<2> メルバスの笛
「ウィン、右手だっ!」
ガルシアが叫ぶ。
サイクロプスが鋭利な爪を持った丸太のように太い右手を振りかぶってくる。ウィンはそれを素早くかわし、すれ違い様に左足を剣で切り裂く。
「ウガァアアッ!!!」
痛覚が鈍いのか、数秒後にはじめて痛みに気付いたようにいびつな叫び声をあげ、サイクロプスはバランスを崩し、ゆっくりとうつぶせに倒れこむ。落ち葉が風圧で舞い散る。
ウィンは針葉樹の幹を利用して高く飛ぶと、サイクロプスの背中に向かって上から剣を突き刺す。サイクロプスの皮膚はとても固いので、反動をつけて体重を乗せなければ届かない。
<魔の森>の魔物を熟知しているウィンならではの戦い方だった。
ウィンの剣は、サイクロプスの固い皮膚を超え、背中深くまで突き刺さる。
「燃えよ、古の業火」
アリスが短く詠唱すると、ウィンは剣を引き抜き、サイクロプスから離れる。アリスの魔法の炎は、ウィンのつけた傷口を正確に狙い、内側からサイクロプスが燃えていく。
「……よし」
翌日、3人は早朝から<魔の森>の奥深くに入っていた。サイクロプスというひとつ目の魔物が当たり前のように森を徘徊している。
普通ならば、騎士隊10人ほどで取り囲んでようやく1体倒すような魔物である。ただ、ガルシア、アリス、ウィンの3人は、たった3人の連携でサイクロプスを倒したのである。
「これで活発化じゃねえって言うなら、イグニス爺の言う活発化っていうのは一体どれほどなんだよ」
ガルシアが呆れたように言う。今倒したサイクロプスも、並みの冒険者なら刃が立たないレベルだった。
「正確に言うと、活発というより、狂暴化ね」
アリスが言う。
「――魔法研究所では、<魔の森>のいくつかの遺跡に封印を施しているのよ。一月ほど前に、その一つの封印が破られていたわ」
「封印?」
「ええ、魔道具には、その性質上元あった場所からあまり離さない方がいいものがあるわ。そういった魔道具は古の遺跡にしっかりと格納しておくの。ただ、冒険者たちはお宝を探すのが目的だから、見つからないように封印を施しているのよ」
「その封印が破られた?」
ウィンが言う。
「……今年は厄年なのかな。どうも最近、厄介事ばかり起こっている気がする」
「それはまあ、いつものことじゃねえか」
ガルシアが何でもないことのように言う。
「……」
ウィンは、そういう厄介事の大半は隊長が持ってきているようなと無言で見つめる。
「おっと、次はワーウルフが5匹だぜ。手荒い歓迎だな」
ガルシアの声にウィンは周囲を見回すと、すぐさま一番近いワーウルフに向かって駆けて行く。一瞬で間合いを詰め、正面から1匹を切り裂く。隣ではガルシアが両手剣で3匹を同時に薙ぎ払っており、残った1匹もウィンが素早く移動し、横から切り裂く。
流れるような二人の連携だった。
「ふふ。二人に任せていたら、私は大分魔力の消耗を押さえることができるわね」
アリスは満足そうにそう言うと、ポルティガの大通りで買い物でもしているかのように、すたすたと森の奥に分け入って行くのだった。
「――ここよ」
アリスが指さした場所は、静謐な空気に溢れていた。
地面には濃い緑色の苔が群生し、その先の小さな丘に古の神殿がたたずんでいる。神殿の周囲は背丈の高い針葉樹がびっしりと生えており、採掘者たちからこの神殿を隠そうとしているようである。
周囲には濃密な植物と湿った土の匂いが充満している。
「本当は、ここに認識疎外の封印魔法をかけていたから、こんなふうに見えるはずはないのよね。誰かが封印を解いたから、こうやって神殿の姿が見えるのよ」
「……なるほど」
ウィンは周囲を見渡す。ホロウと一緒に<魔の森>で暮らしていた頃、ホロウに連れられて森の中の多くの遺跡を巡った。南大陸はいまでこそ魔物の巣窟だったが、太古にはこの地に栄華を誇った古代文明があり、様々な遺跡が森の中に遺されていた。
その中には魔道具と呼ばれるマジックアイテムや、剣や防具などもあり、それらを求める冒険者や海外の使節団は多かった。屈強な用兵たちを雇った大商人の部隊が足を踏み入れることもあった。
ただ、その多くはこの<魔の森>の栄養になってしまっている。<魔の森>から戻らなかった人の数で、それなりに大きな街が作れるくらいだったのかもしれない。
現にホロウも、そう言った魔道具に興味があり、<魔の森>に住んでいた。許可された存在以外は通さない防御魔法を施した森の中の家は、魔物を寄せ付けなかった。どんなに強い魔物と戦っていても、<森の家>に帰れば、安全が守られた。
(懐かしいな……)
ウィンは、ホロウと二人で暮らしていた<森の家>のことを思い出す。15歳のときにホロウが亡くなってから10年が過ぎ、いまではもう魔法の効果も失われ、ほとんど痕跡も残っていない。
帰省をするような場所ではない。
それでも、この<魔の森>がウィンにとっての故郷だったのである。
「じゃあ、入るわよ」
アリスが言い、ウィンは神殿に意識を集中する。
3人は神殿の中に入る。埃っぽい黴の臭いが目立つ。白い支柱で太い板のような屋根を支えている神殿で、支柱の大半は部分的に破損している。いつ屋根が落ちてきてもおかしくないように見える。
「大体こういう神殿は地下への階段があるな」
ガルシアは、奥まったところに口を開いている地下への階段を見て言う。
「<魔の森>にある古の神殿は、地下に女神像が置かれていることが多いの」
アリスが答える。
「さ、おりましょう」
3人が階段を下りると、そこは長方形の巨大な空間になっていた。かなり広く、階段も人が横に5人は並べるくらいの幅があり、3階分くらいの長い階段を降りていくことになる。
明かりはついておらず、何か所か地上の床が抜けている場所から、日差しがうっすらと降り注いでいた。
斜めに降り注ぐ光の帯の中に、埃が舞っているのが見える。海の中の微生物のように、小さな粒子が光の帯の中で揺れ動いている。
ウィンは右手に魔導ランプを持ち、左右に動かして周囲を照らす。左右に何かの神を模したかのような像が並んでいるが、その大半がすでに壊れており、すべての顔の部分がなくなっており、元々が何の神なのかも判別できない。
大陸では、今も様々な神が信仰されているが、古の神殿にも様々な神がいたようである。
「――やっぱり、ないわ」
アリスが言う。
ウィンはアリスが見つめた先を魔導ランプで照らす。
そこには、小さな台座が置かれていた。台座の上には、元々何かが置かれていた形跡があった。
ただ、いまはそこにも何もない。
「――笛が奪われている」
アリスは言った。
「笛だって?」
ガルシアが言う。この神殿と笛という単語がうまく結びつかなかった。
「――どんな魔道具なんだ?」
ウィンが尋ねる。こんな場所にある笛が、ただの笛であるはずがない。
「メルバスの笛――古の魔道具で、その笛の音を聴いた魔物を狂暴化させるの」
「――ん? それは昨日イグニス爺が話していた、魔物の活発化というのと繋がっているのか?」
ガルシアが眉を動かして言う。
「ええ、間違いないわ。ここでメルバスの笛を奪った誰かは、<魔の森>でその効果の程を確かめた。ここには魔物しかいないし、実験や検証は十分すぎるほどできるわ。そして、検証が終わったから」
「――この森を離れた」
ウィンが言う。
「ポルタに戻って、イグニス爺に該当期間に出入りした冒険者などを調べるしかねえな」
ガルシアがこうはしていられないと言う。
「魔物はポルト王国にもたくさんいるけれど、大体自分の縄張りにいることが多いわ。<魔の森>のように、常時活発化なんて普通はしていない。もちろん、縄張りを荒らされれば攻撃をしてくるけれど、積極的に出てこない魔物も多いのよ」
「ああ、魔物は国民にとっても脅威だが、森や山などに入り込まなければなかなか遭遇しない」
ガルシアは言う。その感覚は、ポルト王国の人間であれば等しく持っている感覚だった。そういう意味では熊などの動物と近い。
「でも、メルバスの笛を使って強制的にそういった魔物を狂暴化させたとなると、町や村にも大きな被害が出るわ」
「狂暴化した魔物は人を襲う。普段近寄らない人里にも平気で向かっていくってわけか」
ガルシアはそう言う。
「どんな目的を持った人が、メルバスの笛を使うのか……これは危険ね」
アリスは様々な思いを巡らせながら、深刻そうにそう呟くのだった。
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