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<13> 水浸しの平騎士、副隊長の胃薬

「はぁっくしょんっ」


 水浸しで歩くウィンを、道行く人が怪訝そうに見つめる。「なんであのお兄ちゃんずぶ濡れなの?」と子供が無邪気に言い、母親が「しっ、見ちゃだめよ」と子供の口を押さえている。


 ウィンはホームである第15隊の騎士館に再び戻ってきた。


 騎士館の重い扉を開けるのもいまは億劫に感じられる。


 鈍い音を立てて扉を開く。建付けが悪いのを修理してほしいと隊員たちが言うのだが、ガルシア隊長は「建付けが悪いくらいがうちの隊らしくていいだろう」と笑って取り合ってくれない。


 普段なら気にも留めないが、さすがに今日の疲労だと、「いい加減直してほしいな」と思う。


 ウィンが騎士館に入ると、何人かの隊員たちとすれ違う。全身水浸しのウィンの姿は明らかに普通ではないが、隊員たちはあまり気にしない。


 どうせ、まあ、いつものことねとでも思っているのだろう。


 2階へ上がる階段を上り、執務室の中に入る。ウィンが歩いてきた後には、水滴と足跡が前衛的な芸術作品のように続いている。


「……ウィン、あなたは、ついに人魚の拉致事件にでも巻き込まれたのですか?」


 書類の山の中から顔を上げた男が、水浸しのウィンを呆れたように見ながらそう話しかける。


「……ちょっとした水浴びです」


「水浴びなら、あと1か月は後の方がいいと思いますよ」


 執務室の中にいたのは、第15隊副隊長の、ヤン・ニースケンスである。ぼさぼさの髪に丸い眼鏡をかけたヤンは、365日ガルシア隊長の尻ぬぐいをさせられていると揶揄されている、第15隊きっての実務家である。


 ヤンは立ち上がって、部屋の隅からタオルを持ってきてウィンに渡してくれる。ウィンはタオルを受け取ると、一度髪と顔をタオルで拭く。ごわついたタオルだったが、いまのウィンにとっては随分と沁みるタオルだった。


「……で、今度は何に巻き込まれたんですか?」


 軽口を叩いていたヤンは、ウィンを見つめ真剣な表情で言う。冷静な副隊長としての顔である。


 ヤンとウィンとは7年の付き合いがある。だからウィンがボロボロになっているときは、たいてい誰かのために、何かに巻き込まれているときであるとよくわかっている。


 ヤンはウィンの巻き込まれ体質のことをよくちゃかすが、その奥にある想いをよく理解していた。


「あ、ちょっと待ってください」


 ヤンはポケットから小瓶を取り出し、錠剤を飲み込む。


「『ポルティガ薬局特製の胃薬』を先に飲んでおきます。はい、どうぞ」


「--実は」


 ウィンは、ゆっくりと顛末を語り始めた。




「〈赤いネックレス〉を聖心教会が血眼になって探している。逃げ出したシスターは教会の中に閉じ込められている。そのシスターが何かを知っているのは間違いないですね」


 眼鏡のブリッジに指を触れながら、ヤン・ニースケンスがそう言う。2人はガルシア隊長の部屋に移っていた。


「きな臭い匂いがたっぷりじゃねえかよ」


 腕を組んだままガルシアが言う。隊長机の上には、ウィンが置いた〈赤いネックレス〉があり、窓からの午後の日差しに鈍く輝いている。


「聖心教会は一体何を狙ってるんだろうな」


「聖心教会……言うまでもありませんが、聖心教会と言えば帝国ですね」


 ヤンが言う。聖心教会帝国の密接な関係は、ポルト騎士団であれば全員が知っている。聖心教会自体は敬虔な信徒が多い、規模の大きな宗派であるが、教会の全員が聖職者であるわけではない。


 表の顔と裏の顔があり、裏の顔にはべったりと返り血がついていることもある。


 少なくとも、ウィンにとっては先程戦った異端審問官が敬虔な信徒であるようにはとても思えなかった。


「……隊長が言うように、だいぶきな臭いですね。開港祭まであと2日のこのタイミングで、アリス様からの禍々しい魔導具認定の〈赤いネックレス〉。それを持ち出して逃げたらしいシスターが教会に連れ戻され、教会内に閉じ込められている。帝国からは皇太子と三大将の一人が来る。帝国関連での慌ただしさが大分渋滞しています」


 ウィンはヤンがアリスのことをアリス様と呼ぶたびに、いつもやれやれと思う。ヤンはアリスのことを美しい大魔法使いとして、憧れ、尊敬しているのである。ウィンにとっては姉のような存在だったので、いつも何となくむず痒いような気持ちになる。


「仮に、〈赤いネックレス〉が何かの鍵になるようなものとします。爆発するとか、魔力が暴走して何かの封印を壊すとか、とにかく厄介な触媒としたら」


「開港祭でそれを使うつもりだった」


 ウィンはヤンの言葉を繋ぐ。ヤンはいつも隊員たちの会議でも、状況や前後関係を整理してクリアにしてくれる。ウィンはヤンのその話し方が好きだった。


 だから水浸しで最初にヤンの執務室に向かったのだ。ウィン自身まだ半信半疑の小さな疑いをクリアにするために。


 びしょ濡れで部屋に入ってこられたヤンにとっては、はた迷惑でしかなかったかもしれないが。


「開港祭でネックレスを使い、ポルティガに何らかの混乱や騒動を引き起こす。その目的は何でしょうか。情報が少なすぎて、軽めのものから、最悪なものまで何通りも想像できますね……」


 右手の人差し指で眼鏡を押さえて、ヤンがやれやれと言うようにぼやく。


 第15隊の騎士たちから、ヤンとウィンは「やれやれ隊」と呼ばれている。いつも厄介事に巻き込まれる星の元にいる2人。


「最悪はまあ、宣戦布告だろうな」


 ガルシア隊長が言う。


「混乱に乗じて、ポルティガやポルト王国に大きな被害を与える。王都が混乱すれば辺境も混乱する。それに合わせて国境から攻め込んでくるかもしれない」


「いきなり攻めなくても、まずは国力を削ぐことを目指すくらいにしてほしいんですけどね」


 ヤンが勘弁してくださいというような表情で言う。


「帝国との国境のヴァレンス砦はあの第2隊が守っていますから、帝国と言えどもそう簡単に攻めてはこれないと思いたいですが」


「そうだな。<鉄壁>の第2隊だからな」


 ガルシアが言う。


 ポルト王国騎士団第2隊。ウィンは貴族社会を嫌い、何年も辺境に籠って王都にやってこないと言われている、第2隊隊長である老婆の噂を思い出す。アリスが土魔法を使わせたら、ポルト王国一だと確か話していた--そして、頭を振ってその思いを打ち消す。


 起こってもいない取り越し苦労をしている場合ではない。今は目の前の問題に集中するべきである。


「……隊長、ヤン。俺はシスター助けに行きたい」


 ウィンはまっすぐに、二人を見て言う。


 ガルシアとヤンが顔を見合わせる。


「俺が引き渡したせいで、教会から逃げ出したシスターが再び捕まり今も教会に閉じ込められている。……彼女を、救いたいんだ」


 ウィンは二人に向かって頭を下げる。ウィンの髪から水の滴が滴り落ちる。床に落ちた水滴がウィンの悔恨のように広がる。


 ガルシアは太い腕を、ゆっくりと組む。そしてヤンに向かってお前が喋れというように顎で軽くサインを見せる。


 ヤンはまったく隊長ときたら……と言うように口を開く。


「ウィンが頼み事なんて珍しい……いや、珍しくないですかね。でも、まあ、これは厄介事に首を突っ込む第15隊向けのミッションではあります。そもそも、シスターを取り戻さないと、聖心教会が〈赤いネックレス〉を使って何をしようとしているのかわかりません。ウィンの提案は……第15隊事務局長として承認します」


 第15隊の事務長でもあるヤンは、そう言うと立ち上がる。


「じゃあ早速、今回のミッションに適した隊員を選ぶとしましょうか……開港祭前でただでさえ忙しいのに」


 ヤンはそう言いながら、いたずらを考える悪ガキのような表情を見せる。


「……ありがとうございます」


 ウィンが発したのはわがままかもしれない願い。それを受け入れてくれた隊長と副隊長に、ウィンは深く頭を下げるのだった。


たくさんの作品の中で見つけていただき、読んでいただきありがとうございます!


【いつまき】は、より多くの皆様に届くよう『カクヨム』様でも同時投稿しています。

お好みのプラットフォームでお楽しみください。


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