<50> 血塗られた大陸の地図と聖女の祈り
しばらくして、クリスはゆっくりと立ち上がった。
一瞬の内に、体全体が光によって、全身火傷のようになっている。
「あ……あ……」
クリスはうまく声を出せないというように、喉を何度か震わす。
そして、音を絞り出すように口を開く。
「……ウィン。俺は第15隊が羨ましかった……第7隊隊長になったとき、希望に燃えていたよ。いい部隊を作るんだって。でも現実は違った。保身と自らの栄達しか考えていない騎士が多かった。若くして隊長になった私は妬まれ、足を引っ張られた」
クリスは窓の方に向かってゆっくりと歩いていく。ウィンに話しているが、ウィンの方をもう見ていなかった。
目に光はなく、もうぼんやりとしか見えていないかもしれない。
「……親の借金を何とかするために奔走していた時に、聖心教会の助祭と知り合った。きっかけは借金だったが、帝国の力を利用して、この腐った国を一度壊してゼロにしたかったんだがな」
「それは困る。街の人達と一緒に冷えたエールが飲めないからな」
ウィンが言った。
「街の人達と冷えたエールか。私にもそんな日々があったらな」
クリスは窓際まで歩いて行き言う。
「今からだって間に合う。やり直せないことなんてないだろう」
ウィンは言った。
クリスは静かに首を振る。
「俺の手はもう汚れて過ぎてしまった……いまさら戻れんよ」
そして、窓の外の『ビッグウォール』を見つめる。
クリスはゆっくりと振り返りウィンを見る。
「……帝国はこの世界を支配するために、古の魔王の封印を解こうとしている。世界を混乱に陥れるために、フォンテーヌやラ・クロワや私がそうだったように、多くの国に入り込んで多くの人の心の闇に入り込んでいる……第二、第三の私のような者はまた現れる……ウィン、君が……君達がそれを防ぐ未来を見れないのは残念だ……」
クリスは一歩下がり、足を窓枠にかける。
そして窓枠に立ってウィンを見る。
「……ウィン、君のそのぬるくて、優しい世界が、どこまで持つか、せいぜい足掻いてみせることだ……」
クリスは少しだけ微笑み、そのまま背中から落ちる。
「クリスっ!」
ウィンは窓まで駆け寄るが、少しの間の後で、柔らかいものが床に落ちる鈍い音がした。
ウィンが覗き込むと、クリスは時計塔の横に、仰向けに倒れていた。クリスの周囲に赤い血が広がり、古の地図の大陸の形のような模様を作っていくのが見えた。
クリスがすべてを壊し、作りたかった世界。
それはこんな形だったのだろうか。
「……クリス」
ウィンがそう呟くのと、「ウィン様」と呼ぶ女性の声が聞こえたのは同時だった。
時計塔の最上階に現れたのは、ソフィアだった。
「……ソフィア? どうしてここへ」
「ポルティガ城から大広場までは、第15隊の皆様に連れてきていただきました。私は、ここに来なければならなかったのです」
ソフィアはそう言うと、ウィンの方に近づいてくる。その亜麻色の髪は乾き、白い頬も砂で汚れている。一緒に地下牢に入り、そのままここまで来ている。
「ーーひと月前、夢を見ました」
ソフィアは言った。
「夢の中で、私は女神様から、私が当代の聖女であるとお告げを受けました。一人の騎士を信じ、この世界を救うのですと……」
「聖女……女神……?」
ウィンはソフィアの言葉をうまく理解することができなかった。
「だから、あの路地裏でウィン様が私を助けてくださったとき、私は待っていた騎士に会えたのだと、心の底から感謝していたのです」
「いや、俺は騎士としての務めを果たしただけで…」
ウィンがしどろもどろにそう言うと、ソフィアは微笑む。
「アナタに〈赤いネックレス〉を託して良かった……本当に、良かった」
そう言うと、台座に向かってゆっくりと歩いていく。
そして、くぼみに置かれたままの〈青いネックレス〉を手に取ると、それを両手で囲い、跪く。
「聖なる魔力を吸われた〈青いネックレス〉は、聖女の祈りで満たすことができるのです」
そして、ソフィアは目を閉じる。ソフィアの周囲にあたたかな光が集まり、溢れ出す。精霊たちが喜ぶように近くを舞っている姿が見える気がする。
ソフィアを包む闇を焼き払うような純白の光は、やがて青い膜のような色になる。
オーロラのような青い光が幾重も重なり、ソフィアが握りしめる〈青いネックレス〉に光が集まっていく。
ソフィアの手の中の〈青いネックレス〉から一筋の青い光が『ビッグウォール』に向かっていく。
その青い光はまっすぐに『ビッグウォール』に突き当たり、そこから四方に広がっていく。
赤い毛細血管のような半透明の壁が、青く染め上げられていく。
赤がどんどん青に染められていく。
壁に張り付いていた魔物たちが叫び出し、我先にと壁から離れていく。
『ビッグウォール』は永久凍土のように青い分厚い壁となり、そしてーー消えた。
そこには、目に見えない透明な『ビッグウォール』が再びあるはずだった。
ソフィアがその場に倒れそうになり、ウィンは慌てて駆け寄り抱きとめる。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。聖女になりたてなのに、頑張って魔力を使いすぎてしまいました……」
ソフィアはそう言うと、ウィンを見てもう一度微笑んだ。
「……ありがとうソフィア。ポルティガの『ビッグウォール』が戻ってきたよ」
「よかった……」
ウィンはソフィアを抱きとめながら、窓の外を見る。血の匂いが薄れて、潮の香りが強くなる。押し寄せる波のように、禍々しい空気が押し出されていく。
ウィンは自分の指で、鈍く光る銀色の指輪をそっと撫でた。
(今日の魔法の使い方は、さすがのホロウの爺さんも褒めてくれるだろう?)
血の匂いが、いつものポルティガの爽やかな潮風にかき消されていく。ウィンは目を細めて窓の外を見て、ソフィアに向かって振り返る。
「さあ、帰ろうか。皆が待っているはずだから」
力を使い果たしたソフィアをお姫様抱っこして時計塔を下まで降りるのは、さすがのウィンでも一仕事だった。
時計塔から出ると、そこには第15隊の面々が待っていた。周囲では他の騎士団が歩き回り、混乱の後である大広場を立て直そうとしていた。
「ウィン、いい仕事をしましたね。残業代に値しますよ」
眼鏡のブリッジを右手で軽く上げながら、ヤン副隊長が言う。
「ウィンのおかげでポルティガの人たちが守られた。感謝する」
アンナがいつものように生真面目な口調で言い、騎士の作法で感謝を告げる。
「今晩は皆でいいお酒が飲めそうね」エヴァがそう言って物欲しげに隣を見る。「今日くらいは、国費で飲んでもいいんじゃない?」
「あーわかったわかった。今日のお疲れ会は国費申請するか。頼むぞヤン」
ガルシア隊長が豪快に笑い、ヤン副隊長がやれやれと頭を抱えている。
「今回のミッションで『ホールマッピング』の場所がいっぱい増えたよっ。ウィン先輩といるとホントに退屈しないっ」
ニアがそう言って嬉しそうに笑う。
「ウィン殿はたくさんの女性を喜ばせてますねぇ。羨ましい」
ルカがそう言って茶化してくる。
「……皆、今回は本当にありがとう。皆のおかげだ」
ウィンが言うと、ガルシア隊長がウィンの背中を豪快に音を立てて叩いた。
「気にすんなウィンっ! ポルティガの人たちのためにいつだってベストを尽くす。それが俺たち第15隊なんだからよ」
「そうよ。ウィンのおかげで今晩のタダ酒は最高に美味しくなりそう」
「ちゃっかりしてんなぁおい」
ガルシアが大きな声で言い、隊員たちは皆笑う。
(……今回の残業は、冷えたエール何杯分かな)
ウィンは目を細め、眩しそうに時計塔を見上げ、それから振り返る。
そこには先程までの赤い地獄が嘘のような、どこまでも青い空と海が広がっているのだった。
【いつまき】は、より多くの皆様に届くよう『カクヨム』様でも同時投稿しています。
お好みのプラットフォームでお楽しみください。
【ブックマーク登録】や【ポイント評価】や【レビュー】などをしていただけると、ウィンも作者も美味しいエールのように喜びます。




