<32> 黒鉄の軍艦と、傲慢な皇太子
楽団が、役目を思い出したように歓迎の曲を奏で始める。その場違いに感じられる陽気な音楽で、人々は帝国もまた来賓のお客様であることを思い出す。
空砲の音が大きすぎて、人々はまるで帝国が攻めてきたかのように固唾をのんで軍艦を見つめていた。
(……悪趣味な来訪だね。とても友好的な隣国って感じじゃないや)
ハックはポルティガ港に近付いてくる大型装甲船を見つめながらそう思う。威風堂々と港に入ってくる黒鉄の軍艦は、自らの力を誇示するかのように、周囲を威嚇をしているように見える。
まるで、<魔の森>の魔物を退治しに来たとでもいうかのような船である。
ハックは、港に立っているフォンテーヌ大臣を見る。大臣は顔を船に向け、近付いてくる大型装甲船に緊張をしているように見える。
大陸が誇る大国である帝国と比較したら、ポルト王国は歴史はあっても小国である。
情報通のハックはフォンテーヌが外務大臣であり、この来賓のお出迎えにふさわしい身分であることを知っていたが、それを知らなければ虎に震えるネズミのように小さな存在に見えたかもしれない。
楽団の演奏が音量を上げ、歓迎の曲のピークを迎える。ポルティガ港に花火が複数回あがり、青空に煙が四散していく。
一瞬涼しい風が吹き、潮の香りがポルティガ港を通り抜けていく。
黒鉄の大型装甲船が港に錨を下ろし、船から港に降りるためのタラップがかけられる。
「わあっ!」
「あぁ……」
人々から歓声が上がる。けれども、その声は先程のララ王女のときとは異なり、すぐにかき消されてしまうように小さくなる。
楽団の演奏だけがかろうじて響き続けている。
甲板に現れたのは、痩せて背の低い、目つきの鋭い男だった。
肩や袖、腰などに金色の装飾が施された紺色のベロア生地の上着を着込んだその男は、一言で言うと傲慢そうに見えた。甲板の上から港をゆっくりと見渡し、不機嫌そうに再び歩き出す。
人々はざわついていた。先程のシドニア王国のララ王女が華奢な手を振り、可憐な笑顔を浮かべていたのと比べ、今度の男は笑顔を一つも見せていない。
それで人々は、どのような反応を示したらいいのかわからないようだった。
(あれが帝国の皇太子か……そして)
ハックは一瞬も見逃さないというように甲板の上に目を凝らす。
「おお--」
人々が抑えられずに思わず声を漏らす。皇太子のすぐ斜め後ろに控え、歩いてきたのは、赤い鎧をまとった巨漢の男だった。赤い鎧には太古の模様のような黒い線が入っている。赤茶色の肩までの髪はくせっ毛で、彫の深い顔は古代の神殿に飾られている彫刻のようである。
その鋭い眼光を向けられるだけで、射すくめられるように思える。
皇太子の背が低い分、背後のその男は異様に大きく見えた。
(あれが帝国三大将の一人、炎のイヴァース……)
青空の下、イヴァースの周りだけ蜃気楼のように空気が歪んでいるように見える。それは彼の着込んでいる赤い鎧が微かな熱を帯びているからなのかもしれない。イヴァースの発する異様な圧は、耐性がなければ気を失う者もいたかもしれない。
(あんなのが他にも二人もいるのかよ……)
ハックは初めて見る炎のイヴァースの圧倒的な存在感に、この場を離れたくなるような気持ちになる。けれども、しっかりと瞼に焼き付けようと、人ごみをかき分け、できるだけ近くに行って様子を見続ける。
「皇太子殿下、よくぞお越しくださいました! ポルト王国一同、お待ちしておりました!」
フォンテーヌ外務大臣が、最敬礼で皇太子を迎える。フォンテーヌ大臣の背後には、開港祭の警備隊長でもある第7隊隊長のクリス・ハーグリーブズと、副隊長のエミール・ラ・クロワが立っていて、フォンテーヌと同じく最敬礼をしている。
「出迎えご苦労。明日の開港祭の準備も進んでいるようだな」
皇太子はその細い目をフォンテーヌに向ける。自分の息子ほどの年の皇太子の視線に、フォンテーヌは小さく震えているように見える。
皇太子は、その後でエミール・ラ・クロワと、クリスを見やり、ゆっくりと視線を左奥へ向ける。
「……あれが、ポルティガの象徴である時計塔か、船上からも見えていたが、立派な建築物だな」
「ありがとうございます。明日の12時から、時計塔のある大広場で記念式典でございます」
フォンテーヌが恭しくそう伝える。
皇太子は端正で傲慢な顔に、歪んだ笑みを浮かべる。
「ポルティガは本当に美しい街だ……ここがもう見られなくなると思うと、少しだけ名残惜しいな」
皇太子の発言に、フォンテーヌが一瞬表情を歪める。
「ああ、いま着いたばかりだというのに、私が滞在するのは開港祭の間のわずかな期間だけだからな」
皇太子はまるで後付けの説明のようにそう続ける。
ハックは、人垣の中から、その様子をずっと見つめていた。好奇心旺盛な街の少年のように、誰にも警戒されないような雰囲気で。
(……ポルトの騎士隊長たちも化け物だと思ってたけど、まあ実際化け物だけど、三大将はケタが違いすぎるな)
ハックは、気配を殺して、少しずつ背後に退いていく。イヴァースの近くにいたら、ささやかな警戒心のようなものも、見つかってしまうような恐ろしさがあった。
小動物のような警戒心から、後ずさっていく。
「馬車は、こちらでございます。夜にポルティガ城で行われる前夜祭まで、旅の疲れを癒してくださいますよう」
フォンテーヌがそう言っている。
ハックは、それ以上は留まらずに、港を離れたのだった。
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