<3> 灰色のローブの男と、託された深紅の秘密
濃い灰色のローブ。深くかぶったフード。
立ち上がった男は、180センチはありそうな長身だった。細く痩せていて、右手には、いま警備兵を切り裂いたばかりの長剣。フードの奥で、目だけが不気味に光っている。
「あまり時間がありません。騎士様や警備隊の皆様には、お暇してもらいましょう」
男が御者台から跳躍する。
着地と同時に、近くの警備兵の脇腹を斬る。その動きは速く、またリーチが長いこともあり、完全に不意打ちになる。
傷口を押さえようとした警備兵を、間髪入れずに蹴りで壁まで吹き飛ばす。警備兵は鈍い音を立てて壁に激突し、そのまま意識を失う。
男は止まらない。そのまま、倒れた部下を介抱していたアンドレに斬りかかった。
ガキンッ。
アンドレがかろうじて剣で受け、後ろに跳んで距離を取る。
「ちっ、強ぇじゃねえかよっ」
馬車側の4人は、一瞬で2人になっていた。
長身の男はアンドレを深追いせず、女性のいる方に歩いてくる。姿勢のいい歩き方が、男を実際以上に大きく見せていた。
ウィンは背後の女性をちらりと見る。揉み合ううちにフードが外れ、亜麻色の髪がのぞいていた。白いローブの胸元には、三つの星が重なる刺繍。聖心教会の紋章だ。
(……やっぱりそうだ。彼女は聖心教会のシスターだな。名前はソフィアだったか。孤児院の慰問のときに会ったことがある)
子供たちに囲まれて笑っていた顔が、いまは不安に青ざめている。
「開港祭を楽しめないのは残念でしたね」
ウィンの前まで歩いてきた長身の男が言った。慇懃無礼な敬語が、妙に鼻につく。
「ん? ……どういう意味だ?」
「だって、もう見られないでしょう?」
言い終わる前に、剣が来た。
一撃、また一撃と剣が重ねられる。軽く振っているように見えて、リーチが長く、重い。ウィンはソフィアを背に庇ったまま、それを受け続ける。
残りの男たちが加勢に動いた瞬間、横合いからアンナの剣が割り込んだ。警備兵たちが続く。
「さすがポルトの騎士。末端の騎士に見えても、なかなかやりますね」
突き出された剣先を、ウィンは身をのけぞらせてかわす。その反動のまま体を回すと、男の腹に蹴りを叩き込んだ。
「うっ」
長身の男は腹を押さえつつ、一度下がる。今度は蛇の目の男が前に出てくる。2対1。
砂煙が舞い散る狭い路地に、剣と剣、剣と石壁がこすれる音が響く。駆け付けたアンドレたちも加わり、13人が入り乱れる乱戦になった。
ウィンの前には、長身の男と、蛇の目の男。
同時に襲いかかる二閃を、体を傾けてかわす。
反転。
蛇の目の男の剣を、上から力任せに叩き落とす。
ウィンはその剣を容赦なく蹴り飛ばし、がら空きになった男の右腕を、迷いなく自身の剣で斬り裂いた。
「うおぉぉっ!! オレの右腕があっ!!」
血が噴き上がる。長身の男がすかさず間に割り込み、仲間を後ろに下がらせた。
「アナタは本当に騎士なのですか?」
フードの奥で、男の目が値踏みするように細くなる。
「その剣技、めちゃくちゃですよ……冒険者……いや野生の獣のようです」
「獣とはひどい言い様だな。あいにく、俺は自己流でね」
剣に、蹴りに、裏拳。騎士の型からはおよそかけ離れた動き。人間ではなく、<魔の森>の魔物を相手に生き延びるために身につけてきた本能のようなもの。
それがウィンの戦闘術だった。
長身の男が、じり、と半歩踏み込む。
その瞬間、ウィンの左手の人差し指で、銀色の指輪がかすかに熱を帯びる。
(……っ)
体の奥で、何かが目を覚ましかける。ウィンは深呼吸をして、その『感覚』を押し戻す。
(――ここはポルティガだ。<魔の森>じゃない)
「……いま、何をしようとしました?」
ウィンの変化に気付いて、長身の男が問いかける。初めて、男の声から余裕が消えていた。
「何のことだ? 俺はただのしがない平騎士だよ。忠実に任務を果たしているだけさ。ほら、形勢逆転のようだぞ」
長身の男はしばらくウィンを見つめ、それから周囲を見回した。アンナが一人を倒している。蛇の目の男が拾おうとした剣は、警備兵が押さえている。
アンドレは部下に指示を出しながら、数的優位を活かすきめ細かな動きをしていた。
「……どうも旗色が悪いですね」
次の瞬間、長身の男は近くにいた仲間の腕を掴み、馬車への道をふさぐ警備兵めがけて放り投げた。見かけによらない怪力。複雑なパズルのように絡み合って倒れ込む二人の横をすり抜け、男は馬車に飛び乗る。
「待てっ!」
アンドレがすぐに追いかけるが、馬車の方が早い。大通りへ抜けた馬車は、あっという間に雑踏の向こうへ消えていった。
「逃げやがった……」
仲間を平然と見捨てた男の背に、アンドレが呆れたように呟く。
「クソッ、クソッ」
置き去りにされた蛇の目の男が、痛みと悔しさに顔を歪めている。仲間たちはすでに縛り上げられつつあった。
全員が縛られ、戦意を失ったのを見届けて、ウィンはようやく剣を下ろす。
(……ふう、こりゃあ今日は残業確定だな)
ソフィアを保護し、詰所まで男たちを連行する途中、ソフィアの足がもつれた。
とっさに支えたウィンの胸に、ソフィアが体を預けてくる。そのまま、誰にも聞こえない声で囁いた。
「……これを、預かってください」
ウィンの手の平に、冷たく硬いものが押し付けられる。小さな深紅の宝石がついた、ネックレスだった。
「何も聞かずに……お願いします」
言い返そうとして、ウィンは言葉を飲み込んだ。ソフィアの肩は小さな少女のように震えているのに、見上げてくる瞳には、強い覚悟が宿っていた。
――ジジッ。
ネックレスに触れた左手の指輪が、低く震えた。
この指輪がこんなふうに鳴るのは、<魔の森>を出て以来、随分と久しぶりのことだった。
「ん、どうした? 大丈夫か?」
アンナの声に、ウィンはネックレスを軽鎧の内側へ滑り込ませた。
「……大丈夫です。何でもありません」
ソフィアはそう言って、一瞬だけ、ほっとしたように微笑んだ。
胸元の小さな重みを感じながら、ウィンは空を仰ぐ。
(残業どころじゃ、済みそうにないな……)
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