<47> 螺旋の果て
「焦らないで、ゆっくりと前の人に続いてっ!」
アンナが声を枯らして誘導している。
「大丈夫。ワタシたちポルト騎士隊の誘導に従ってちょうだい!」
エヴァが大声で叫ぶ。
「大丈夫だぁっ、俺たちが門を抑えているから、落ち着いて橋を渡れえっ!!」
西の橋でも、混乱する市民たちを逃がすために、第15隊の筋肉自慢のホッパー隊が、門をしっかりと押さえて広場からの離脱経路を確保していた。
東の橋にも、第15隊の隊員がいた。
第15隊の騎士たちは誰も諦めていなかった。最悪の環境下でこそ、掃き溜めの第15隊は底力を発揮する。
混乱し、きっかけ一つで崩壊しそうな大広場を、第15隊がギリギリのところで支えていた。
「『ビッグウォール』が破られちまうっ、俺たちはもう終わりだぁっ!」
人々の緊張感がピークに達したのか、屈強な大男が泣きそうな声でそう叫ぶ。
周囲の人たちにその恐怖が伝染し、子供が泣き叫ぶ。
そこに黒い鎧を着込んだ大男がやってきた。
大男は情けなく泣いている大男の両肩を両腕で揺すると、周囲に聞こえるように大きな声で叫んだ。
「大丈夫だ。安心しろっ! 俺たちはポルト騎士隊だ。何があっても、国民は俺達が守るっ!」
黒い鎧を着込んだ大男ーー第15隊隊長ルイス・ガルシアの大きな声は、大きな太鼓の音のように周囲に響く。
誰もがその声で混乱から解けたように、我に返る。近くにいた子供も、ガルシアの大きな、それでいて安心できるような太い声に泣き止む。子供は、ガルシアを下から見上げ、笑顔を見せる。
まるで安心させてくれたことに感謝をするように。
ガルシアはそんな様子を見て、強面の顔をくしゃくしゃに崩して微笑む。
「うむ、大丈夫だっ。さあ、騎士団の誘導に従って、順番に橋を渡るんだ!」
(さすがですよ、隊長……)
馬上からその様子を見ていたヤンは小さく呟く。
そして、視線を時計塔に向ける。
(頼みますよ、ウィン……)
ヤンは再び、誘導のための声を上げるのだった。
ーー開港祭当日。12時40分。時計塔最上階。
時計塔の内側には、最上階までの螺旋階段が続いている。中央は空洞であり、毎時に一度だけ鳴る鐘の音が空洞の中にも深く反響する。
ウィンとクリスは、永遠に続くと思えるように長い螺旋階段を駆け上がっていた。ちょうど人がすれ違えるくらいの幅しかない螺旋階段には、中央側に転落防止のための腰の高さの柵がついている。
ウィンとクリスは素早く駆け上がっていく。
途中一瞬だけ下を見ると、入口にあった魔導ランプのオレンジ色の明かりが小さく揺らめいているのが見えた。
気の遠くなるような高さだった。
何度回ったか分からなくなった頃に、最上階へ出るための扉があった。
クリスは扉に駆け寄ると、そのまま扉を開く。
肩で息をしており、両手を膝について激しく息を吐く。
ウィンもそのすぐ後を追いかけ、二人とも最上階に到着する。
ウィンは顔を上げて、台座の前に立っているフォンテーヌとエミール・ラ・クロワを見る。彼らの向こう側には、窓越しに赤く染まった『ビッグウォール』が見えている。半透明な粘膜の壁の向こう側には、たくさんの魔物が張り付いているのが見える。
(<魔の森>の魔物か……)
ウィンは、かつて倒してきた魔物たちの姿を見る。知っているからこそ、この数が異常だということがよくわかる。
「……誰かと思ったら、クリス隊長じゃないか」
扉が開く音で振り向いたフォンテーヌ大臣が言った。
「見たまえ、この外の景色を。壮観だろう。間もなく『ビッグウォール』が破壊され、魔物たちがポルティガの街を蹂躙する。私は帝国軍と一緒に、装甲船の甲板からその様子を見させてもらうよ。一度崩壊した街を、帝国が楽に支配することになっている。ポルト王国の領地は帝国の属州となり、私が辺境伯になる」
「フォンテーヌ様が辺境伯になったら、私は第1隊の隊長になるっ」
エミール・ラ・クロワがフォンテーヌに続けて言う。
「別に珍しいことじゃない。相応しい家柄の者が、相応しい役職になるだけのことだがね」
「……」
クリスは冷たい目で二人を見ていた。ウィンは、二人とクリス、それぞれをゆっくりと見比べる。
「……家柄が、そんなに大切か」
クリスがゆっくりと、声を振り絞りながら、言った。
エミール・ラ・クロワは、何を当たり前のことを言っているというように目を見開く。
「大切に決まっているだろう。クリス、お前も家を大切に思っているからこそ、私から借金までして生き永らえさせているのだろう! 家柄の良い私が借金を受けてやらなかったら、今頃お前の家は破産だったんだぞ!」
エミール・ラ・クロワが大きな声でそう言う。早口な言葉は、クリスにとっては聞き取りにくい。
いつも、いつもそう思っていた。
「……両親の見栄のための借金のために、家の存続のために、確かに借金を重ねた……いまとなっては、そんなものに守る価値があったのかと思うよ」
「高貴なる血筋は、守る価値があるに決まっているっ!」
クリスは剣に手をかけ、二人に向かって歩いていく。自分でも意識していないのか、早足になっていく。
「ワシが辺境伯になったら、クリス、お前も重用してやるぞ……」
フォンテーヌは、クリスの迫力に気圧されたのか、二歩ほど後ずさる。エミール・ラ・クロワが剣を抜き、フォンテーヌの前に立つ。自分こそが正当なる隊長となるべき血筋とでも思っているかのように。
「クリスっ、反旗を翻すつもりかあっ!」
腰の剣を抜き、クリスに剣先を向けながらエミール・ラ・クロワが言う。実戦など一度もしたことがないかのように、その手と剣先は震えている。
「反旗を翻しているのは、お前たちだろう」
クリスはエミール・ラ・クロワに近づくと、剣を一閃する。その早い剣戟に、エミール・ラ・クロワは剣を合わせることすらできなかった。
「うが……が……なんで……ここまで、ここまできたのに……」
エミール・ラ・クロワはその場にしばし立ち尽くし、ゆっくりと倒れこむ。
「クリスっ、お前にポルトの半分をやる。ほ、ほら、これが<赤いネックレス>だぞっ」
フォンテーヌはポケットから<赤いネックレス>を取り出すと、右手で高く掲げる。
<赤いネックレス>と窓の外の『ビッグウォール』の赤が、重なって見える。
「……最後のネックレスをセットするところまで、お前にやらせるわけにはいかない」
クリスはそう言うとさらに踏み込み、フォンテーヌを斬る。鮮血が飛び散り、クリスはその返り血を正面から浴び、顔と鎧に血がしたたる。
「あ、あぁ……」
背中から仰向けに倒れこみ、小刻みに震えているフォンテーヌを見て、クリスはフォンテーヌの腹の上から剣を突き刺す。
「うがあぁっ!!」
クリスは口から吐血したフォンテーヌの右手から、<赤いネックレス>を奪おうとする。フォンテーヌはほとんど無意識なまま奪われないように抵抗していたが、やがて力が抜けたまま息絶える。
クリスはしゃがみ込んで、<赤いネックレス>をフォンテーヌから奪う。
クリスは台座の前に立ち、窓に向けて<赤いネックレス>を捧げるように掲げ仰ぎ見る。
「……いま思えば、私はこんな物のためにすべてを裏切ったのか」
クリスは、ゆっくりと、そう言った。
「クリス……?」
ウィンは訝し気に、台座の前に立っているクリスに向かって言う。
クリスはゆっくりと振り返る。その顔と鎧には赤い血がべったりとついている。クリスの背後では、魔物が張り付いた粘膜の壁が、その聖なる力を失おうとしている『ビッグウォール』が、ゆっくりと鼓動のように蠢いている。
「……できるなら、ウィン。君には私の本当の姿を知られたくなかったよ」
クリスはそう言って、一度自分の言葉の意味を反芻するようにゆっくりと目を閉じるのだった。
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