<21> 孤児院の庭での二人
ーー午前2時。
あの潜入からまだ2時間しか経っていない。
ウィンはもう大分長い時間が過ぎたような気がする。けれど、潜入前にはまだおぼろげだった希望が、いまは確かな感触としてそこにあった。
「大丈夫か」
「はいっ、大丈夫ですっ」
ウィンはソフィアの手を握ったまま深夜の通りを走っていた。
ソフィアはつらそうな顔を見せながら、ウィンと目が合うと心配させまいと笑顔を見せる。
「右だっ」
ポルティガ地図は大体頭に入っている。聖心教会から第15隊の騎士館まで向かうための道は、大通り経由や街の毛細血管のような路地も含めると何通りもある。
ウィンは走りながら、俯瞰的に最適なルートを見極める。
街は深い静寂に包まれているはずの時間なのに、似つかわしくない追手の荒い呼吸と、自分とソフィアの心臓の鼓動が響いている。
「ちいっ、なぜだ……追手が早すぎる」
通りの先に僧兵たちの姿を見つけ、ウィンは元来た道に戻る。
先程の教会からの脱出時には、上から追いかけてくる僧兵は完全に引き離されていた。だから、道の先に複数の僧兵がいることが信じられなかった。
「様々な可能性を考えて、事前に配置されていた? それとも、教会の爆発を合図に動き出した?」
ウィンは走りながら一度振り返る。
大分距離は離れたが、聖心教会のドームから立ちのぼる黒煙が見えている。ウィンが使った爆発の魔道具の爆発音は大きかったから、眠りから無理やり起こされ、家の前に立って聖心教会を見上げていたり、指差したりしている者も多かった。
そんな街の中を、ウィンはソフィアと手を繋ぎ、駆け続けていたのだ。
「あっ、騎士様っ」
石畳の通りで、ソフィアがバランスを崩し転びそうになる。
ウィンは素早くソフィアの手を引くと、ソフィアを抱きしめる。ローブ越しに柔らかい感触がある。
「いたぞっ!」
遠くで声が上がり、ウィンは再びソフィアの手を引くと、反対側に駆け出す。
何度か路地を曲がった後、ウィンは植え込みに囲まれた小さな屋敷の庭に入り込んだ。
「あぁ……」
ソフィアが嗚咽のような声をあげる。ウィンはソフィアを座らせ、自分も横に並んで植え込みの影に隠れる。
「どこに行きやがったっ! あっちかっ」
植え込みの外側を追手たちが駆けていき、足音が遠ざかっていく。
(少し休憩しなければ、シスターがまいってしまうか……)
ウィンは呼吸を整えながら、隣のソフィアを見る。
気が付くと、ソフィアの頬に一筋の涙が伝っていた。
ウィンはソフィアが見つめている方向を見る。
そこは、ウィンがソフィアとはじめて出会った、あの孤児院の建物だった。
「シスター」
ウィンは優しげな声で静かに言う。
「……すいません、思いがけない場所に出てしまったので」
孤児院の建物は明かりが完全に消えている。深夜2時を過ぎたところで、子供たちが起きているはずもない。
「この孤児院には何度か慰問にきましたが、シスター、あなたは子供たちにとても慕われていた」
「子供達には、私の方が救われていました。明るくて、たくましくて……」
ソフィアはそう言うと、右手の甲で涙を拭う。涼しい風が庭の刈り揃えられた芝生を微かに揺らす。港から離れた場所でも、風の中には潮の香りが混ざっている。
ウィンは、風の香りに、ここからはまだ距離のある港の、打ち寄せる波を感じる。
「……あの子たちのためにも、聖心教会の陰謀を止めなければなりません」
ソフィアはそう言うと、まっすぐに前を見る。
「聖心教会は一体何を狙っているんです? シスターから預かったあのネックレスは一体何なんですか?」
「聖心教会は……帝国と繋がっています」
ソフィアは言う。ウィンもその可能性については考えていたから、意外ではなかった。元々、帝国の出先機関として各国に建てられていると言われている聖心教会である。
「帝国は開港祭に合わせて、あのネックレスともう一つのネックレスを使い『ビッグウォール』を破壊するつもりなのです」
「……『ビッグウォール』を?」
ウィンは、自分が聞いた言葉をうまく理解することができない。<魔の森>の魔物たちからポルティガの街を守る、古の聖女が作り出したと言われる聖なる壁。
その『ビッグウォール』を破壊するなんてことができるのか、ウィンにはそれが信じられなかった。
「それに、もう一つのネックレスと言ったか?」
「はい。『ビッグウォール』を破壊するためにはあの〈赤いネックレス〉と、もう一つ〈青いネックレス〉が必要なのです」
ウィンは話についていけず、怪訝そうな表情を見せる。
「ネックレスの力で『ビッグウォール』を破壊する?」
改めてそう声に出す。
「はい。その二つのネックレスには古の聖女の力を破壊し、無力化する力があります。帝国はその力を使って、『ビッグウォール』を破壊し、ポルティガの街を混乱に陥れようとしています。<赤いネックレス>はいま騎士様のところにありますが、<青いネックレス>はポルト王家にあります」
「ポルト王家に?」
「はい。5年に一度の開港祭の記念式典で、王妃様がそのネックレスをつけて、開港を祝う予定になっています。帝国は、自分たちが持っていた〈赤いネックレス〉に加え、王妃から<青いネックレス>を奪い、『ビッグウォール』を破壊しようとしているのです。ポルト王国を滅ぼすために、帝国は周到な準備をしています--」
ソフィアはそこまで言うと、隣に座っているウィンを見つめる。
「だから、その陰謀を知った私は、ネックレスを手に聖心教会から逃げ出しました。けれども、助祭たち追手に追いかけられ、連れ戻されるところだったのです」
ウィンはあの細い路地での戦いを思い出す。拉致犯人からソフィアを助け、迎えに来た司祭にソフィアを託した。まさかそこから逃げ出したとは夢にも思わず。
それがすべての始まりだった。
「……けれど、騎士様が助けてくださいました。それにネックレスを託すこともできました。いま、ネックレスは彼らの元にはありません。それだけで私は救われた気持ちでいるのです。本当にありがとうございます」
「逃げてきた教会に引き戻してしまい、すまなかった」
ウィンは言う。
「騎士様のせいではありません。それに、私はあのときネックレスを騎士様に渡していたから、目的を達せられていたのです。私が教会に戻った方が、彼らの目をそらすことができると考えていました」
ソフィアは気丈な表情で言う。
(そんなことまで考えていたのか……)
ウィンは改めてソフィアを見つめる。ウィンは<魔の森>の脅威を骨の髄から理解している。
もし『ビッグウォール』が破壊されたら、ポルティガが魔物たちの圧倒的な暴力で蹂躙されることを知っていた。
だからこそ、ソフィアが命懸けでネックレスを奪って逃げたことに感謝する。
「ありがとう--」
「いたぞっ! 孤児院の庭だっ」
ウィンがソフィアにお礼を言おうとするのと、僧兵たちの声が聞こえるのは同時だった。
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