<48> 最上階の決戦
「……クリス?」
ウィンの呼びかけに、クリスは静かに目を開ける。その目は、見知ったクリスのものではないように見えた。さわやかな第7隊隊長ではなく、冷徹な、容赦のない騎士の目。
ウィンは、クリスがフォンテーヌとエミール・ラ・クロワを躊躇なく殺すとは思っていなかった。止められなかった悔いが、ウィンの胸を鈍く痛ませる。
「フォンテーヌは確かに帝国と通じていた。ただ、それはフォンテーヌだけじゃなかったんだよ」
クリスは周囲を見回しながら言う。すでに事切れているフォンテーヌには、クリスの言葉は届いていない。
「帝国はさすがだな。フォンテーヌたちだけではなく、私も取り込んでいたのだ。この計画を確実に遂行するために、裏切り者を、他にも用意していたのだよ」
「なぜだ、クリス……この国を変えるんだと、馬車の中で言っていただろう」
ウィンは言う。あのポルティガ城に向かう馬車での会話を思い出す。白い朝霧の、いまとは正反対の早朝の澄んだ空気の中の言葉。
「いつも面倒だと言いながら、まっすぐに人助けをする。君の善良な心が、こういう場所に居合わせてしまうのだろうな……この国をより良くしたいというのも私の本心だったよ。随分前に失ってしまったね」
「クリス……なぜなんだ」
ウィンは言う。確かめずにはいられなかった。
「……この歪んだ王国を、狂った世界をリセットして、正しい国にするのさ。本来の役目を果たさずに、見栄のためにお金を湯水のように使い、借金を重ねる。国民を守るべきものだとも思っていない。そんな腐った貴族が国の中枢にたくさんいる。そんな奴らを、すべて一度なかったことにするのだ」
クリスの目は狂気の決意と、深い哀しみの両方に満ちていた。
こんなふうにすべてを裏切り、破壊してしまうことを本当に望んでいたのだろうか?
ウィンはゆっくりと口を開く。
「……クリス、お前の絶望に何の罪もない人々を巻き込むのか。ポルティガにはどれだけの人がいると思っている。ポルティガの人々が魔物に蹂躙され、人がいなくなった後にできる国なんてない」
「くくっ。ウィン、本当に君は甘いな……甘すぎて、もっと前に君と出会えていたらと思うよ……でも、すべてはもう、遅すぎた。遅すぎたんだよ」
クリスは思いを断ち切るように叫ぶ。
「これですべて終わりだ。ポルティガは滅びるのだっ!!」
クリスは勢いをつけて、フォンテーヌから奪った<赤いネックレス>を台座に置く。
――――けれど、何も反応しない。
「なぜだ? ……なぜ反応しない?」
クリスは、<赤いネックレス>をくぼみから一度取り出し、再びくぼみに戻す。けれども何も起きない。クリスの目が焦りで見開かれる。
「どうしてだっ、なぜっ?」
クリスはすがるように<赤いネックレス>を台座に押し当てる。力を強くすれば、反応がはじまるとでも信じているように。
窓の外では、『ビッグウォール』に張り付いている魔物たちが、いまかいまかと壁を大きく押し込もうとしている。けれども、壁はまだその力を失ってはいない。
「――最後まで、本当は違うと信じていたかったよ、クリス」
ウィンが静かな目でクリスを見つめる。
「……ウィン?」
クリスが怪訝そうな目で、ウィンを見る。
「残念ながらクリス、いまそこに置いた<赤いネックレス>は偽物だ。『ビッグウォール』を壊す力なんてない、魔法研究所のガラクタ置き場にあったただのネックレスだよ」
「なん……だ……と?」
「本物は、魔法研究所のアリスが預かってくれている。あんな禍々しいものを、ずっと持ち歩くわけにはいかない」
「しかし、でも……」
「クリス、お前もフォンテーヌも、本物の<赤いネックレス>を見ていないんだよ。だから、それっぽい<赤いネックレス>をさも本物だというように見せて話していれば、誰も偽物かどうかなんて疑いもしなかった。ポルティガ城でソフィアから<赤いネックレス>を奪ったフォンテーヌも、疑念すら持たなかったんだろうな」
クリスの顔面がみるみる青白くなる。
「この<赤いネックレス>が偽物……? しかも、最初からだと?」
「ああ、そうだ。最初からだ。俺はアリスとヤン副隊長と相談をして、犯人は絶対に<赤いネックレス>の持ち主に近づいてくる、探しに来ると想定していた。だから、<赤いネックレス>の本物は俺たちが持っていると犯人に思わせていたんだよ」
「なん、だ……と……」
「そして、クリス、お前は味方の振りをして、俺たちに近づいてきた。でもおかしかったんだよ」
ウィンは言う。
「聖心教会の爆発の後、孤児院の庭でお前は俺とソフィアを助けてくれた。最高のタイミングで助けてくれたとそのときは喜んだよ。さすが剣と魔法の天才、クリス隊長だってさ」
「……」
クリスの目の光がみるみる失われていく。目の前で起こっていることが信じられないようだった。魂が抜けたように、ウィンの話を聞いている。
「でも、捕まえたはずの僧兵は、翌日には牢に一人もいなかった」
ウィンはまっすぐにクリスを見る。
「俺の優秀な従者に調べてもらった。あのとき、第7隊は俺とソフィアを襲った僧兵たちを捕まえてくれた。捕まえた僧兵は当然牢に入れられる。俺が城の地下牢に放り込まれたようにな。でも、そんな僧兵は一人もいなかった――そりゃあそうだ。お前と帝国が繋がっていたんだから、お前の指示で、捕まえた僧兵たちをそのまま解放したのさ。僧兵たちは翌日、爆破された教会の瓦礫を片付けていたそうだな」
ウィンはそう言うと、一歩クリスに近づく。
「それにさっきだってそうだ。俺とトト隊長に向かって、『ビッグウォール』がゆっくりと弱っていくまで、まだ30分あると言ったな? なぜそんなことを知っている? 俺だってはじめて聞いて、驚いていたところだったのに」
クリスは、ウィンの言葉を黙ったまま聞いている。その言葉の意味を、頭の中で反芻している。
「クリス、お前が帝国と繋がっていると考えたら、色々なことの辻褄が合った。フォンテーヌとエミール・ラ・クロワは表向きの狂言回しだ。深い計画はすべて、帝国側もお前とだけしていたんだろう」
「……お見通しというわけか」
クリスはそう言うと、剣をウィンに向ける。
「俺たちが気付いていることを、天才のお前に気付かれないようにすることが大変だったよ」
ウィンはそう言うと、トトの剣を体の前で構える。
「……そこまで見破られたのなら仕方がない。ただ、ここにいるのは私たち2人だけだ。ウィン、君を殺して、私は帝国に亡命する。手土産にしては、平騎士の命は軽いのかもしれないがね」
クリスはそう言うと、その冷たい目でウィンを睨みつけるのだった。
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