<25> 天才の正義、平騎士の幸福
第15隊の騎士館の前には馬車が待っていた。馬車の窓越しに、ある種の希望のように夜明けの光が差し込んでいる。
「すごいな。いつ馬車の手配を?」
ウィンが感心して言う。
「さっき孤児院を出るときに部下に指示したのさ。ポルティガ城にシスターを連れて行くためにね。ウィン、君も乗っていくだろ?」
「もちろん、喜んで」
ウィンは笑って言う。クリスがソフィアを最初に馬車に乗せ、次にウィンを乗せる。最後に自分が乗る。そういったところも紳士である。
(育ちが違うというのはこういうことなんだろうな)
ウィンはそう思う。見た目の麗しさもそうだが、この地位まで上り詰めることは大抵のことではない。同じ騎士隊に所属しているからこそ、その頂の高さがわかる。
ガルシアもそうだが、ポルト王国の騎士隊長たちは一言で言うと化物ばかりだ。その隊長に弱冠22歳で就いているという事実に、並大抵ではない努力があるはずだった。
馬車が動き出し、舗道のガタツキに合わせて微かな揺れが繰り返される。
「大丈夫ですか? シスター?」
クリスが優しく気遣う。
「はい、ありがとうございます」
ソフィアが笑顔を見せて答える。聖心教会に軟禁され、ウィンと一緒に追っ手から逃げ、騎士館で経緯を説明する。
まだ若いソフィアにとって、体力的にも楽なことではなかったはずだ。笑顔を見せてはいるが、その表情には隠し切れない疲労の色が見えていた。
「ポルティガ城までは30分ほどで着きます。短い時間ですが、眠っていてください」
クリスは微笑みながら言う。
「ありがとうございます。それでは、少しだけ目を閉じさせていただきます」
ソフィアはそう言って、張っていた緊張の糸をゆるめるように静かに目を閉じる。
(これが街の噂に上がっていたクリス隊長の微笑みか……)
ウィンは商店街の婦人たちの話を思い出していた。一度でいいからクリス隊長に微笑みかけてもらいたいもんだねと、作業の手を止めずに陽気に笑っていた。
街の話題になるくらいの微笑みとは何だと思っていたが、なるほどと納得してしまう。
(俺が微笑んだら、どうかしちゃったのかい? と言われるんだろうな)
馬車の揺れに身を任せながら、ウィンはそんなことを思う。
すぐに規則正しい寝息が馬車の中に小さく響き始める。ウィンは右肩に軽い重さがのってくるのを感じる。ソフィアが頭をもたれかかってきたのだ。
(……)
ウィンは一度ソフィアの頭を動かそうとするが、結局は寝させてやろうとそのままにする。
そんなウィンの様子を、クリスが穏やかな目で見ている。
「……羨ましいよ、ウィン」
クリスが静かに抑えた声で言う。
「俺? 何でですか? クリス隊長をうらやましがる人はいても、俺をうらやましがる人なんてポルティガ中を探してもいないですよ」
「君たち第15隊を見ていると、本当にそう思う。騎士団の掃きだめなんて揶揄する者もいるが、君たちのように仲間を信頼し、民のために命を懸けて動ける組織は、あるようでなかなかない」
クリスは遠くを見るように目を細め、そう言った。
「騎士隊は皆そうなんじゃないですか?」
ウィンは相槌のようにそう言うが、その言葉が空虚に届くのだろうなとも思う。
国の中には様々な人がいる、様々な立場があり、様々な欲や想いがある。全員が悪人ではないように、全員が聖人君子でもない。
〈魔の森〉を出て、10年間の長い期間をポルティガ過ごしてきたウィンにも、本音と建前、理想と忖度があるということはよくわかっている。
歴史ある古都でもあるポルティガには、張り巡らされた根のように街中を走る、目に見えない因縁のような影もあるのだ。
クリスは自嘲気味に微かに表情を歪ませる。銀の鎧が、魔導街灯の明かりを反射して冷たく鈍く光る。鎧の表面には、夜明けのポルティガの街がいびつに引き延ばされて反射している。
「……わが第7隊は、由緒ある貴族の子弟ばかりが集まるエリート部隊と言われている。だが、その実態は最年少で隊長に据えられた私を、どうやって引きずり降ろそうかと狙っている者たちも多い。家柄と血筋に胡坐をかく隊員たちは、私の場所には本当は自分がいるべきだと思っているのだ」
「……エリート様にも、いろいろと事情があるってわけですね」
ウインはいつものように、できるだけ面倒事にはかかわりたくないという風に肩をすくめて見せた。
「だから君達第15隊のように一丸となれるのが羨ましいよ」
「ガルシア隊長の人遣いが荒いだけかも」
ウィンの答えに、クリスは穏やかに笑う。
「ウィン。君は気楽そうでいいな。本当に羨ましいよ。第7隊のエリート隊長、ハーグリーブズ家の天才。周囲は私をそう呼ぶ。でも、本当にエリートで天才なら、足を引っ張ろうとする者もおらず、理想に向かって邁進できているのだろうな。どれほど剣の腕を磨き、魔法を極めても、私ができる範囲は本当にちっぽけなものなんだよ」
「クリス隊長がちっぽけなら、俺なんてその辺の石ころのようなものですね」
ウィンはそう軽口を叩いて見せる。
「……ただ、私には私の正義がある。その正義のためには、身内から引きずり下ろそうと足を引っ張られても、この立場にい続ける必要がある。隊長でなければできないことは、たくさんあるからな」
クリスは窓から視線を戻し、まっすぐにウィンを見つめた。その金色の髪の奥にある瞳は、驚くほど透き通っている。
「私は、この歪んだ国を変えたいんだよ。正しいあるべき国にね」
クリスはまっすぐにウィンを見る。これだけの才能に恵まれた若き天才隊長には、高邁な理想があるのだろう。ウィンはそんなふうに思う。
「……俺には大層な正義とか、そういうのはよくわかりません。国を変えたいとも思ったことはありませんしね」
ウィンはクリスに視線を合わせたまま考える。喋りながら、その言葉が自然と出てきた。
「……俺は一日街の人たちのためにやれやれって言いながらまあ一生懸命働いて、仕事の後に、美味しくて冷たいエールさえ飲めればそれでいいんです。まあ、だからいつまでも平騎士なのかもしれないですけど」
クリスはウィンの言葉を最後まで聞いて、その言葉の意味を反芻するように一度目を閉じる。
クリスは少しだけ表情をゆるめる。
「……綺麗だな、夜明けの街は」
クリスが窓の外を見つめたまま、ぽつりと呟いた。ウィンも窓の外を見る。窓の外にはポルティガ旧市街の古い家並みが続いている。魔導街灯のオレンジ色の明かりの向こう側の空が、青白い夜明けの空気を纏っている。
朝の空気に微かに混じる潮の香り。ポルティガの匂いが少しだけ開けた窓の隙間から入り込んでくる。
王都ポルティガは、開港祭前日の朝を迎えようとしている。
明日、この街を絶望に落とそうとしている者がいるなんて信じられないくらいに静かな朝。
「こんな時間のせいかな。珍しく熱く語ってしまったな……」
窓の外に目を向けながら、クリスが呟く。
「エリート隊長様の人間らしい一面が見れて、失礼ですけど親近感が湧きました」
ウィンはそう言う。
「ん、んん……」
ウィンの右肩に頭を預けていたソフィアが一瞬動き、もぞもぞした後再び動きを止める。
ウィンとクリスは目を合わせて微笑み合う。
「城に着くまで、君も少し眠るといい」
クリスは優しい目でそう言うのだった。
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