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<46> <魔の森>の胎動

(ギリギリのタイミングだったな……助かったよ、ヤン副隊長)


 ステージの上から、ウィンはこちらに向かって駆けてくるヤン・ニースケンスを見てそう呟いた。


 それは最悪のパターンだった。けれども、ウィンとヤンは最悪の想定をして、その対処をしていた。僧兵たちも、帝国兵も、自分たちの罠の裏をかいてくる者がいるとは思わなかったのだろう。


「……大丈夫ですか?」


 ウィンはふと気が付いてしゃがみ込むと、ステージの端で倒れたまま戦いを見ていた女性に声をかける。


「ありがとうございます……ウィン様」


「あれ? 俺名乗ってましたっけ?」


「イヴァースがウィン様の名前を叫んでいたので……」


 女性ーーララ王女は、そう言って微笑む。


「確かに」


 ウィンはそう言って微笑む。


(随分と美しい人だな)


 ウィンは、ララ王女のことを知らなかった。ただ、帝国軍がこの女性を連れ去ろうとしていたから助けた。それだけだった。目の前で困っている人がいると、助けないわけにはいかない。


 それがウィンであり、第15隊だった。


「ウィン・カークライト。フォンテーヌ大臣と第7隊の副隊長が<青いネックレス>を王妃から奪い去った」


 トト・タムードがウィンの近くでそう言った。ウィンはすぐに時計塔を見上げる。


 次の瞬間、時計塔から青い光線が『ビッグウォール』に向かって照射される。


 その青い光が、『ビッグウォール』中に細かな亀裂を走らせ、青く光った透明な膜のようなものが、ゆっくりと赤く染まっていく。


『ビッグウォール』が、巨大な粘膜のような、赤い毛細血管が走った半透明の壁に変っていく。


「なんだあれは……!!」


「『ビッグウォール』が見えている……?」


「おぉ……神よ……」


 大広場にいる人々が、皆呆然として『ビッグウォール』を見る。それまでずっとそこにあって、ポルティガの街を守ってくれていた『ビッグウォール』。


 誰もその姿がどんなものなのか見たことはなかった。


 その『ビッグウォール』が、いまたくさんのポルティガの市民の前に姿を現している。多くの人は、『ビッグウォール』を聖なる壁だと思っていた。そして確かに聖なる壁だった。けれども、力を奪われつつある『ビッグウォール』は、皆の想像よりもずっと禍々しい姿をしていた。

 

「<青いネックレス>で『ビッグウォール』の力を弱め、30分後に<赤いネックレス>で破壊できる、だったな……」


「クリス隊長……」


 ウィンの隣に、クリスが立つ。あの早朝の会議の時に、ソフィアがそう説明してくれていた。あれから2日しか経っていないということがうまく信じられない。


「ああ、だから『ビッグウォール』がゆっくりと弱っていくまで、まだ30分あるということだ」


 ウィンはクリスに向かって頷くと、一度トト・タムードを見る。


「タムード隊長。もう少しだけ、剣を借りていいですか?」


 ウィンは、まっすぐな目でトトを見る。


「無論だ。私は王と王妃の傍を離れられん。頼んだぞ、ポルトの騎士よ」


 ウィンはゆっくりと一度頷くと、クリスと顔を合わせて小さく頷く。


 そして、二人は駆け出す。


 トト・タムードの剣を借りたまま、ウィンとクリスは時計塔を目指して駆けだすのだった。




 



 --開港祭当日12時28分、<魔の森>。


 匂いが、薄くなった。


 普段、魔物にとって忌避すべき聖なるオーラで溢れている透明な壁。


 そこにないのに、魔物たちにとってはそこに壁が<ある>ことがわかる聖なる壁。


 その匂いが、ふいに、薄くなった。


 急速に、その力が、弱まっている。


 最初に反応したのは鳥や虫の魔物だった。羽を持つ魔物たちは、千載一遇のチャンスに、競って餌にあり付こうと、街を目指した。


 羽を持たない魔物たちは、<魔の森>の絶壁まできて、悔しそうに街を見つめる。


 海の魔物たちは、潮の香りが、いつもと変わりつつあるのを感じる。


 壁の向こうには、魔物たちにとって最高の餌である人間たちがたくさんいる。


 いつもその存在を感じながら、その壁に阻まれてきた。


 その壁が、いま、少しずつ弱まってきている。


 もうすぐだ。ゆっくりと、でも確実にその時は近づいている。


 魔物たちが、長年の宿敵でもある『ビッグウォール』を目指して、移動をはじめていた。











 -ー開港祭当日。12時32分、時計塔最上階。


「おお……」


 フォンテーヌ大臣は、時計塔の窓からの景色を見て、思わず声を漏らした。


 時計塔の最上階は、夜には魔導灯台になるため空間が開けられている。10階建てに相当する螺旋階段を上り最上階に出ると、海側だけガラスの入っていない窓のように開けた空間が広がっている。


 その窓の先に、赤く淀んだ『ビッグウォール』が見えていた。『ビッグウォール』はまるで生き物のように波打って蠢いている。


 フォンテーヌの前には、ふたつのくぼみのついた台が置かれており、その内ひとつに<青いネックレス>を入れていた。このくぼみに差し込んだ後、ネックレスはまばゆい輝きを見せ、青い宝石の中にある魔力が光線となって『ビッグウォール』にまっすぐに向かっていった。


 光線が『ビッグウォール』に触れた瞬間、透明だった壁は青く光り、そして赤く溶けていった。ある種の病原菌が動物をゆっくりと蝕んでいくのに似ていたのかもしれない。


 いまは、30分の時間をかけて、青い宝石の中の魔力をゆっくりと、しかし確実に吸い尽くしているように見える。


「いよいよだ……『ビッグウォール』の力が、弱まっておる」


 時計塔からは、『ビッグウォール』が想像以上に近く見える。フォンテーヌは『ビッグウォール』を見つめながら、長年の計画が叶えられるのを待ちわびていた。


「ここまで長かった……」


「いよいよですな……」


 隣でエミール・ラ・クロワが言う。ここしかないと王妃に詰め寄り、〈青いネックレス〉を奪い取ったときも、エミール・ラ・クロワはただ近くに立ち尽くしていただけだった。


(結局、すべてをワシが自分でやらねばならない……コイツには任せられんな)


 フォンテーヌはそう思う。エミール・ラ・クロワは今となってはいざというときに利用する駒でしかない。あまり有益な駒ではないが、それでもいないよりはいい。


 フォンテーヌの不躾な視線を、感動を表しているとでも勘違いしたのか、「さすがフォンテーヌ様です。地上の混乱を、文字通り高みの見物ですなっ」と興奮を隠しきれない様子で話している。


(『ビッグウォール』を破壊し、一度ポルティガを破壊する。その後で帝国に占領してもらい、ワシが辺境伯……)


 フォンテーヌは自分に言い聞かすように言う。その視線の先で、『ベチャ』という鈍い音が聞こえた。







 ベチャ。


 ブチュ。


 ギューーーーン。


 その鈍い音は、数が多いために音程の外れた気味の悪い輪唱のように聞こえた。


〈魔の森〉から飛んできた鳥型や羽虫型の魔物が、『ビッグウォール』に飛び込んでくる音だった。


『ビッグウォール』はまだかろうじて壁の姿を保持しており、魔物たちが突き破って侵入してくることはない。


 けれども、弾き返す力もなく、半透明な粘膜にそのまま魔物たちが張り付いている。勢いよく飛んできた魔物は、粘膜を突き破ろうと大分粘膜の壁を押し込んでくるが、壁はギリギリのところで耐えている。


 その壁に、次から次へと魔物が増えてくる。粘膜の壁に付いた魔物の背中に別の魔物が重なっていく。 


 まるで物量で押し切ったら、この壁が破けるとでも思っているように。

 

 赤い毛細血管のような壁がゆっくりと、柔らかくきしむ。


「大丈夫です。落ち着いてください。橋は3本とも確保していますっ! 誘導に従って!」


 ヤンが馬に乗ったまま、周囲の騎士と連携して大広場の人々を橋に誘導している。


 女性や子供の泣き声に加え、男の絶望の叫び声が大広場を覆っている。透明だった『ビッグウォール』が赤く鈍く輝き、反対側に無数の魔物がものすごい勢いで張り付いている。


 その状況で平常心でいられるはずがなかった。


 老若男女、誰もが等しく恐怖を感じる光景が広がっていた。


【いつまき】は、より多くの皆様に届くよう『カクヨム』様でも同時投稿しています。

お好みのプラットフォームでお楽しみください。


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