<30> 平騎士、地下牢で固パンを噛じる
木の扉が開き、手持ちの魔導ランプを持った人影が見える。長く細い影が通路に伸びる。
人影はゆっくりと湿った足音と一緒に近づいてくる。足を引きずるような床ずれの音も続く。
扉が開く音がしてから、ウィンとソフィアは口を噤んでいた。息を殺して、足音の主を見極める。
「お腹はすいとらんか?」
どこかのどかな初老の男の声が響いた。その声が地下牢に似つかわしくなく、ウィンは目を細めて男をよく見ようとする。
「ワシはこの地下牢の警備を担当しておる。朝の警備兵と交代したもんでな、こうして見回りに来たというわけじゃ」
初老の警備兵はウィンの牢の前で足を止めると、左手に持っていた魔導ランプを掲げてウィンの顔を確かめるように動かす。
「聖心教会の司祭様を殺害し、教会を爆破した犯人がいると聞いたから、どんな恐ろしい騎士がいるのかと思ったが、何だか拍子抜けじゃのう」
「虫も殺せないような顔をしているだろう?」
「それはどうじゃろうな。人は見かけによらぬ。この仕事を長くしておると、人間の業が深いと思わされることばかりじゃ。だから、のんきでやる気のなさそうなお主も、本当に司祭殺しなのかもしれぬな」
初老の警備兵は淡々とした口調でそう言うと、表情を柔らかく崩す。
「で、お腹はすいとらんか?」
初老の警備兵は再びそう言う。
「食べ物がもらえるのなら、俺よりも、奥にいるシスターにあげてほしい」
ウィンが言うと、初老の警備の男はふぉっふぉっと笑う。
「自分のことより人の心配とはな。とても司祭殺しの騎士とは思えんな。安心せい、ちゃんと2人分あるぞ」
初老の警備兵は右手に持っていた袋から固いパンを取り出すと、一つをウィンに渡してくる。
「本当はもっとあげたいんじゃが、決まりがあるのでのう」
ウィンがパンを受け取ると、初老の警備兵は奥に歩いていき、2つ先の牢の前で立ち止まる。片足を引きずるような歩き方。
「かよわいシスターがこんな牢に入れられるとはのう……こんな固パンで申し訳ないが、ないよりはマシじゃろう」
「ありがとうございます」
ソフィアの白い手が伸びて、初老の警備兵からパンを受け取るのが見えた。
「食べれる時に食べておいたほうがいい。おかしなものは何も入っていない、ただのとーっても固いだけのパンじゃ」
初老の警備兵は再び戻ってきてウィンの牢の前に立つと、魔導ランプを照らしてくる。
「お主は第15隊の騎士じゃったな?」
「ああ。落ちこぼれとか掃き溜めとか、色々言われている第15隊所属」
ウィンはそう軽口を叩く。人に言われるのは面白くないが、自分たちで自虐的に言うのは第15隊のいつもの習慣だった。
「……第15隊はすばらしい隊じゃよ」
初老の警備兵はそう言う。
「ポルティガで暮らす庶民たちは、それくらいのことはよくわかっておる。貴族の子弟しかなれない騎士隊でありながら、まったく威張りくさったりせず、庶民のために汗をかいてくれておる。みーんな、そんなことは知っておるよ」
「いつも皆直接言ってくれればいいのに」
ウィンは照れを隠すようにそう言ってみせる。
「皆、恥ずかしいんじゃよ。だからワシもこういう暗い場所じゃないと本音を言えないわけじゃ」
初老の警備兵は、そう言って笑うと、何かを思い出すように目を細める。
「……ワシも若い頃にスラム街の盗賊討伐の時に足を怪我してのう。もう少しで殺されそうになったところをガルシア隊長に助けられたんじゃよ」
「ガルシア隊長に」
「警備兵のことなんて使い捨ての駒のように思っている騎士もいる中で、ガルシア隊長は身を挺してワシを救ってくれた。それに、足を引きずるようになったワシに地下牢の警備の仕事を斡旋してくれたのは、ヤン副隊長なんじゃよ。その時助けてくれただけでなく、そこまで面倒をみてくれてのう……」
初老の警備兵の男はしみじみと言う。当時のことを思い出しているのか、少しだけ目を閉じている。
(まったく、ガルシア隊長もヤン副隊長もいっつもそうだよな)
ウィンはそう思う。第15隊が街の人に愛されているのなら、それは2人の考え方のせいだ。
ポルト騎士団は王のための騎士。王は国民のための王。だから騎士団は国民のための騎士。
ガルシアはいつもそう言っている。その姿勢が、第15隊隊員の全員にちゃんと伝わっているのだ。
「勤務交代に入る前に聞いたんじゃが」
初老の警備兵は思い出したように言う。
「第7隊が第15隊の騎士館を急襲したんじゃそうだ。そうしたら、そこは誰もおらず、もぬけの殻だったそうじゃよ」
(よかった。間に合ったか……)
ウィンはガルシア隊長やヤン副隊長、隊員たちの顔を思い浮かべる。確証が取れずに心配していたことが一つ安心できた。
「教会を爆破した第15隊を探せと、警備隊も動員して捜索しておるが、いまだに見つかっていないそうじゃ」
初老の警備兵はそう言うと、「捕まったらこの地下牢も溢れてしまうから困りものじゃのう」と笑いながら言う。
「今は何時なんだ?」
「12時を少し過ぎたところじゃよ。だから今のは昼ご飯じゃ。ワシは夕方までの勤務じゃし、もう見回りにも来んから、ゆっくりと眠ってでもおればいい」
初老の警備兵はそう言って、足を引きずりながら扉を閉めて、階段を上っていく。
(開港祭前日、12時過ぎ。開港祭式典まであと24時間……)
ウィンは手にした固いパンを少しだけ噛じる。白い粉に微かな塩気が混じって、唾液で溶かしながらでないと食べ進められない固いパン。
(でもまあ、こういうところで食べる固パンは、中々いけるな……)
扉が締まり地下牢は再び薄闇に覆われる。
ウィンは左手の人差し指にはめているミスリル銀の指輪に軽く触れると、様々な思いを巡らせるのだった。
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