空の勇者ラベンダーのその後~創造神の掌の中で子を育てる
空の勇者ラベンダーは、魔王討伐によって得られるはずだった栄誉も報酬も、何もかも断った。
そして彼女が望んだのは、辺境と呼ぶほかない、人のほとんど立ち入らない地で、誰にも頼らず静かに暮らすことだった。
その願いは、神聖ゴールド聖教国によって認められた。
ラベンダーはただ一人で辺境へ赴き、自ら家を建て、近くの森や川で採集や狩猟をしながら暮らし始めた。
魔王討伐からしばらくして、辺境での暮らしが一か月ほど経ったころ。
ある日、ラベンダーは自分の体調がおかしいことに気づいた。
熱があるわけではない。
けれど身体がだるく、何もする気が起きない。
その日はついに道の途中で力尽き、その場にうずくまってしまった。
周囲は人影一つない山の中だった。
助けを呼ぼうにも、呼ぶ相手すらいない。
どうしたものかと途方に暮れていると、ちょうどそこへ、一人の旅人が通りかかった。
深くローブを被ったその旅人は、ひと目見ただけでは男か女かもわからない。
けれど実際には女性であり、一人旅の危険を避けるため、あえてそうした格好をしているのだと語った。
旅人は具合の悪そうなラベンダーを見ると、何も言わず肩を貸し、家まで送り届けてくれた。
それだけではない。
体調が戻るまで、しばらく一緒にいましょうか――と、そう申し出てくれたのである。
ラベンダーは、その申し出をありがたく受け入れた。
こうして二人の共同生活が始まった。
実のところ、ラベンダーは妊娠していた。
だが、そのことをラベンダー自身は、まだはっきりとはわかっていなかった。
一方で、その旅人は最初から気づいていたのだ。
何もわからず、不安を抱えたまま辺境で一人暮らしていたラベンダーに、旅人は驚くほど親身に寄り添った。
出産に備え、家の周囲には認識阻害の結界を強め、誰にも邪魔されないよう手を尽くしてくれた。
そして数か月後――
ラベンダーは、元気な男の子を産んだ。
無事に出産を終えることができたのは、ひとえにその旅人のおかげだった。
ラベンダーは、愛するホワイトの子をその腕に抱きながら、創造神に感謝した。
この子を授けてくれたこと。
そして、自分を助けるかのように、あの旅人を目の前へ用意してくれたこと。
旅人にも、そして創造神にも、感謝せずにはいられなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
子どもが三歳になったある日のことだった。
旅人は、いつになく真剣な顔でラベンダーに言った。
「ねえ、ラベンダー様。いまから大切なお話をするのだけれど、少しお時間をいただいてもよろしいかしら?」
「・・・・はい」
穏やかにうなずくラベンダーの前で、旅人はゆっくりと深いローブを外した。
その下から現れた顔は、これまで見てきた旅人そのものだった。
けれど、その瞳だけは、今までとは比べものにならないほど深く、まるで世界そのものを知っているようだった。
「実は、わたしは創造神なのです。創造神エクレアーナといいます」
その言葉に、ラベンダーは目を見開いた。
驚かなかったわけではない。
むしろ、あまりに唐突で、すぐには意味が飲み込めなかった。
だが、目の前の女性から感じる気配は、それを冗談や妄言として片づけることを許さなかった。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、あなたのことはずっと前から知っていました」
「そう、空の勇者として魔王を討伐する前から」
ラベンダーは黙ったまま、その言葉の続きを待った。
するとエクレアーナは、少しだけ目を伏せてから続けた。
「なぜ、わたしがあなたの出産の世話をしたのか」
「それは、あなたがホワイト様の子を身ごもったからです」
「ホワイト様が唯一愛した方。だから、あなたを助けようと思いました」
その言葉に、ラベンダーの胸がわずかに震えた。
ホワイト。
その名を聞くだけで、今でも胸の奥がやさしく痛む。
「創造神であるわたしも、ホワイト様を愛しておりました」
「・・・・決して、ホワイト様からの愛を欲したわけではないのです。けれど結果的に、わたしは主人であるホワイト様を苦しめてしまいました」
そう語るエクレアーナの目には、涙がにじんでいた。
その姿に、ラベンダーは嘘の気配を感じなかった。
神でありながら、目の前の女性は、確かにホワイトを愛していた。
そして、その愛ゆえの痛みを抱えていた。
やがてエクレアーナは、一つの提案を口にした。
「ラベンダー様。わたしの使徒になってはいただけませんか」
空の勇者ラベンダーが、主人であるホワイトを深く愛していたこと。
それを知ったからこそ、同じく彼を愛した者として、そばにいてほしいのだと。
ラベンダーは、すぐには答えられなかった。
だが、エクレアーナの言葉は続く。
使徒となれば不老不死となり、いつかこの現界にホワイトの魂が生まれ変わったとき、再び会えるかもしれないのだと。
その言葉は、ラベンダーの胸の奥に深く沈んだ。
再び会える。
もう一度。
しかも、自分と同じように一人の男性を愛した者が、目の前にいる。
そのことにも、ラベンダーは不思議な喜びを覚えた。
長く黙ったあと、ラベンダーは静かに口を開いた。
「承知いたしました。使徒契約を結ばせてください」
「ですが、一つだけ心残りがあります」
ラベンダーは、眠る幼子へ視線を向けた。
「ホワイト君との間に生まれた、私の大切な一人息子――グレーです」
「この子が独り立ちするまで、使徒としての活動を控えることをお許しください」
エクレアーナは、その願いを受け入れた。
こうしてラベンダーは、創造神エクレアーナと使徒契約を結んだ。
使徒となったラベンダーの姿は、十七、八歳の頃まで若返り、それ以上年を取ることはなくなった。
けれどラベンダーは、すぐには創造神のもとへ行かなかった。
一人息子グレーを育てるためである。
周囲に大人のいない辺境の暮らしの中、グレーは母ラベンダーから多くを学びながら成長していった。
やがて十五歳になると、グレーは母のもとを離れ、山を下りて町へ向かい、冒険者として生きていくことになる。
余談ではあるが――
幼いころから母と二人きりで暮らしていたグレーは、しばらくの間、「母親とは年を取らず、いつまでも若いものだ」と本気で思い込んでいたらしい。
後年、その思い違いに気づいて大恥をかいたと、本人は笑いながら述懐している。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ラベンダーです。
私には、ホワイト君との間に生まれた愛する一人息子がいます。
名前はグレー。
それはもう、大事に大事に育てました。
かわいくて、かわいくて。
つい甘やかしそうになるのをこらえながら、それでも一人でも生きていけるよう、しっかり育てたつもりです。
・・・・でも、男の子はみんな、いつか親元を離れていくものみたいですね。
寂しいです。
グレーも無事に独り立ちし、町へ出て、冒険者になりました。
一人でも戦えるように鍛えてきたつもりではありますが、やっぱり心配でした。
ですから、最初のうちは遠くからこっそり見守っていたのです。
えへ。
これも、かわいい母心というやつですね。
数年ほど見守り続けて、ようやく私は確信しました。
あの子なら、もう大丈夫。
ちゃんと一人で生きていける。
そう思えたからこそ、私は創造神エクレア様のもとへ向かう決意をしました。
「創造神様。あなた様の忠実なる使徒ラベンダー、ここへ参りました」
「条件であった息子グレーも、無事に独り立ちいたしました。契約通り、これより使徒として活動いたします」
こうして私は、創造神エクレア様のもとで本格的に動き始めることになったのです。
すると、エクレア様はさっそく私に任務を与えました。
「勇者という称号を失えば、あなたはただの平民になってしまいます」
「そのままでは、いずれご主人様がこの現界に生まれたとき、ご主人様をお守りすることは難しいでしょう」
「ご主人様をお助けするには、社会的な身分が必要なのです」
なるほど、と私は思いました。
勇者ラベンダーとしてなら、多くの人は敬意を払ってくれる。
けれど、それはあくまで“勇者”だからです。
その肩書きを失えば、私はただの一人の女に過ぎない。
「ですから、あなたには勇者という称号とは別の立場で、人族社会に入り込み、人脈を築いてもらいます。それがあなたの任務です」
エクレア様はそう言ってから、ふっと微笑みました。
「それと、ラベンダーという名は目立ちすぎます。使徒として新たな名を与えましょう」
「たとえば・・・・――というのはどうかしら?」
新たな名を告げられた私は、思わず目を瞬かせました。
「・・・・はい。とても素敵です」
そう答えると、エクレア様は楽しそうに笑いました。
「そうですか。気に入ってもらえて何よりです。あなたの容姿から取った名ですからね」
こうして私は、創造神エクレア様の命を受け、勇者でも何でもない、ただの平民として人族社会へ入っていくことになったのです。
孤児として生まれ、貴族の養子となり、騎士団の副団長にまでなった私。
その後は空の勇者として認められ、多くの仲間とともに、魔物を率いる魔王と戦い、討ち果たしました。
そして愛しい人との間に子を授かり、その子が無事に一人前になった。
そのうえで私は、創造神様の使徒となったのです。
こうして振り返ってみると、我ながらずいぶんと波乱万丈な人生です。
「ふぅ・・・・我ながら、本当にいろいろあったわね・・・・」
そうつぶやいてから、私はふと思いました。
――グレーは、今ごろ何をしているかしら。
ちゃんとご飯を食べているかしら。
無理をしていないかしら。
お母さんは、少し心配です。
「・・・・ホワイト君。いえ、まだ見ぬ愛しいご主人様」
「いつか、あなたと会いたいわ」
私は、ホワイト君との思い出のペンダントを、そっと握りしめた。




