを思い浮かべる。
(もう少し、もう少し……あ……)
突然だった。
ウィンから、猛烈な魔力が流れてくる。いままで感じたことのない魔力の大きさだった。自分の魔力の器を、一瞬で超えてくるような魔力の奔流。
騎士学校のときの魔力連携とは――まったく比べ物にならない。こんな魔力は一度も実感したことはなかった。
まるで深海の中に放り込まれたような感覚。
けれども、それはとてもあたたかな魔力だった。
「いいかフィオナ、『キュアヒール』を続けるんだ」
ウィンが左手に力を込めながら、後ろから言う。
「はいっ」
フィオナは回復魔法の詠唱に集中する。エマをしっかりと見て、エマの回復にすべての力を注ぐ。先程までの魔力の欠乏はまったく感じなかった。失われる魔力よりも、右肩から注ぎ込まれる、途絶えることのない魔力の方が圧倒的に多い。
魔力が安定供給されていることが実感できる。
(この魔力量って、どうしてなの……)
フィオナはそう思ったが、頭を振って、いまはエマに意識を集中する。
(いまはこの目の前のおばあさんを助けなきゃ)
フィオナはさらに集中する。
(あ……)
エマの呼吸が少しだけ、大きくなったように感じられる。エマの顔色に、ほんの少しだけ生気が戻る。
「おばあさんっ!」
「医者を連れてきたっ!」
フィオナとアレンの言葉が重なった。アレンが医者を連れてエマの部屋に戻ってくると、医者はすぐにフィオナと場所を代わり、診療をはじめる。
フィオナはエマの小さな部屋の中で立ち尽くし、肩で息をする。バランスを崩しかけ、後ろに倒れそうになる。
ウィンがいつの間にか後ろに立っていて、倒れそうになるのを支えてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
フィオナはウィンに向き直る。
(私の回復魔法で……誰かを、助けられた……)
フィオナははじめての感情に、思わず右手で胸を押さえる。
「もう大丈夫だ……本当に、頑張ったな」
ウィンはそう言うと、大人が子供にするようにフィオナの頭を撫でた。
「…………」
フィオナは、ウィンを見る。フィオナの白い頬が、みるみる赤く染まっていく。
(ウィン先輩……)
ドォオオーーン!!!!
フィオナがそう思うのと、大きな爆発音が響くのはほぼ同時だった。
「な、何だっ!」
アレンが叫ぶ。
そのすぐ後に、人々の悲鳴が連なって聞こえてくる。
ウィンはすぐに窓際に向かい、身体を伸ばして窓の外を見る。
少し先の通りで爆発があり、煙がどんどん上がっていっているのが見えた。
「治療、よろしくお願いします。俺たちはいまの爆発の場所に向かいます」
ウィンは医者にそう言うと、2人を連れて、エマの部屋を飛び出していくのだった。
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